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小説 「抽象画」

 どうにも頭に来て仕方がなかったから、あの店へ行くことにした。これでもう何度目のドタキャンだろう?せめて次の予定を決めておくとか何かあるだろうに、あいつときたら、しゃあしゃあと「飲み会も仕事のうちなんだよ。」いつか、それが実は合コンだったとバレたことがあったくせに。何が仕事だよ。

 いつもの席が空いていたのはラッキーだと思う。これだけでもかなり嬉しいことだと言い聞かせるけど、やっぱりムカつく。悲しいやら情けないやら、ヘビメタと演歌とベートーヴェンを同時に聴いているみたいな気分。このなかで、どれが一番ボリュームが大きい?……そんなバカげたことを考えながら座って水を飲んだら、カフェで流れているBGMはアップテンポな洋楽だと気付く。

 しばらくうつむきがちだったけど、店内を見まわすと、あのお客さんがいた。おそらく70代だと思われる。いつも素敵な服装で、ゆったり過ごしているのが印象的な老紳士。ある時はスーツを着こなしているし、ある時はカジュアルな格好で、スマホで音楽を聴いたりしている。ほぼ定食を注文し、野菜をおかわりすることが多い。今日はまだ飲み物しか頼んでいないようだ。品の良さと遊び心が感じられるようなセーターを着て、パソコンで何かを見ている。

 大好きなカフェラテとシフォンケーキが運ばれてきて、気分が上がった。スマホで写真を撮る。わたしは椅子にもたれて、両手でカップを持ち、ひとくち飲んだ。……あいつ、今日のことなんてまるでなかったみたいに、またしゃあしゃあと連絡してくる気がする…。その時、わたしはどうするんだろう……?シフォンケーキが、なんだか遠くにぼんやり見えてきて、わたしは焦って食べはじめた。

 店のカウベルが鳴り、今日はけっこう込みそうだなと思った。すると老紳士の隣の席に、もうひとりの、なじみの客が座った。げっ、と思った。店主や店員によく話しかけている男で、年は老紳士より若そうではある。前に一度、酔って店主に絡みだし、以来店主からまともに相手にされていない。今日も店主相手に、何かをまくしたてるのかと思いきや、酔っぱらい野郎は急に老紳士に話しかけた。

 「いつも思ってたんだけどさぁ、あんた、ドレッシングかけすぎてないか?旨いのはわかるけどさぁ、お互い年なんだし、少なめにした方がいいんじゃないの?」

 はあ!?老紳士はそういうところもいいんだよ!だいたいなんでおまえにそんなこと言われなきゃいけないわけ?!じゃあ老紳士の普段の食生活とか知ってるわけ?!

 わたしは内心そう思いつつ、ふたりの様子をそれとなく見て、聞いていた。老紳士はおそらく無視したのだろう、店主を呼んで、野菜のおかわりをいつものように頼んだ。

 その時、店のカウベルが鳴り、母親と3歳くらいの男児の親子が入ってきた。やはり今日は込む日なのだろうか。男児はなわとびを持っていた。おしぼりと水が運ばれてきて、母親が、「ほら、これからごはんなんだから、手をふくのよ。」と言ったが、男児は、「やだ!!ぼくもっとなわとびしたかったもん!!」「……ごはん食べ終わったら、またあとでできるでしょ?」母親はおだやかに返した。「あとでじゃない、今ここでなわとびする!!」「なに言ってるの、座りなさい、わがまま言わないの、ここはそういうところじゃないの!!」母親は店主や店員の方を見て、申し訳なさそうに頭を下げた。すると店主がやってきて、男児と同じ視線になるようしゃがんで、

 「なわとびが出来るようになったの?!すごいね!でも、お母さんが言うように、ここは、なわとびも出来るといえば出来るけど…ごはんを食べたり、ゆっくりお茶を飲んだりするところなんだ。ほら、みんなそうしているでしょう?……でも君がどうしても今、なわとびをしたいなら、そうだな……僕が5秒数えるあいだだけ、なわとびしてもいいよ、この約束が守れるなら、ね。」と言った。すると男児は、「わかった!」と言って、なわとびをしっかり持って席を立った。母親と店員が、男児の近くにあるテーブルや椅子を離した。

 「OK、じゃあいくよ、せーの、1,2,3,4,5!」

 男児は店主のかけ声に合わせて5回ほどなわとびを飛んだ。店内からは拍手が起こった。わたしもほほえましくなって拍手をした。男児は「じゃあ、ぼくもうここでは遊ばない!」と誇らしげに言って席にもどり、おしぼりで手をふいた。店内からは笑いが起こった。それからこの親子を見守るような雰囲気で店内の時が流れていった。

 と、その時、ガタン、と何かが落ちたような音がした。様子をうかがうと、「絵が落ちちゃったんだ!」と男児が言って、不安げな表情になっていた。親子の席の近くにある額が落ちてしまったようだった。母親がしゃがんで、「やっぱりうちの子がなわとびなんかするから…すみません……」と言った。店主が飛んで来て、「いいえいいえ、それより、大丈夫ですか?ケガはないですか?……額縁から絵がとれただけみたいですね、大丈夫ですよ。」と言いながら、カウンターへと運んだ。

 老紳士がカウンターへ行き、額縁と絵をもとに戻すのを手伝いはじめた。わたしは、やっぱ老紳士はさすがだなあ、と思った。すると酔っぱらい野郎もやって来て、上からのぞきこむようにして「オレん家にもこんなのあるよ!持ってきてやるよ!」と言った。わたしはうんざりしたが、いつの間にか男児の母親も来ていて、店主と老紳士と共に手伝っているのを見て、わたしにも何かできることはないか、と思った。そして男児がひとりで席にいるので、近づいて、少し離れた場所に座って、ナポリタンを食べているのを見守った。

 「なわとび、上手だったよ。」と言ったら、男児はもぐもぐしながら大きくうなずいた。店主と老紳士が、直した額をもとの位置にセットした。酔っぱらい野郎が、「また落ちなきゃいいけどなー!」と言って店を出て行った。店主が「ありがとうございましたー。」と言ったが棒読みだった。母親が戻って来たので、「あの、お母さんがいないあいだ、少しですが、見守ってたというか……。でしゃばってたらすみません。」と言った。母親は「いいえ、とんでもないです、ありがとうございます。」と恐縮していた。

 店内の客の視線はいったん額に向かったが、その後はふたたび、それぞれの過ごし方へと戻った。

 わたしも席に戻り、残りのシフォンケーキを食べ、カフェラテを飲んだ。しばらくすると、母親と男児の親子も会計をすませて店を出て行った。またいつか、会えるんだろうか……。

 客が少なくなってきて、外も暗くなってきている。もとに戻った額をしばらく眺めた。あらためて見てみると、風景画を、抽象画のようにあえて描いたもののように見えた。空の水色と、木の茶色、緑、花の黄色やピンク、紫。今までにあいつと出かけた場所や、一緒に食べたものを、思い出していた。スマホを取り出して、写真を見つめた。

 もう一度額を見て、あいつがこの絵を見たら、何に見えると言うだろうか……?と思った。


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