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【連載】日本文化のはなし

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日本文化の色々を語る連載。とりあえず隔週月曜更新にします。現状、毎週月曜日は割とこういう系の話をしています。月曜日に知的になる人。
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記事一覧

【着物のはなし】ハッピが英語に似ているためハッピー・コートと呼ばれ西洋人に喜ばれた

夏になると和装の日本人が増える。だから今日は着物の話をしよう。戸板康二『元禄小袖からミニスカートまで 日本のファッション300年絵巻』を引用します。 まず、私が一番衝撃を受けたところ。 着物を着るときに、うなじのあたりに隙間を作るんだけど、アレって江戸時代かららしい。胸元おさえて腰の方から着物引っ張ってちょうどいい空間を作れるようにめっちゃ頑張って着てたけど、結構歴史浅いんじゃーん。やりたい人はやればいいし、難しかったら諦めてもいい要素なんだなと思った。首元からレースやシ

マンホールと器の類似性について

収集癖がある。過去にはシール、『テニスの王子様』のラバーストラップ、AKB48とぷっちょのコラボ「AKBっちょ」キーホルダー、行った展示のポストカードなどとにかくハマったものを集めたがる。昔から物に溢れた生活をしている。 現在、一番所持数の多いものは?と聞かれたら、真っ先に「器」と答えるだろう。しかし、器は集めているのではなくて、なんか勝手に集まってくるものという感覚がある。収集ではなく集合。好きだな欲しいな買おうかな、を続けていたら増えていた。それだけのこと。集めようとし

【器のはなし】手持ちの中で多分一番出来の良い器を見せながらずっと話す

手持ちの中で、多分、一番出来の良い器。江戸中期染付蛸唐草文なます皿。金継ぎされているから骨董品としての価値がすごくあるわけではないし、これよりもっとすごいものが美術館や博物館に行けば見れるわけだけど、それでもやはりこれは美しい。 江戸中期の伊万里だから古伊万里にカテゴライズされる。「古伊万里」というのはざっくり言えば江戸時代の伊万里焼のことで、人によっては江戸時代の作で出来が良いもの(上手のもの)をだけ古伊万里と言ったりする。伊万里焼は誕生して割とすぐに全盛を迎える。それが

【器のはなし】ガラス器コレクションを見て行ってくれないか

GWといえば陶器市だが、今年はそのことを忘れるほど木工に励んでおり、各HPもオンラインショップも見ていない。見たら欲しくなるし、そういう年もあって良いだろう。益子陶器市に出店されている望月万里さんが、雲型の片口を作っていて、それの白色バージョンを先日Twitterに掲載されていたのが気になっている。この片口、藍色だけ存在していたのだけど個人的に白が欲しくて待ってたもんで。たのむ〜手に入れるまで作っててくれ〜。 器作家さんも「推しは推せる時に推せ」が適用されていて、いつ作品作

【器のはなし】六歌仙全員の名前覚えたはずなのに、いつの間にか言えなくなっている。

今回はどう〜しよっかな〜と器を眺めていた。モチーフごとに器を出していくのも良いな、花とかかな。というか前に何をやったかな。覚えてないけど多分まだやってないだろう。で、決まったのが人物図縛りである。 というわけで、今回はいろんな人たちを見ていこう。なんか集めてみたら個数多かったからサクサクと進める。 六歌仙六歌仙、人生のどこかの段階で全員の名前覚えたはずなのに、いつの間にか言えなくなっている。小野小町と在原業平はみんな言える。お坊さんが二人、喜撰法師、僧正遍昭。あとは文屋康

【器のはなし】使用頻度を稼ぐために別の用途で使用している。

食器ではなく手芸道具として使っている器三客の話をする。家に器がありすぎて、食器として使うのでは出番が少なすぎるので使用頻度を稼ぐために別の用途で使用している。その代表をご覧ください。 キッコーマンノベルティ湯呑重ねた布を留めるクリップや小さい紙を入れている。小さい紙は、ミシンの縫い始めと終わりに返し縫いをするとグシャッとなる生地を縫製するときに生地の下に敷いている。大きさがちょうど良くミシンの隙間に置けて便利。口が広がっているのでクリップを取り出す時に引っかからずスムーズ。

女のふりをして日記を書いたのは亡き娘を思う悲しみを書き残したかったからではないか

『土佐日記』の話する。昨晩考えてたら寝られなくなりそうだった。 紀貫之が女のふりをして日記を書いたのは、亡くなった娘を思う悲しみを書き残したかったからではないかという解釈をした。それとも、本当は新しい試みとして取り組んでいたのが、いつの間にか旅の苦しさにともなって暗い心境を書きつけるものになってしまったか。 出発の時は景気良くワイワイガヤガヤして楽しげな雰囲気なのに、二十一日に出発して二十七日には娘の話題を出しているのよね。「この頃の出立いそぎを見れど何事もえいはず。」(

【古文のはなし】土佐日記を読む。ラスト。とにかくこんなもの早く破ってしまおう。

前回のあらすじ(二月五日) 船の舵取が使えない。「今日は天気が悪くなるから」と言って船を出さなかったのに、普通に天気良くて一日無駄にしたし、海の明神を鎮めるためとか言って貴重な鏡を海に投げやがった。こいつ、マジでなに?とはいえ、京都まであと少し。あとしばらくだあとしばらくの辛抱だよ〜これは俺の余裕の証。(本歌:デッド・エンド/テニスの王子様ミュージカル) 原文↓ 前回↓ ○ 六日、澪標から出て難波に着き、河尻に入る。海の旅が終わり、老若男女みんな額に手を当てて喜ぶこと

【古文のはなし】土佐日記を読む。この舵取は天気も読めないし欲が深い。

前回のあらすじ(二月三日) 京都へと帰れぬまま二月になってしまった。麻を縒って紐にしても、紐を通らない涙の玉しかないから意味がなく思われる。 原文↓ 前回↓ 〇 四日、舵取が「今日の風雲の様子はかなり悪い」と言って船を出さなかった。しかし一日中波風立たず。この舵取は天気も予測できない愚か者だ。 >シンプル悪口。船を出せたはずの日に出さなかったらまあ悔しいだろうけども。 この泊の浜にはさまざまな美しい貝や石がたくさんある。それで、土佐で亡くなった女子を恋しく思って船

【古文のはなし】『土佐日記』を読む。「二月になってしまった」と嘆き苦しみ

前回のあらすじ(正月二十六日) 海賊がたくさんいるというあたりまでやってきた。怖い怖い。神託に従って進もう。 原文↓ 前回↓ ○ 二十七日、風が吹いて波が荒いので船を出さなかった。みな畏れ嘆く。男たちが気を紛らわすために、漢詩で「日を望めば都遠し」などと引用して、太陽はすぐに見えるけれども都は見えないから太陽の方が近いと思われると言い合っているのを、ある女が聞いて「太陽でさえ天雲の近くに見えるのに、都へ早く帰りたいと思う道はとてもとても遠いことだよ」と詠んだ。 また

【古文のはなし】『土佐日記』を読む。船が葉っぱに見えるので、海に散ると秋の落葉みたいだ。

前回のあらすじ(正月二十日、一週間室津から進まず) 月夜に海原へ出ると、水面に反射した月が浮かぶのでまるで空を漕いでいるようだ。阿倍仲麻呂も言っていたが、月というのはどこにいても同じものだね。 原文↓ 前回↓ ○ 二十一日、五時〜七時の朝に船を出す。みんなそれぞれの船が出た。その様子が、春の海に秋の葉が散ったように見える。船の形が葉っぱのようなので。格別の願掛けのおかげであろうか、風も吹かず良い天気で進んでいく。船の出なかった間にお仕えにと付いてきた童がいる。その童が

【古文のはなし】『土佐日記』を読む。海の月も山の月も異国の月もすべて同じ。

あらすじ 土佐を出発するも、なんかすごい見送りをしてくれる人が追いかけてきて、宴会とかやってたけど進むにつれてそういう人もいなくなって、いつの間にか年が明けて船旅中だから満足にそれっぽいこともできず、天候悪くあまり進まず、まったくもう早く帰らせてくれませんかね。 原文↓ 前回↓ ○ 十六日、風波が落ち着かないのでまだ同じところに泊まっている。海に波がなくなったらみさきという所を渡ろうと思う。風、波は依然止みそうにない。ある人、波が立つのを見て「霜さえも置かない地域だけ

【古文のはなし】『土佐日記』を読む。はねといふ所は鳥の羽のやうにやある

『土佐日記』続き。なかなか船は進まないけど日々は過ぎてくもどかしさ。 前回↓ ○ 十一日、夜明け前に出港して室津を出る。人が寝ているような時間帯で海の様子も見えず、月を頼りに西と東の方角を知る。そのようにしていると、夜が明けて手洗いなどいつものようにこなし、昼になった。「はね」というところに着いた。童が「はね」という地名を聞いて「はねという場所は鳥の羽のような形をしているのかな」という。まだ幼い子供の言うことだからみんな可笑しがる。女の子が「本当に名前の通り『はね』のよ

【古文のはなし】『土佐日記』を読む。海に入る月を見て、松に往く鶴を見る。

『土佐日記』続き。一週間滞在して年末年始を過ごした大湊をようやく出ます。 前回↓ ○ 八日、障ることがあってまた同じ場所にいる。今宵の月は山ではなく海に入る。京都であれば、月は海ではなく山に入る。これを見て、在原業平さんが詠んだという「ずっと月を見ていたいのに、いつもそれを隠してしまう山の端が月から逃げて、月を入れないでくれたら良いのに」という歌を思い出す。もし海辺だったら、「山の端ではなく月が海面を飲み込むのを波が立ち塞がってくれないかなあ」と詠むのではなかろうか。