見出し画像

魏志倭人伝から邪馬台国を読み解く その1 倭の九州北部の国々

 まず始めに『魏志倭人伝』に登場する倭国の「邪馬台国」までの国々について考察します。倭国の中の国々で場所が概ね判明しているのは、九州北部の国々だけです。

□邪馬台国までの倭の国々

魏志倭人伝』に登場する倭の国々を「邪馬台国」まで順に並べると以下となる。

 なぜ国名を単純に順番に並べて考察するのかというと、古代中国では、特に遠方になればなるほど、そもそも辺境の周辺属国である他国への距離感などは、非常に曖昧で大した意味を持たなかったという考え方があるからと、そのような背景下でも、邪馬台国までの道のりという意味での意味を持ち、登場する順場は、全体の大局を捉えることが出来ると考えたからである。 

 補足ですが、当時の中国側では洛陽の都を起点として、四方の一万里や一万二千里くらいまでが中国側の管理下と考えられていて(方万里)、その距離としては丁度韓国の楽浪郡帯方群あたりまでが境界となっていたようです。そこより外側はもはや蛮族の住む東夷となり遠い辺境の国々の扱いであり、関心も低くなり、情報も曖昧いだったようです。

対馬国(1番目の国)
 大官 卑狗(ひこ、ひく)
 副  卑奴母離(ひなもり)
 千余戸
一大国(一支国)
 官 卑狗(ひこ、ひく)
 副 卑奴母離(ひなもり)
 三千軒
末盧国
 (官、副の記載はなし)
 四千与戸
伊都国
 代々王が治める
 官 爾支(にき、ねぎ、じき、にぎ)
 副官 
  泄謨觚(せつもこ、せつぼこ、
      せもこ、えもこ、しまこ)
  柄渠觚(ひょうごこ、へいきょこ、 
       へごこ、へくこ、ひくこ)
 千余戸
奴国
 官 兕馬觚(しまこ、じまこ、じばこ)
 副 卑奴母離(ひなもり)
 二万余戸
不弥国
 官 多模(たも、たま)
 副 卑奴母離(ひなもり)
 千余家
投馬国
 官 弥弥(みみ)
 副 弥弥那利(みみなり)
 五万余戸
邪馬壱国(邪馬台国)(8番目の国)
 官 伊支馬(いきま、いしま)
 副(次) 弥馬升(みましよう、みまし、みまと)
 副(次) 弥馬獲支(みまわき、みまかくき、
        みまわけ、みまかし)
 副(次) 奴佳鞮(なかてい、ぬかてい、
        なかで、なかて)
 七万余戸

 1番目の対馬国から5番の奴国までは、一般的に比定地が確定していると思われている国々となる。

 奴国が、福岡県福岡市志賀島で有名な金印(漢委奴国王印)が発見された国である。全て九州の北部に存在している。ここまでの1つ1つの国はそれほど大きくなく、小さな単位であることが分かる。つまり、当時の国は、今の村や町や郡のような感覚である。国と国との距離も非常に近い。このことは、邪馬台国を考える上で重要なポイントの1つだと思う。

 なお、一大国(一支国)と邪馬壱国(邪馬台国)だけ、漢字表記が2つ書いてあるのは、中国の各時代の歴史書により漢字が異なっているからだ。実は『魏志倭人伝』には、「一大国」と「邪馬壱国」と書かれている。詳細については、邪馬台国を例に後述する。(その5 邪馬壱国と邪馬台国論争参照)

 対馬国は長崎県対馬、一大国(一支国)は、長崎県壱岐)、末盧国(まつろこく、まつらこく)は佐賀県唐津(旧地域名は松浦)、伊都国は福岡県糸島、奴国(なこく)は福岡県福岡市や春日市(旧那珂郡、糟屋郡など那珂川(なかがわ)が流れている地域、福岡平野一帯)が一般的な比定地となる。実際に奴国の「漢委奴國王」の金印が福岡市で見つかっているのも大きく、ここまでの最初の5カ国の所在地は、地名や遺跡や記載の内容の距離感や行程などから考えても、ほぼ間違いないと思う。

 対馬国の説明には、「無良田 食海物自活 乗船南北市糴」という記載がある。「良い田はなく、海産物を採取して自活している。北の韓国や南の倭国の市場に穀物を買いに行く。」のような意味となる。この説明からも、当時の朝鮮半島諸国と倭国が生活文化圏で普通に繋がっていること、日常的に行き来していたことが良く分かる。

 ここで上記の官名の読み方について、少し思ったことを記載しておきます。色々な読み方、書籍や人により読み方が違うため、ここでは、色々な読み方を併記しています。

 そこで気になったのですが、固有名詞の場合は、例えば、漢字3文字の「泄謨觚」だと、4音の「せつもこ」や「せつぼこ」等の読み方ではなく、漢字の字数と同じ3音の「せもこ、えもこ、しまこ」等の読みの方が、正しい可能性が高いのではないかと思っています。なぜならば、仮に倭人が「やまぐち」という聞いたことのない4音の名前を当時の中国人に伝えた場合、彼らは「山口」や「邪馬口」などと2文字や3文字で書き表すよりも、「邪馬偶知」や、「矢魔愚地」のような4音で素直に表現しそうなイメージがあるからです。そうでないと、記録した彼ら中国人側も後に読み方が分からなくなりそうです。ただし、もちろん、中には例外的なケースもあるとは思います。例えば、一字の漢字で、読み方の音が一種類しかなく、その読みは2音の漢字の場合等です。

 仮にもしも、そうだったとすると、そもそも「邪馬台国」は、「ヤマタイ国」や「ヤマダイ国」等ではなく、例えば「ヤマド国、ヤバド国、ヤマト国」のような3音での発音になると思います。もちろん、古代中国では、他国の聞いたことのない固有名詞の場合、漢文の漢字と音数が同じになるように書くのが通常という仮説が正しいのかどうかは分かりません。ただ、こういう可能性もあるのではと思っています。

□国の規模は異なる

 奴国、投馬国、邪馬壱国(邪馬台国)、が他国に比べて圧倒的に人口が多いことが分かる。万を超える大きな国はこの3つだけだ。このため、この3カ国が広い領土、力を持った大国だと分かる。これらの国があるのは、それだけの人口が養える平野、食糧調達が可能な場所であることを示す。実際に金印が見つかり場所が特定されている奴国は、福岡市の広い平野で、近くに海、川、山があり、大人数の食料調達の条件を満たしている。

 家の戸数が多すぎる、弥生時代の後期には、そんなに多い人口の国はなかったという見方もある。数字がかなり誇張されている可能性は十分あると思う。倭人も自国を大国の扱いにして貰えるように出来るだけ大きくみせたいし、中国王朝側も手柄となるため、そんな大国がわざわざ自分達に朝貢してきたようにみせかけたいはずだ。実際の遺跡からは、吉野ヶ里遺跡では、約5,000人程が暮らしていたと考えれている。

 一説によると、弥生時代の日本全体の人口は約60万人くらいとみなされている。多くとも100万人程度くらいの見込みのようだ。戸数の数字には多少の脚色がありそうだか、遺跡などからも分かるように、稲作が最初に日本に入ってきた北部九州で、古くから栄えていた地域であることを考えると、ある程度当時の人口が北部九州に集中して増加していても不思議はないと思う。

 過去には九州北部では7万戸も住めるような平野や遺跡が見つかってないから、ここから邪馬台国は畿内にあったことが分かるというような説も目にしたことがあるが、この数字だけで、そんな単純に決まるものではないと考えている。

 ちなみに、同じ『三国志』の中に記載のある朝鮮半島の国の場合、東海岸にある濊(わい)国では、戸数は2万戸、朝鮮半島の下側にあたる韓(馬韓、辰韓、弁韓)では、合わせて五十余国あり、大きな国は一万余戸、小さな国は数千戸の人家で、全体で十数万戸との記載がある。ここでは、特筆して倭国だけが、大きな数で記載されているわけではないことに触れておく。中国側からすると大国から朝貢されているようにしたいため、韓国側の数字も盛っている可能性があると思う。また、もう1つの可能性としては、逆に倭人側が、中国側に対して、粗末な扱いを受けないための作戦として、自分達の存在を大きくして自国が大国であると思わせるために、数字を盛って過大にして伝えている可能性も考えられると思う。

□官と副の意味するところ

 各国の官と副が書かれているが、この記述内容から何が分かるのかは、とても難しいと思う。様々な解釈があるようだが、1つだけ思う事がある。伊都国は官と副官で3名、邪馬壱国(邪馬台国)は官と副官で4名で、この2国だけ他国より体制が手厚い。この両国がかなり発達した組織体制を持つなり、主要な位置付けなりであることが感じられる。伊都国だけは、代々王が治めている事も書かれていて、歴史ある由緒ある国であることが伝わってくる。

 「卑奴母離(ひなもり)」という副官を持つ国が複数あり目に付くと思うが、これは、音の響き的には、後の飛鳥時代の「さきもり(防人)(もりは守るの意味)」が思い浮かぶ。ひなというのは、古代には、漢字では夷で表し、遠く離れた辺境の未開の地やそこに住む人々を表す意味もあったようだ。そうだとすると、漢字で書くと「夷人(ひなもり)や夷守(ひなもり)」だったのかもしれない。おそらく、同様に外敵から自国を守る意味合いからの軍事の長のことだと思う。また、官名がバラバラなのは、当時はまだ各国の政治、祭事、軍事に対して、各国での自立、独自性があるからだと思う。

 補足ですが、以下のような解釈もあります。

 卑奴母離(ひなもり)が各国にいるのは、邪馬台国から各国に派遣されている軍事長の名称だから同じ名前である。各国に官と副がいるのは卑狗(ひこ→彦)は男性を示しているように、それぞれが男性と女性のペアによるヒメヒコ制(祭事の女性、軍事と政治の男性)の統治を表している。王が書かれてないのは、実は官がそれぞれの国の国王を表しているからだ。末盧国だけ官や副がいないのは、既に邪馬台国が国を制圧していて直接統治していた国だからだ。

 個人的には、各国でこれだけ官名がばらついて説明されているのは、邪馬台国から派遣されたわけでも、邪馬台国が統一していたわけでもなく、まだまだ各国のそれぞれ独立した自治権があったからだと思っています。また、ひなもりは、副の立場で、音こそ柔らかく女性的な印象があるかもしれませんが、先に説明したように、自国を守る立場の役割を表すと思うため、軍事を司る男性だったと考えています。

 また、各国の官や副の名前は古代日本語では○○○という意味の言葉だから、つまりその意味から○○○をする役割の立場を表している。この✕✕✕の名前の読み方の音から、これは✕✕✕の土地の地名を表していて、その土地出身の日本古代のある有力氏族の先祖だと言える。これは△△△の音のことであり、△△△の人物名である等々です。中には、これらの各国の官位の人物を、古代神話時代の歴代天皇に充てがうような解釈までもあります。このように、本当に様々な諸説があります。

 例えば、上記の説明の一例を極一部だけ書くと、氏族の名前の音から、奴佳鞮(ぬかてい)は、額田部(ぬかたべ)の一族を表す。奴佳鞮は、中臣(なかとみ)氏を表す。地名の音から、奴佳鞮(なかて)は、長崎県諫早市辺りの昔の地名であり、この辺りの土地の王や豪族を表す。中手や中処で、奈良盆地の中央部を表す。官位や役割から、奴佳鞮(なかてい)は、屋敷の中庭を守る役割を持つ官の軍人を表す。中手(かなで)などの意味で中位の官位を表す。等々、説だけなら他にも多数ありますが、奴佳鞮だけでも、このように多数の解釈が存在している状況です。他の官名も同様に多数の推測がされています。

 私個人のこれらの官名に関する印象では、各国の王族や首長がいる中で、王の下でのまとめ役、世話役、補佐役、守り役、隊長、副隊長とかの役割、ポジションを表すような当時の倭人の言葉での表現、意味だと思うので、実はそこまで論理的に後のヤマト政権の先々に繋がるものや場所や一族を特定出来るようなものではないと感じています。

 このように、ほんの少しの情報から、様々な解釈や推察が生まれるのが『魏志倭人伝』の楽しい所だと思います。

□不弥国について

 邪馬台国論争においては、奴国まではだいたい一致しており、機内説と九州説の分かれ目となるのが、この不弥国の位置からという扱いになっている。

 実際の『魏志倭人伝』の距離感に関する記載では、末盧国から東南を五百里で伊都国で、伊都国から東南に百里で奴国で、奴国から東に百里で不弥国という流れで書かれている。

 同じ百里で表現されている伊都国と奴国は、実際に直ぐ近くのお隣同士だ。この距離感から判断すると、不弥国の可能性としては、大野城、春日、宇美、大宰府、古賀、宗像辺りまでと考えるのが、自然な解釈だと思う。

 古くから、不弥(ふみ)と宇美(うみ)の音繋がりからだと思うが、邪馬台国の九州説では、福岡の宇美あたりの説が多い。また同じく「ふみ→うみ」から、同じ音から転じて「海(うみ)」を連想して、奴国の隣で博多湾沿いに北上した海岸線にある福岡市の香椎や古賀市あたりの解釈もあるようだ。機内説だと、北九州市、遠賀川辺り、行橋市辺り、大分の宇佐辺りなどが有力候補に上がっている。いずれにせよ、九州北部にあった国という解釈が一般的なようだ。

 『筑紫野国の風土記』には、宇美(福岡県糟屋郡宇美町)の由来についての記載があります。『日本書紀』や『古事記』にも記載があるとても有名な三韓征伐のエピソードです。(『古事記』では、新羅と百済が服属する内容になっています。)

 熊襲征伐(九州南部)の遠征中に、神功皇后(息長足売比命)が熊襲征伐ではなく新羅征伐をするべきという神のお告げを受け、仲哀天皇(足仲彦尊)がそのお告げに従わず熊襲との戦いを行い、戦いに破れ筑紫に戻った後に急死後に、神功皇后が子供を懐妊中の中で、腰(お腹や股)に石(月延石や鎮懐石と呼ばれる)を挟み出産を遅らせることで韓国に出陣し、見事に新羅征伐(三韓征伐)を行ってから、筑紫の地に戻り、この地で無事に応神天皇(誉田別尊)をお産みになった場所として、「芋湄野(うみの)」という地名となり、後に「宇美」に転じています。このような由緒ある土地となります。現在でも、第15代応神天皇の生誕の地として、宇美八幡宮があります。

 なお、仲哀天皇の死後、妊娠期間を伸ばし出産を遅らせてというのは、現実的にはあり得ない話のため、これは暗に父親が異なることを伝えるための話であり、応神天皇は、神功皇后と臣下の武内宿禰との間の子供だ、神功皇后と熊襲の首領(クマソタケル)との間の子供だ等、ここでの王朝交替説も存在しています。

 私は、末盧国、伊都国、奴国の記載内容と実際の立地の適合具合から、同じく奴国から不弥国までが100里くらいの近さというのを信じている。そうすると、人口の多い大国だった奴国がどこまでの範囲だったかにもよるが、不弥国は、福岡県の宇美も可能性があるし、この近辺の大野城、春日、大宰府辺りではないかと思っている。奴国が境界の国の位置付けとなっているため、それを考慮すると、北東方向の宗像市や遠賀川流域や北九州市は、このときの倭国連合には入っていなかったのではとも思っている。

□これから邪馬台国への旅へ

 ここまで、当時の倭国で邪馬台国までの道のりに登場する国々をみていくと、実は1番目の対馬国から5番目の奴国までは一般的に北部九州の国と考えられていて、また6番目の不弥国も北部九州にあった可能性が高い国と考えることが出来る。

 そうすると、残された国は、たったのあと2国で、投馬国と邪馬台国となる。つまり、もうあとほんの少しで邪馬台国だと思うのだか、しかしながら、投馬国がどこかは邪馬台国の説に合わせる形で複数の諸説があり、邪馬台国に至っては、なんと国内、国外(中国南部、朝鮮半島南部、ジャワ島、エジプト等々)の諸説を合わせると軽く50以上も存在している。あとたったの2国なのに、ここからの道のりが本当に長いのである。とはいえ、現在においては、有名な邪馬台国の比定地として、1番有力と言われているのが、近畿内の奈良説で、次が九州北部の福岡説だと思う。(九州の中では福岡県以外もそれぞれ各県の説があります。また、最近は、邪馬台国四国説も人気のようです。)

 これから、『魏志倭人伝』をしっかりと読み解きながら、歴史考察を進めていき、邪馬台国の謎に迫って行きたい。

 この第一話にて、ここで少しだけ、中国人の「面子(メンツ)」について触れておきます。日本人が「和(わ)」や「場の空気」を何より重んじる国民性なのと同様に、中国人にとっては「面子」が何より大切な守るべきものだと思っています。

 私も全然理解しきれてはいませんが、面子は、その人の価値を決めるものだと思います。中国でいうところの徳があるのかに相当します。日本人的には少し分かりにくいですが、価値、名誉、体面、面目、体裁、顔、見栄、ネームバリュー、社会的ステータス、経済力、能力、影響力、人間力のような凄いもので、周りからどう思われるか、周りにどう扱われるか、周りにどんな影響力を持つか、のようなイメージで捉えています。

 例えば、現在でも、煙草を吸う中国人の場合、家の中で吸う煙草は安い庶民的な煙草を吸い、家の外で吸う煙草は高い高級感がある煙草を吸うなど、面子を意識して銘柄を使い分けたりもするようです。また中国人に料理を振る舞って貰った場合、必ず少し食べ残すようにする儀礼も、相手が食べきれないほどの食事を振る舞ってあげた、相手に食べきれないほどごちそうして貰って満足した、という面目を立てるための行為のようです。

 当然、古代での中国側の記録にしても、この「面子」が大きな意味を持ちます。例えば、日本での17条の憲法でも定義されているような「和を乱すべからず。単独で決めるべからず。何事も大事なことは話し合いで議論して決めるべし。」のような古来より現代まで通じる民族のベースにある価値観だと思います。

 中国への周辺諸国の朝貢は、中国皇帝の徳が高いのが周辺諸国に伝わり、その徳に従って周辺の属国が中国皇帝に朝貢に来るという立て付けです。つまり、朝貢してくる周辺国の数が多ければ多いほど、大きな国であればあるほど、遠くからわざわざ来れば来るほど、その価値が高くなり、中国皇帝の徳が高まります。このため、中国側の記録において、皇帝の徳を高めるため、その数はより多く、距離はより遠く、大きさはより大きくなるように、少し誇張した記録になるのは、むしろ普通に行われていたことだと思います。

 このように、古代中国人の価値観、前提や背景も踏まえて考察していく必要があると思います。このような中国人にとって当たり前の前提、あるいは古代人にとっての当たり前の前提など、当時の常識だと思われることを考慮せずに、書かれている文字や数字だけを拾い上げて分析しても、おそらく正しい考察にはならないと私は思っています。

 なお、方位に関しての私の見解は、この面子の観点からは、特に意図的に方位を変えることは無いと思っていますが、以下の4つの理由から、やはり方位も正しいとは言えないと思っています。
・風水の観点や占いの結果等から、その時の吉報の方位があり、その方位が望ましいので変えた。
・九州をもっと大きな島だと思っていた、九州の南(下側)に本州があるような地図だと思っていた等、そもそも正しい地図、方位を分かっていない。
・万が一を考え、倭人が中国や朝鮮半島から攻めて来られないように方位や行程の嘘や遠回りの行き方を教えた。
・単純に倭人の説明が間違っていた、または、中国側が記録や転写時に間違えてしまった。

⬛次回は、特別な伊都国そして倭双国について

 次回に続く

 全編の目次に戻る

最後までお読み頂きありがとうございました。😊

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?