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真昼なのに昏い部屋(江國香織)

"明るい不倫小説です。"

これは本書を読んだ他の誰かのレビューだ。
その一文に興味を持ち、手に取ってみた。
短めの小説だが、読み終わった後じわじわとくるものがある。
まぎれもなく"明るい不倫"だった。
不倫は、悪いことですか?
あなたは、悪いと言い切れますか。
これは、1人の女性の再生の物語だ。

本書を、この次に書きたいと思っている『三人の女たちの抗えない欲望』というノンフィクション小説にも繋げる形で書評したい。

ざっくりとしたあらすじはこんな感じだ。

主人公は、美弥子さん。
家事もしっかりこなし、「自分がきちんとしていると思えることが好き」な主婦だ。
会社社長の夫・浩さんとは学生時代に知り合って、結婚した。
裕福な人たちが暮らす住宅街で、広い家に住んでいる。
2人には、子供はいない。
浩さんは、多分妻には自分のことと、通院必須の母親のことだけを世話してもらいたいと思っている。年々子供のようになっていく浩さんを見て、一体自分は彼の何なのだろうと疑問を持ち始めていた。
そんな中、ひょんなことから出会った大学の先生でアメリカ人のジョーンズさんと、惹かれあう。
散歩をしたり、ピクニックをしたり。
楽しい時間を過ごすようになる。
ドキドキする気持ちはあるけれど、おしゃべりや散歩をすることは、別に悪いことじゃない。そうよね?と自分に言い聞かせる。
でもついに近所の主婦に不審に思われ、夫から問い詰められるのだ。しかし、肉体関係も持っていない、ただ散歩しているだけだと美弥子さんは言う。実際、そうだからだ。でも、浩さんは許してくれないーー

そして紆余曲折あるのだが、
最後、美弥子さんは、ジョーンズさんとも別れ、夫とも別れることになるのだ。

かなしすぎる。やっぱりバッドエンドか。とレビューに書いている人もいた。

しかし私はこの結末を、ハッピーエンドだと思っている。少なくとも美弥子さんにとってはハッピーエンドであると思うのだ。

美弥子さんは、きちんとした自分でいることが好きだったのだ。それは、この世界で美弥子さんが生きる上で必要なことだった。
でも、きちんとした自分でいることは、誰のためなのだろうか。思ったことをすぐに口にしたりせず、時には我慢をする。話を聞いてくれない、目も合わせてくれない夫との関係に辟易してることを悟られないように"きちんと"生活するのは一体何のためなのだろう。

ジョーンズさんに出会い、彼女は自分自身と向き合うのだ。抑え込まれていた感情が溢れて、止まらなくなるのだ。
ジョーンズさんとの散歩は、すべての景色が180度変わって見えるのだ。
知らない世界に触れる2時間。

こうして『小鳥のようなミヤコさん』は、少しずつ鳥籠の外の世界に触れていく。
そしてついに、鳥籠の外へ出る。するとどんどん感じていく周囲との違い、違和感。そしてこう呟くのだ。

「ほら、やっぱり私は世界の外に出てしまった」

美弥子さんは家を出る。
そこから少し、ジョーンズさんとがっつり肉体関係も含めて不倫の描写が入るのだが、ほぼ一瞬で終わる。

そしてジョーンズさんはふと気がつくのだ。
「もうミヤコさんは小鳥じゃない」

ジョーンズさんは美弥子さんにとって、外と内の境目の案内人だっただけだ。
不倫ではあるけど、重要なのはそこじゃないのだ。
不倫という少々というかかなりドラスティックな行為をきっかけとしただけであり、美弥子さんが自分自身を再生するための物語だ。

ここで一つの疑問が浮かぶ。
不倫は悪いこと、浮気は悪いことなのか?
今、1人の人と結婚して添い遂げるという結婚制度や、それに憧れを感じる気持ち、ロマンチックラブストーリーを求める心はもはや当たり前のように社会的価値として根付いている。

しかし、この小説の場合どうだろうか?

夫の浩さんは、従順な、言うことを聞く女だから美弥子さんと結婚したらしいのだ。
話も聞かないし、自分の母親の面倒を当たり前のように妻に見てもらおうとしているのだ。
妻の考えや、人格を尊重しているとはとても思えない。
一度は恋愛からスタートした結婚生活でも、そこがゴールではないはずなのだ。
しかし、浩さんは結婚して体裁を整えるのがゴールだったのだ。
『自分は従順できちんとした女と結婚して、社長やってる、きちんとした男です』と言いたいのだ。
いわゆるトロフィーワイフとしての結婚、社会的価値のある人間だと認めてもらいたいがゆえの結婚。そういった結婚に、意味はあるのだろうか。結果、釣った魚に餌はやらないような形で、妻の心は半分死んでいる。尊重など存在しないからだ。
そんな結婚生活を送ることに、意味はあるのか。

美弥子さんのやり方にも少々問題はあっただろう。でももはやわたしにはどっちもどっちに見えるのだ。
美弥子さんが、例えば依存症のように、不倫を隠しながら、繰り返している状態なら話は別なのだ。
無意識のうちに、自分と向き合うことを避けている逃避行動である。そして、夫にも結婚という社会制度にも甘えている。
しかし美弥子さんはここでも、"きちんとした"不倫妻であることを通した。離婚したのだ。
元いた世界の人々から非難されようとも、新しい自分を生きることを決めたのだ。

だからこそ、私もこの小説を、"明るい不倫"と言えるだろうと思う。自分で自分の行動に責任を取るのだ。

「自分のしたことだもの、ひきうけるわ」

と、言ってのけるのだった。

しかし、実際はここまで言い切れるのか。
例えば子供がいれば、どうだろうか?
また見え方も変わるはずである。
ロマンチックラブストーリーの結末は結婚だが、それに耐えられなくなる人は世の中にたくさんいるはずだ。
どの角度からどのように見るのが正解、とは決められない。

次回のnote(多分)で、いわゆるロマンチックラブイデオロギーに苦しむ3人の女性のノンフィクション小説について書評したいと思う。
まさに、事実は小説よりも奇なり、であった。もちろんハッピーエンドかバッドエンドかはわからない。現実は、死ぬまで終わらないからだ。

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