8月13日

父が亡くなって10年が経ちました。

14年前の今日、父は自宅で倒れ、救急車で掛かり付けの総合病院に運ばれました。意識はありましたが、血圧は200を越えていました。

病院でのCT検査で異常がないので、帰宅してよいと言われました。私は

「帰宅してよい状態には思えません。入院させていただけませんか?」

と頼みました。
そして、より脳の状態が分かるMRI検査を頼みました。

病院側から

「今日は、検査技師がいないので出来ません」

と返答されました。何とか1日入院はさせてもらえることになり、夜、ベッドに横たわる父に

「大丈夫? 今日は病院にいた方が安心だから、
ゆっくり休んで」
と言い、帰宅しました。

父も頷いていたので、帰宅したのですが……

翌日、病院に行くと容態が急変していたのです。

看護師の方から、朝に薬を飲んでもらおうと水を渡したが、水を自力で飲むことが出来ず、再度検査に行ったことを聞きました。

父が言葉を発することは、もうありませんでした。

私自身も事態が分からず混乱していましたが、父の不安を少しでも取り除きたく、

「今は話せなくて体もきついと思うけど、調べてもらってるからね」
と伝え、
「何か言いたいことがあったら、これに書いて!」
と、父にペン紙を渡しました。

父は、力が入らない手でペンを握り、何かを書きます。その字は解読不能でした……

「うんうん、分かった。今はとにかく、ゆっくり休んで」

父からペンを受け取りました。

私は医師ではないですが、この瞬間、父は倒れる前の父には戻れないことを直感したのです。

その後、医師に呼ばれ、父の状態について説明を受けました。脳の画像を見ながら

「お父様は、脳幹梗塞を起こしています。脳幹は一番大事な場所で脳の中心にあり、手術は無理です。厳しい言い方になりますが、持って10日程だと思ってください。突然呼吸が止まることも考えられます」

『何でそんなあっさり言うんだ? 運ばれた時にどこも異常がないから帰宅してもいいって言ったじゃないか!』

心の中で怒りが湧き、その事をぶつけてみた。
医師は

「昨日は異常がなかったのです。今朝、水が飲めなかったので検査をしたら分かりました。夜中に急変したのでしょう」

『何だって!そんなことを簡単な口調で言うなよ!』

怒りは収まりませんでしたが、私を含め、家族は無力でした……

その日から、父の壮絶な日々が始まりました。

10日で亡くなると言われましたが、4年近く生き抜きました。何も話せず、水を一滴も飲めず、体を動かすこともできず……


父を救う力と判断力がなかった自分を責め続ける日々です。あの時すぐに、MRI検査が出来る病院に搬送依頼を出来なかった自分が、今でも情けないです。

14年前、病院からの帰り、車を運転しながら
1人で号泣したことを思い出します。

病院を批判するつもりはありません。
私は自分の判断力、行動力のなさに、今も後悔し続けているのです。

人はいつか亡くなります。

ただ、何とかできたかもしれないという後悔を
家族が持つことは、本当に辛いです。

今、後悔しても仕方がないことは分かっています。
これからは残された者が、しっかり生き、病に倒れても納得いく診断や治療を受けることが出来る方法だけは、身につけなければならないと考えています。

私自身、約4年前に脳出血で倒れ、現在、片麻痺障害者です。たくさんの方のおかげで命を助けられ、今生きています。

病院や医師との向き合い方、病気に関する知識など、後悔しないように、日々考え、行動しています。

8月13日
毎年、様々な思いが頭を駆け巡ります。

『空から父は見てくれているだろうか?』

『私は、お父さんに似て同じような病に倒れたけど、今をしっかり生きてるよ。目標もできた。無謀な挑戦だけど、やってみるよ』

『お父さん、あの時、ベストな判断できなくて4年も辛い思いさせて、ごめんね……』

今日は、父が帰って来ると信じて。

また、いろいろ話したい……
あまり、ご馳走は用意できませんが
待ってます。

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