【着物のはなし】ハッピが英語に似ているためハッピー・コートと呼ばれ西洋人に喜ばれた

夏になると和装の日本人が増える。だから今日は着物の話をしよう。戸板康二『元禄小袖からミニスカートまで 日本のファッション300年絵巻』を引用します。

古本屋で偶然見つけた本


まず、私が一番衝撃を受けたところ。

衣紋をぬいて着る小袖の着方も、はじめは、たぼを大きくした髪の油が襟にふれないようにするためだった

着物を着るときに、うなじのあたりに隙間を作るんだけど、アレって江戸時代かららしい。胸元おさえて腰の方から着物引っ張ってちょうどいい空間を作れるようにめっちゃ頑張って着てたけど、結構歴史浅いんじゃーん。やりたい人はやればいいし、難しかったら諦めてもいい要素なんだなと思った。首元からレースやシースルーのトップスを出す着方をするときは、別に衣紋を抜かなくても良いのではなかろうか。

ヘアオイルが付くと汚れるから衣紋を抜くようになったとのことだが、現代だともはやそういう髪型でもないし、油ベッタベタ、ワックスギットギトで出歩く人もそんなにいないだろうし。実用よりも美しさやそういうものだからというのを理由にして、あのうなじの隙間は作られるようになってるよね。衣紋を綺麗に抜くために硬い細い板みたいなのを内側に入れて縫い付けるの、どう考えても手間だろって思ってた。スッキリした。


次から次へと。

帯ももともと、きものを身体に固定させるためのもので、はじめ細い布や紐で結んだのであるが、徳川時代に故袖が華やかになるのにつれて当然、帯も材料と衣装を発達させてゆく。

帯は着物がはだけないようにするためのものなので細い布や紐だった、なるほど。これは縄文弥生時代の衣類から、そのまま素材を変えて同じような服をずっと着てたんだな。実際それで足りる。着物を着ると帯の締め付けがキツいことが普通だから、まあ普段着なら紐状のものの方が楽だよな。バスローブみたいな感じで。最近だとゴムベルトで代用している人をみるけど、大正解だと思う。私もやるし、和装が普段着の歴史が続いてたら、それが主流になってたはずだ。

元禄ごろには、前帯をしていた女性もすくなくなかったが、中期以後、ほとんどうしろで結ぶようになった。

自分で着付けするときに前で結んで終わりだったら、どれだけ楽かと。前で結んで、体力削られて疲れてるのに、そこから後ろに回すの大変なんだよな。帯を結ぶと豪華で大きくなるのは本当に可愛いんだけどね。いろんな結び方出来るし。

旅館の着物って、もしかすると江戸中期までの和装に近いのでは?帯は細いし前で結ぶ。

じゅばんは小袖の下の肌着で、元禄ごろから着るようになった。

襦袢って着物の時に必須の下着くらいのイメージだったけど、これも案外歴史が浅い!平安くらいから着てると思ってた。成人式とか卒業式のために襦袢や和装用ブラをわざわざ購入して着てたけど、まあ冷静に考えて現代の似た下着で代替可能だったよね。粗品としてもらうタオルを腰に巻き付けるやつ(体に厚みがある方が美しいシルエットになるので調整用に装備する)は、一体いつからやってるんだろう。


その他、面白かったところ。

文化という時代に江戸亀戸天神の太鼓橋ができたころ流行した帯の結び方が、今も行なわれている「お太鼓」だといわれる。

お太鼓も江戸時代から!着物といえば平安時代のイメージなせいで、江戸時代からですよって言われると「最近じゃん!」ってなる。江戸時代は最近。

言われてみれば、平安時代の十二単って帯の印象全然無い。雛人形が帯をしているイメージ全然無いよね。ウワー!そっか……

着物は帯が一番高いって言われて生きてきたけど、それは江戸中期以降の常識なんだね。江戸中期って本当に庶民の文化がすごく発展したんだな。そういうところが好きで大学のゼミで江戸時代選んだんだった。忘れてた。


享保になると吉宗将軍治下の倹約令が出て、派手な模様が、目立たぬ裾の模様にかわる。同時に縞と小紋が全盛期になる。小紋ブームは延々と続き、山東京伝は天明になってから、戯画化した小紋を数百種も絵にした本を何冊も書いている。『小紋雅話』もその一つで、モモンガー(妖怪)の音をもじったものだ

『小紋雅話』は数年前に存在を知って、それを解説付き資料集みたいにした本を古本で入手している。ダジャレみたいな模様がたくさんのってて楽しい。大学生の時に知ってたら、卒論を山東京伝にしてたかもしれない。山東京伝が作った小紋のブーム来ないかな。それの風呂敷とか売られてほしい。


広袖の法被は徳川中期にはじまったが、ハッピが英語に似ているため、第二次大戦後、ハッピー・コートと呼ばれ、西洋人に喜ばれた。

これなんかすごく好きだ。日本人もこういうことやるじゃん。蝙蝠柄は「蝠」が中国語読みで「ふく」になるから「福」に通じる、みたいなの。言語が世界を丸くする。法被のことハッピーコートって言われたら、自分も欲しくなっちゃうよね。プロモーションの大切さがわかる。


着物警察と呼ばれる、着物は常識通りに着ないとダメ!下に洋服を着るなんて!みたいな指摘は、歴史を見たらもうどうでも良いなと思ってしまった。どこかのタイミングで決まったルールがなぜか現代まで引き継がれてる。そのルールの存在する意味が現代でも納得できるものだったら、次の世代に継げば良いし、そうでないものは無視しても良いのでは。帯揚げとか兵児帯とか、着物の色とか洋服の重ね着とか、季節とか素材とか、いっそのこと好きなものを好きに扱う。そういう自由さが和装の歴史を持つ日本人に許されてほしい。門は大きい方がいっぱい人が入れるよ。

ファッション面白い。この本、一文の情報量が多くてなかなか読み進められないんだけど、最初の方を覚えているうちに頑張って通読したい。



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次回更新予定 7/15:また一ヶ月くらい飛ばすかもしれない。
※だいたいリサーチ不足ですので、変なこと言ってたら教えてください。気になったらちゃんと調べることをお勧めします。


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めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。