*蘭蘭*twin

脳出血⇒右半身片麻痺⇒左利きとして前向きに生活しています。病気の経験を執筆中(2020…

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脳出血⇒右半身片麻痺⇒左利きとして前向きに生活しています。病気の経験を執筆中(2020年間秋出版予定)エレファントカシマシが大好き。note初心者、今後の自分の可能性を広げていきたい!どうぞよろしくお願いいたします。

最近の記事

素人の私が出版を目指した理由

『何て無謀なことにチャレンジしているのか』 今でも毎日、思っています。 私は4年半前に脳出血で倒れ、後遺症で右半身に麻痺が残りました。現在、何とか社会復帰したのですが杖歩行する日々、体調には波があります。 倒れてすぐは自分では動くことも出来ず、回復を目指して必死にリハビリに取り組みました。 入院中から『こんな経験はそうそう出来ない。絶対に記録に残そう』と思っていたのです。 実際に執筆しようと決めたのは、倒れて2年が経過した頃でした。 本を出版したことなどありませんし、

    • 「新しい生活様式」を考える

      気付けば9ヶ月近く、noteに何も書いていない日々を過ごしていました。 ワクワクした気持ちで迎えた2020年。 まさか、こんな事態になろうとは、予想だにしていませんでした。 日本も世界も、今までの日常を取り戻すことは容易なことではないと、連日のニュースからも感じます。 昨日「新しい生活様式」について発表されました。 細かな点について、すべて今後の生活に必要なことだと理解し、努力したいと思います。 昨日夕方、スーパーに食材を買いに行きました。 入口にはアルコール消毒、

      • 8月13日

        父が亡くなって10年が経ちました。 14年前の今日、父は自宅で倒れ、救急車で掛かり付けの総合病院に運ばれました。意識はありましたが、血圧は200を越えていました。 病院でのCT検査で異常がないので、帰宅してよいと言われました。私は 「帰宅してよい状態には思えません。入院させていただけませんか?」 と頼みました。 そして、より脳の状態が分かるMRI検査を頼みました。 病院側から 「今日は、検査技師がいないので出来ません」 と返答されました。何とか1日入院はさせても

        • 悲しみの感情と向き合った先に……

          7月7日、東京は1日雨でした。私は倒れて3年半かけて、やっと自分の悲しみの感情と向き合うことができました。 前日、奇跡的に初めてチケットがとれたエレファントカシマシ日比谷野音ライブに感動し、生きている喜びを実感。 その余韻を持ちながら、雨にも負けず、エレファントカシマシのルーツである赤羽へ。 いろんな場所に出掛け、嬉しかったのです。 しかし同時に今の私が、普通に歩くことが出来ないこと、左手で不器用にしか食事ができないこと、一緒にいてくれる方にご迷惑をかけていること……

        素人の私が出版を目指した理由

          1/2の終わりに

          年賀状は数年前から、年始に制作し、送ることにしています。(年賀状をくださる方には申し訳ないのですが) 今年は、ここ数年の中でも、かなり遅めの制作になりました。本当はアクリル絵の具で描く予定が、鉛筆+色鉛筆少しのスケッチに… ※ラフスケッチを作品としてしまう、初の事態に。 脳と体が 「今年はここが限界で……」 と訴えて来たので、描く私としては不本意でしたが 出来上がったスケッチを、年賀状の絵として使用したのです。 ただ、スマホの機能に助けられ イメージしているものを何と

          1/2の終わりに

          10年

          父が亡くなって、今日でもう10年です。 この月日が長く感じたり、あっという間に感じたり、両方の感覚が交錯します。 この10年、自分は何かを成し遂げたか?そればかりを考える日々です。 父が亡くなって6年後、私自身が父と同じ脳疾患に倒れました。 私は、何とか命を助けていただき、リハビリ後、社会復帰できました。 しかし父は倒れて4年、亡くなる日まで意識はありながら1度も話すことも出来ず、体を動かすこともできず、水一滴すら飲むことも出来ませんでした…… どんなに辛かっただろう

          本当に見た光景

          本当に見た光景

          弱者になったのか?

          約3年半前に脳出血で倒れて以来、私が片麻痺障害者になったことは、以前からnoteでも書いています。 最近、テレビ番組などで 私のような片麻痺障害者だけでなく 様々な障害について特集されているのを 目にします。 私は、自分が障害者になったことで 『もっと障害について学ぼう』 と思い始めました。 ただ、今は自分の体と向き合いながら、 自分の障害である「片麻痺」について 深く学ぶことで精一杯の日々です。 時間を巻き戻して、約3年半前に戻ったら 今の状態を私は、想像だにしなか

          弱者になったのか?

          倒れる2年前の作品が意味したものは?

          倒れる2年前の作品が意味したものは?

          「a fork」分岐点

          「a fork」分岐点

          全力

          「全力」 皆さんは、この言葉をどんな風に感じていらっしゃるでしょうか? 昔、私は学生時代に全力で一生懸命いろいろと取り組み、思うような結果が出せなかった時がありました。周りのスマートに何でも出来る人を見て、羨ましく思う時もありました。 全力で頑張る自分が馬鹿げているような、そんな気さえ、しました。 スマートに何事も出来る人から見たら、きっと、『自分は全力でやっても結果が出せない、力のない人間なんだ』 と、卑下する自分がいました。 全力ってダサいのか? 効率やスマート

          音楽療法

          さっきから気になって「音楽療法」についてネット検索してたのですが、私は、ずっと勘違いしたいたことに気付きました。 音楽療法=音楽を聴くことで症状の改善を促す と思っていたのです。 しかし検索したら、聴く療法と好きな楽器などを演奏する方法があるようで。 なぜ急に「音楽療法」が気になったかというと 今日、月に一度の脳神経外科の診察があったからなのです。 私は脳出血発症後、右半身に麻痺が残った片麻痺障害者です。様々起こる右半身の症状を抑えるために約3年、薬の調整をして今の

          音楽療法

          成功者を羨ましいと思う時

          いつの時も、世の中で「成功者」と呼ばれる人を、私は羨む時があります。 ・仕事で成功していて羨ましい ・お金持ちっていいな ・容姿端麗の人っていいな ・見るからに幸せそう…… あげたらキリがないですが、テレビや雑誌などで「成功者」が取り上げられる度に、『羨ましい』という気持ちが芽生えます。 『他人が羨ましい』という気持ちが芽生えるのですが、その時にどんな心理状態なのか、考えてみました。 ・現状に満足できていない ・自分はこんなはずじゃなかった ・どうせ私は「成功者」とは

          成功者を羨ましいと思う時

          ライフデザイン

          よく聞く言葉です。 最近、強く意識をし始めました。 ライフデザインを検索してみると、 「人生設計」「生活設計」などの言葉が出てきます。 私が幼い頃からの学校教育では ライフデザインなんて言葉は、もちろん聞いたことはありません。将来に関しては、だいたい規定路線の紹介があり、そこに向かって努力する時代でした。 今からでも遅くない?多様化の時代、生き方、価値観も様々です。 自分のライフデザインを描くことを 年齢に関係なく始めてみることも よいのではないか、と思えるようになり

          ライフデザイン

          諦める気持ちからの脱却

          ○○がしたい ○○に挑戦したい という気持ちを持った時 ①やっぱり難しそうだから諦めよう ②とりあえず、やってみよう どちらを選ぶかで、人生は大きく変わるのは 言うまでもないでしょう。 私は①②のどちらの考えも持ちつつ どこかで 『無理そうだ』 と決めて行動していた気がします。 他人は、いろいろと言います。 よくも悪くも、心配という名のアドバイスをくれます。 今までの自分の人生、すべてを否定はしません。 今の自分があるのは、当然、過去の自分がいたからで。 障害者

          諦める気持ちからの脱却

          障害をチャンスに

          ピンチをチャンスに こんなフレーズを、よく聞いたことがあります。 学生時代も 「ピンチが来た時こそチャンスと思え」 と、熱く語られる先生がいました。 障害者になった時に、 この言葉は思い出されたのですが 『障害者になったことがチャンスとは思えないな』 正直、そう感じたものです。 障害だけでなく、病気も含め 自分の身に何かが起きた時 もちろん心は揺れ動きます。 心の揺れを認めつつ 『病気になった自分に、これから何ができるか?』 を考えるようになってから、変

          障害をチャンスに