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魏志倭人伝から邪馬台国を読み解く 全編の目次

 『三国志の魏志倭人伝』を読んで当時の倭国、邪馬台国について考察した結果をまとめてみました。他にも『中国正史、古事記、日本書紀、風土記』なども参考にしています。これまでに読んだ様々な本から得た知識や、自分なりに考察した考えに基づいて、邪馬台国の時代の日本の古代の歴史について、解説した内容になります。


□はじめに

 ここでは、全編を自由に選んで読んで頂けるように、各テーマへのインデックスを用意しました。また、参考文献や参考Webサイトを記載しています。ご参照ください。

 それぞれのテーマごとに独立して記載していますので、全体の構成、ストーリー展開の流れを意識して書いてはいますが、全部読まなくても、ご興味のあるテーマだけでも、読んで頂けると幸いです。

 折角なので、印刷した本・紙とは異なるWeb公開文書のメリットを最大限に生かして、一度記事を公開した後も、読み返してみながら加筆修正をしたり、単語にWikipediaのリンクを張り付けて便利にしたりと、より充実した内容に修正し続けています。このため、しばらくして読み返して頂くと、内容が加筆されているかもしれません。

 本コラムは、完全な素人の歴史好きが歴史書を読む楽しみから、自ら書く楽しみへ初挑戦した物語です。ぜひ、ご一緒に古えの歴史へのロマンを感じて頂けると幸いです。

※2024年6月時点では、アクセスして頂いている数が多いランキングでは、以下の順位となります。

1位 その11 倭人の文化風習
2位 その1 倭の九州北部の国々
3位 その18 中国の正史と日本神話での倭国
4位 その8 魏志倭人伝の信憑性
5位 その5 邪馬壱国と邪馬台国論争

私自身が、この魏志倭人伝の邪馬台国解説シリーズの中から、ぜひ読んでほしいベスト3を選ぶと、以下の3つです。

その18 中国の正史と日本神話での倭国
その15 邪馬台国が九州内にあった根拠
その12 倭国大乱と卑弥呼の誕生

□目次

その1 倭の九州北部の国々
 官の呼び名と意味、宇美の由来、中国の面子

その2 特別な伊都国そして倭双国
 イトコク、漢文の特質、魏志倭人伝の継ぎ足し

その3 金印の奴国と倭国の記録
 志賀島の由来、倭国の名前、ワ国とイ国

その4 女王国の国々
 架空の国々

その5 邪馬壱国と邪馬台国論争
 壹(壱)と臺(台)の違い

その6 邪馬台国と争った狗奴国
 邪馬台国畿内説での狗奴国の比定地

その7 女王国以外の倭種の国々
 さつまいもととういもの意味

その8 魏志倭人伝の信憑性
 大和朝廷のえみしやえぞ、オーバーな記載理由

その9 邪馬台国への道のりの謎
 八百万の神々と方万里

その10 魏志倭人伝の世界 印象深い単語と意味
 死と血の穢れ、生口

その11 倭人の文化風習
 沖縄のハジチ

その12 倭国大乱と卑弥呼の誕生
 邪馬台国の状況を想像

その13 壱与の誕生と卑弥呼の暗殺説
 がめ煮、日本の太陽神、穢れと祓いと鎮魂

その14 中国への朝貢と年代
 朝貢の意味、徐福伝説、年長大

その15 邪馬台国が九州内にあった根拠
 日本海側ルート、邪馬台国畿内説の理由

その16  纒向遺跡と箸墓古墳
 卑弥呼の墓、統計学AI計算、炭素14計算

その17 倭国と邪馬台国の所在地
 京都郡の天孫降臨、ダンワラ古墳、長田大塚古墳

その18 中国の正史と日本神話での倭国
 讖緯思想と辛酉の年、香椎宮、ツクシの由来

その19  神武東遷の意味と大和
 宗史、二文字で善き字、やまとの名前

その20  日本の創世記 まとめ
 歴史を大局的にストーリーで捉える
  ※本シリーズはこれで終了
  
★次回:『謎の古墳時代を読み解く』新シリーズへ
  続きのシリーズもご覧ください。

□最後に 

 歴史専門家の魏志倭人伝の解説をしている書籍を読んでいると、中には「ここを東にするだけでことたりて、大和(奈良県)に行き着くのであり、南は書き間違えで、正しくは東だ」のようにかなり力強く断定している人もいます。もちろん、様々な考古学的な遺跡の調査なり、他の文献なども読んで、深い考察、総合的な判断により、その前提に邪馬台国が大和にある(やがてヤマト政権になるから)と確信された上での魏志倭人伝の解釈なんだとは思います。

 しかし、文献に対して、果たして結論ありきからの都合の良い解釈で論理的に正しいと言えるのか。それで、本当に他の全ての記述内容について、説明や解釈の整合性がとれていて、客観的に説明できるのか。といった点が疑問で、そういう都合の良い解釈での解説については、なかなか頭に入って来ませんでした。

 もう1つ、魏志倭人伝、邪馬台国の解釈になると、本当に驚く程の多種多様な説があります。倭国は、どこまでの範囲か、邪馬台国は何処か、卑弥呼、台与は誰だ、邪馬台国と大和政権は同じか、いや違う勢力か、大和政権は元は九州から東に移った、いや移っていない等々です。

 正直、どの作者が書かれた本や記事を読んでも、大和説だろうが、九州説だろうが、その他の場所でも、個人的に知らなかった事や賛同や勉強になる部分は必ず沢山あります。一方でその解釈はちょっと違うのではと解釈が異なる部分も多々あります。つまり、特に古代史の歴史考察においては、きっと誰もが全く一緒の捉え方や考え方というのは存在しないのではないかと感じました。きっと、それぞれの魏志倭人伝解釈があり、邪馬台国論があるわけで、ある意味、各人がそれぞれを正解と思える世界なのだと思いました。(いつの日か確実な遺跡の発掘や、科学的に証明される日がくる迄は)

 この上記の2つがモチベーションとなり、だったら自分で書いてみたいと思い、自分なりの歴史考察をここにまとめてみました。

 このため、魏志倭人伝の現代和訳や定説の解説がしたいや、ユニークな奇抜な案を考えたとかではなく、とにかく純粋に当時の中国人や倭人の状況を考えて、もっと素直に『魏志倭人伝』を読んで、今まで学んだ知識とあわせてシンプルに考察し、自分なりに表現しています。

 書いて行くに当たり、出来る限り局地的な話に終始したりせずに大局的な多角的な視点から考えるようにし、また、1つのことにこだわり一点突破な理由づけだけで押し通すことはしないよう、複数の理由づけ、複数の多角的な根拠を挙げるように心がけました。(邪馬台国を論じるとき、狭い範囲の視点か、1つの切り口だけ捉えて、一点張りの理由で結論づける方も結構いますが、そうじゃない可能性もあると思うため。)

 書いていてなぜか妙に思い出してしまったのは、大学時代に、一般教養で習った「哲学」の先生が話していた事です。(ちなみに、私は理系出身で、哲学や歴史の専門ではないです。)「哲学では、その主張や考えが正しいか、科学や倫理に基づくか、正義かどうかはどうでも良い話だ。ただそこに、論理的な矛盾のない説明があり、他人を納得させれるだけの説得力があるかどうかが問われる学問だ」というような話をされていて、強く心に残っていました。そうか、魏志倭人伝って、歴史を語るっていうことは、実は哲学なんだなと今回新たに感じた次第です。

 それにしても、漢字でわずか2,000文字程の『魏志倭人伝』が、簡単に数万文字にも膨らむなんて、やっぱり『魏志倭人伝』は本当に凄い魅力があります!

 執筆にあたり、読みやすい構成や文章、分かりやすい論理的な説明を心がけたつもりです。もし、読んでいた後の感想が、読みやすかった、分かりやすかったと感じて頂けたり、内容的に、少しでも知らなかった事がご紹介できたり、参考になったり、面白かったと思って頂けたならば、本当に嬉しい限りです。😊

最後までお読み頂きありがとうございました。😊

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