【器のはなし】滝といえば鯉じゃろがい!(ちょっと浮世絵の話も)
先日、オモコロチャンネルで「個人的”恐怖症”発表会」という動画が上がっており、そこで恐山さんが葛飾北斎の『諸国瀧廻り』が怖いと話していた。特に「木曽路ノ奥阿彌陀ヶ瀧」が怖いそうだ。
動画内で「構図がおかしくない?」と触れられており、それはその通りなんですが!この上の円形の部分は、滝の真上の水が溜まっているところを描いたものらしく!そう考えると葛飾北斎が試みた表現方法ってすごいところまでいってるんだなー!ってなるよね。私は何かしらの展示でこの解説を見て、一気にこの絵が好きになった。それまで何とも思ってなかったのに。なんなら就活の面接で語ったことがある。
という導入から、滝といえば鯉じゃろがい!と思って、この茶碗を持ってきた。
外側は鱗のような模様がびっしりで、やりすぎとも言えるくらいだ。かなり気合入ってる。
好き嫌いが分かれそうな色絵。そもそも色絵自体が好き嫌い分かれるんだけど、そこから更に分岐がある。悪趣味と捉えるか、ユニークと捉えるか、どっちの正義を信じますか。
さて、どこが鯉なのかというと中である。蓋を開けると鯉がゆらりと泳いでいる。碗の内側まで描いてあるのは珍しい。何に使ったのか、誰が作らせたのか、これが生み出された当時のことを知りたい。
滝といえば鯉だ!と言ってしまうのは、鯉が滝登りをして龍になる「登竜門」の意匠をしばしば見かけるからだ。鯉の滝登りを描いたもので龍が描かれるパターンは少なくて、大体は滝の下で鯉が一生懸命登ろうとしている場面だ。
出世の願いを込められているのが鯉の滝登り図で、それは明治〜大正時代の大量生産雑器にもみられる。こういうのは込められた願掛けの意味を意識せず、「あるから」という理由で使うぐらいの扱いで良いんだろうなあと思う。交通安全守りを車内に置いて、数日後には置いたことも忘れるくらいの、それくらいの存在感であってほしい。
小さい金魚を育てる時に水槽代わりにしてみたら面白いかもしれない。拾ったシーグラスをためておくとか、ティーキャンドルを入れてみたり。
この蓋茶碗と合わせて使いたいのが、以下の中皿である。
とっても似合う。素晴らしい色使い。色絵は赤のイメージが強いんだけど、この組み合わせは黄色と緑が印象的。蓋茶碗のうるささを平皿が緩和してくれている。セットではないのに、この二つが元から一緒にあったかのように馴染んでいる。
でもこれ飾り皿っぽすぎるな。買った時には複数枚あったけど、食器として使うには絵すぎないかな。
紋様が浮き出ているのが美しい。これは曇りの日の夕方が見やすい。晴れているとうまいこと影が出来ない。岩みたいに盛り上がってるところは型を使ってそうだよな。細い、建物の模様みたいなところは「いっちん」かなあ。
話は浮世絵版画に戻る。空摺りという技法があって、インクを付けずに版木を摺るというもの。これによって凹凸ができるため、線がなくても模様が浮かび上がる。こちらもライティングがしっかりしている撮影だとよく見えない。そのため、画像データで確認しようとしても分からない。アートは実物を見るのが良いというのは、こういう細かな部分を味わうためでもある。油絵なら絵の具の盛り上がりを、屏風絵なら大きさを確かめる。
空摺りの話は太田記念美術館のnoteが良いです。というか、太田記念美術館のnoteが全体的に素晴らしい。
↓は別のサイト。版画おもしろいよなあ。
こういう系の話が好きな方は↓をどうぞ。
めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。