弱者になったのか?

約3年半前に脳出血で倒れて以来、私が片麻痺障害者になったことは、以前からnoteでも書いています。

最近、テレビ番組などで
私のような片麻痺障害者だけでなく
様々な障害について特集されているのを
目にします。

私は、自分が障害者になったことで
『もっと障害について学ぼう』
と思い始めました。

ただ、今は自分の体と向き合いながら、
自分の障害である「片麻痺」について
深く学ぶことで精一杯の日々です。

時間を巻き戻して、約3年半前に戻ったら
今の状態を私は、想像だにしなかったでしょう。

先程、投稿した作品「Go straight !」
前回投稿した作品「a fork」は
倒れる約2年前に描いたものです。

どちらも道をテーマとした作品で
不思議と、2つ同時にアイデアが浮かびました。
絵は全く違うのですが、どちらも共通しているのは
『先が見えない』
ことです。
当時の心境を表しているとは思います。
しかし、私の現在を予言している気がしてならない
そんな風に思うようになりました。

「Go straight !」に関しては
一見、先の見えない未来へ進んでいくイメージを持ちますが、私が一番描き込んだのは、重く下の道を覆う、上にある道路橋の鉄材部分でした。

私は、下の道を一生懸命走っていますが
上から何か重みのあるものがプレッシャーをかけているような……その中で見えない先へ、何とか進もうとしています。

この作品を描いた当時、仕事に忙殺される日々を過ごしていました。
そして、作品を描いた約2年後、私は倒れました。

障害者になったことは、社会的弱者になったのか?

最近、常にこのことを考えるようになりました。
様々な制度を学ぶ度、出掛けた場所で辛いことがある度に、
『私は社会的に弱者になったのだ』
と思い始めました。

では、倒れる前は強者だったのか?
表現に語弊があるかもしれませんが
障害者になる前の私は

「強者のつもり」
でいたのです。

特別に凄い成功者でもなく、会社で凄い役職についていた訳でもなかった私が、どこからか

一応、社会人として普通に働いている

自分は、割りと強い人間かも

今思うと、何て単純な思考しか持てなかったのだろう、と自分が恥ずかしくなります。

強者、弱者
こんな言葉では人間の本質が語れないことを
私は、今さらながら考え始めたのです。

倒れなければ、障害者にならなければ
あのまま順調に仕事ができていれば……

何度か思ったことはあります。

しかし、体が不自由になってから
私は、逆に自由になりました。

固定観念や囚われから解放され
無謀と思われることにも挑戦しようと思えています。

2つの作品は、未来を暗示していた感じです。
利き手を交換した今、また絵を描いたら、どんな作品ができるか、楽しみでもあります。
私は、社会的弱者かもしれませんが
心は自由で、何かに怯えることも無くなりました。

再度いただいた命ですから
もう迷わず、自由に前を向いて進むだけです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!



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