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「働く」ということについて

はじめまして。私は都内の大学院生です。大学院生となると学部卒の友人達より卒業が2年遅れます。そのため、友人から「働く」ということの大変さやしんどさを聞き、少し自分も働けるのかなと怯えてしまいます。同時に少し乱暴ですが、なら働くなよと子供みたいなことも思ってしまいます。

そもそも、なんで働くの?ということから考えると「生きるために」「お金の為に」「子供が生まれた時のために」とかでしょうか。ポジティブな意見だと「面白いから」「やりたいことだから」みたいな感じでしょうか。

友人からはよくお金がないと今後困るしね〜や生きていけないしね〜という話を聞きます。私は別に、仕事をしなくてもそんなにお金に困ることはないし、生きていけるんじゃないかなて思います。

現代の社会にはいろんな働き方をしている人がいるし、別にいなくても自分で考えて色んなやり方を模索して自分が働くと感じてしまう行為をしなくても働くという行為と同じだけの価値を見出すことのできるものを見つけたら良いんじゃないでしょうか。でもそれはすごい途方もなくて、見つけれるのかな〜〜て思っちゃいます。それにそれでちゃんと暮らしていけるのかな〜て思っちゃいます。なんかそんなこんなでやっぱり働くということをした方が良さそうだていう結論を出してしまうのですかね。

みたいな感じで、よく「お金のために働くのか」「自分がやりたいことだから働くのか」論争が私の周辺ではよく行われます。

なんだか、「自分がやりたいことだから働く」方がスマートでカッコよくて自分を持っていて考えて生きている感じがしませんか?

社会経験のない大学院生の私がいうのもあれですが、働くということってお金のためにでもやりたいからでもないけど、どっちでもあるみたいな、グレーゾーンの位置にあるんじゃないかなあ〜〜て今思っています。

グレーゾーンの物事って世の中にたくさんあって、ある事をこれはグレーだて決めつけることってなんだかモヤモヤして気持ちが悪いことなんですけど、そのモヤモヤに物事を閉じ込めてあげると少しその事の在り方がわかった気がするんですよね。

だから、二極論の論争になった時は、グレーゾーンの存在をちょっとだけ受け入れてあげるようにしたら良いのかなと思いました。

ただ、グレーゾーンに物事をしまい過ぎている大人の人はあまり好きではありません。

ある物事とある物事を一緒にグレーゾーンに入れて処理して、あしらおうとする人がたまにいますが、それはその人の経験則を基に考えることをやめてしまっているだけだと思います。

そんな風になってしまうと、少し考えればわかることもわからなくなってしまいそうですごい怖いです。

そんなこんなで話は発散しましたが、私は働くということのようなことはグレーゾーンに一旦投げてその時に応じて働くということの立ち位置を変えてあげれば良いんじゃないかなと思います。

そんな感じで来年から働いてみるかあ。


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