【器のはなし】コンニャク印判はコンニャクを使っていない

前回、染付と印判の話をちらとしたが、型紙刷りの話しかしていないので、他のも出していこう。

染付は手描きの絵付けで、印判は転写での絵付けのこと。

前回の序盤より引用

まずはじめに、印判は大量生産を目的として開発されたというのは言っておかねばならない。転写などで全く同じ絵柄を絵付けすることができる。いわゆるプリントである。今のプリントと違うのは、活版印刷や版画のように手作業で行われることだ。なので、プリントとは言っても、手作業による個体差が生じる。そうでなくても電気ではなく火の窯を使っているので、焼きの温度によって色味が違ったりする。



古い順にいくか、新しい順に行くかで一瞬迷ったが、普通に古い順にいったほうがいい。

伊万里焼の印判の歴史は、江戸中期に始まる。江戸中期にみられる印判は二種類ある。一つは古印判とも呼ばれる紙刷古印判(かみずりこいんばん)、もうひとつはコンニャク印判である。


古印判は持っていないので見せられないのだが、明治前期の型紙刷りと似ているので、線の感じはのちほど御覧いただきたい。江戸中期の紙刷古印判、明治前期の紙刷印判は、名前の通りどちらも紙を使ったもの。型紙を器の上に置いて、上から顔料を塗って刷る。小紋柄が多く、表面全体が古印判で絵付けされているものをよくみる。

江戸中期の古印判は、糸巻き型の小皿で出てくることが多い。あとは富士山型、折紙型、長皿、たまに丸い平皿でも見る。でもなぜか変形皿が多い。刷る技術が必要そうな形ばかりでずっと謎だなあと思っている。変形ってどっちかっていうと染付(手描き)のほうがカーブした部分とか描きやすそうじゃん。何が原因かは謎だが、うまく大量生産の体制を作れなかったようで、一度型紙刷りは途切れる。


コンニャク印判は名前の通りコンニャクを……と言いたいところだが、材質は分かってないらしい。コンニャクくらい柔らかいものを使っていたらしい。江戸中期から後期にかけて見られる。これはハンコのように用いたもので、器全面の絵付けはなく、ワンポイントで使われる。

中央だけがコンニャク印判

猪口、なます皿、小皿、と小ぶりな器に多い。器中央、見込みに五弁花のコンニャク印判を使用して、他の部分は普通に染付というパターンも多い。

コンニャク印判がメインの器もある。そういうのはレアなので高い。やわらかいものを使用しているので、線が滲んでぼんやりしている。輪郭線をコンニャク印判にして、その中を染付で埋めるということもやっている。かなりぼやけるので、洗練された印象にはなかなかならない。


次に印判が登場するのは、明治に入ってからである。明治前期に紙刷印判、明治後期〜大正期に銅判転写、大正〜昭和戦前にゴム印判が登場。色絵でもプリントの技法が明治後期から登場する。

明治前期の紙刷印判(紙刷、型紙刷り)は、小皿〜大皿、猪口、茶碗など広く用いられ、大量生産に成功したんですね!って感じになる。ほぼ同時期にそれまで使われていた呉須よりも安価なベロ藍が輸入され、紙刷はベロ藍とセットで普及する。渋柿で撥水加工を施した型紙を器の上に置き、そこをステンシルの要領で刷る。

丸の枠を見ると分かりやすいが、線が途切れている

線が細かく途切れ、見慣れないとどこがどういう塊で模様を作っているのか判りにくい線の太さや細かさが素朴な印象。だが、明治期は文明開化と重なるので、気球とかドレスとかのモダンなモチーフが出てくることもしばしば。そういう珍しい柄は図変わり(ずがわり)と呼ばれる。

東北の焼き物(とくに切込焼)に多い印象。以前、東北の焼き物の話をしたときにいくつか写真を載せているので、一緒にどうぞ。


明治後期〜大正期の銅判転写(銅判、銅印判)は、銅の判を用いる。型紙はやはり耐久性が問題だったようで、より強い素材になった。紙と違って硬く器に沿わせられないため、一度紙に図柄を写してから、その紙を器につけて絵付けをする。こちらもあらゆる器に用いられる。

一気に洋食器っぽくなる

銅なので耐久性があり、細かな線が得意。染付より細かいので繊細な印象。上品で可愛らしい雰囲気になる。うさぎや犬など図変わりも出てくる。洋館とかある。

注意点としては、判ズレが多い。謎の隙間ができてたりする。あとは判の切れ目がわかりやすい。あとは線がボヤけてたりくっきりしてたり、個体差が大きい。

判の切れ目が重なって、その部分だけ濃くなっている


図変わりは当然染付にもあるが、印判手(印判を用いた絵付けが施された器のこと)の図変わりを染付と区別して、図変わり印判と呼ぶ。

左:紙刷の世界地図。茶碗の蓋。
右:銅判の世界地図。小皿。
銅判は青だけでなく、緑や茶色も出てくる。


一つ面白い作例として、以前シュークリームに似合う皿を探すタイムスリップの旅という記事を書いたのだが、その時に出てきた青磁を挙げたい。

これ。

これは外側の茶色の花が紙刷で、中央見込みの青い部分が銅判になっている。明治後期の製作とみて間違いなさそうだが、このように異なる印判が同時に使われた例は少ない。

こうしてみると、歴史はココ!っていう区切りがあるんじゃなくて、連続的な営みなんだなあと思わされますね。されます?


大正〜昭和戦前にはゴム印判(ゴム印、ゴム判とも)が登場する。銅判は優秀だが、戦争で金属が回収されてしまったので、別の素材に移行した。この時期に銅判が全くなくなるわけではないが、かなり少ない。これも結構いろんな器で用いられているが、風景図など地味な柄が多い。

にわとりは派手な方。

これまで出てきたものの中ではコンニャク印判に近い。コンニャク印判よりシャープだが、ハンコのような線。ハンコを捺したときの、外側にインクが貯まる感じがある。


そのあとは今のようなプリントが普及。スシローの茶碗蒸しの器のような、手描き風のプリントもある。



ついでに色絵のプリントも。こっちはあんまり詳しくないや。分かることだけ書こう。

色絵プリントは、明治後期くらいから出てくるが、大正期に増える。

大正

大正の色絵プリントは、線が太く洗練されていない。レトロな感じとも言える。手作業感がものすごく出ていて、輪郭線から色がはみ出しまくっている。

昭和?

今くらい細かなプリントが出てくる時期は正直分からないのだが、多分昭和戦後になるんじゃなかろうか。オールドノリタケ、オールドナルミとかのあたり?TOTOがまだ東洋陶器会社として器を作ってたときとか?

現代のプリントの色絵和食器は、プリントの技術が高くてちゃんと見ないとプリントかどうか見分けがつきにくい。本当にすごい。吉野家の丼など。観光地や和物雑貨屋で見かける、九谷焼の小皿はかなりの確率でプリントである。柄が可愛いのが多いし、プリントな分大量生産に成功していて、割と手が届く価格帯な気がする。


色絵ついでに金彩の話をすると、江戸期はピンクっぽい感じがあって、明治期はしっとりめ。大正に入ると急にギラギラして、下品な感じがちょっと出る。

江戸幕末
明治期

買った理由集」の鎌がギラギラすぎたのは、この金彩の変化があったせいだと思う。しっとりめの方は蒔絵みたいなしっとりさなんだけど、ギラギラの方は金箔を貼ってる感じなんだよな。

「買った理由集」より抜粋


という感じでした。今まで書いてきた記事を引用しまくってて、総集編みたいになってるけど、まだ器のはなしは続けようかなと思っている。


次回更新 12/19:器の話をするよ多分。
※だいたいリサーチ不足ですので、変なこと言ってたら教えてください。気になったらちゃんと調べることをお勧めします。


めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。