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【インサイトコラム】人はなぜ『三密』を避けるのか。社会心理学的側面から読み解く3.5つの理由。

2020年8月現在、新型コロナウイルス感染症の拡大懸念は残念ながらまだ収まる気配が見られません。このような中でも社会活動や経済活動は行きつ戻りつしながら部分的ではありますがAfterコロナの世界が形成されつつあるのではないでしょうか?

弊社も在宅勤務を前提とした働き方が中心となり、提供サービスがオフラインからオンラインが基本となるなどの変化が進み、これをマーケティングリサーチに再び訪れた革命と捉えておりますが、他業界も大分変ったように思います。ネットを活用した在宅勤務の推進、消毒やマスク着用をデフォルトとした勤務体制、そしてやはりオフラインからオンラインへのシフトなど。例えばTVメディアはどうでしょうか。一時期は収録停止したTV番組制作も復活したとのこと。マスクやフェースガードをしながらの中継や収録、透明パネルが設置されたスタジオや出演者の位置の変化、リモートで参加する出演者がいかにもスタジオに居るかの如く大型パネルに等身大で映し出されるなど、Beforeコロナ時代には見られない状況が様々な番組で見られ、コロナがもたらした変化の大きさを感じます。一部のCMやドラマではこの状況を逆手に取ったクリエイティブも出現し、人間の対応力の高さに感服しました。また、オンラインは難しいと言われていたサービス業、特に音楽や演劇業界などでもオンライン化が進み、他方オフラインもマスク着用や距離を取った状態でサービスが復活するなど、基本はいずれも新型コロナウイルスを拡大させまいと「三密」を避けるための工夫が至る所で見られます。

この「三密(密閉、密集、密接)」という言葉は、今や日本だけではなく海外にも広がっています。2020年7月18日にWHOが「3C(Closed spaces、Crowded places、Close-contact settings)」 として“3つのC”の回避を呼び掛けるメッセージをFacebookとTwitterにて提唱しており、世界的な行動規範になりつつあるようです。しかしながら私のような天邪鬼マーケターは「なぜ多くの企業や人が同じように動くのか?」と言うところに疑問と興味を持つ訳でして、今回の世界的な「三密」を避ける動きを社会心理学的側面から理解を試みてみようと思います。「同調」「社会比較論」「社会的ジレンマ」そして「服従」という4つの社会心理学的キーワードを取り上げたいと思います。

まず、何と言ってもアッシュ(1955)の「同調」とフェスティンガー(1954)の「社会比較論」です。三密を避ける行動は必ずしも人間にとって心地よいものではありません。マスクをはめると息は苦しく、表情は読み取りづらく非言語情報が極端に減ります。なによりも飛沫感染予防と言う理由で思う存分コミュニケーションが楽しめません。更に不要不急の外出は避ける、食事は黙って食べる等、不自由極まりないことだらけです。しかし、社会的動物である人間には、情報的影響と規範的影響の両面よりこの三密を避ける「同調」行動が生まれました。情報的影響とは他者の判断を有用と捉えて自分の考えとして取り入れることであり、規範的影響とは他人から嫌われたくない、集団の輪を乱したくないという心理から行う同調です。そして現代はネット社会。様々な情報が手に入り、他人、社会の動きや情報に必要十分以上接します。そこで他人の多くが自分と同じ意見であることを確認し自分の意見に自信をもちその考えがより強化される、これが社会比較論です。この二つの理論は全く別の研究者が提唱したものですが、私は同調と社会比較論はニワトリと卵的な関係にあるのではないかと考えています。

しかし、この二つの理論ではどうも三密を避ける行動が個人的利益の範疇で終わってしまうように感じてなりません。個人利益を基点とする行動がここまで社会的変革をもたらしているのはなぜなのか?また、今回の新型コロナウイルスで良く耳にする言葉「コロナにうつらない・コロナをうつさない」という利他的な動きはどのように解釈すればよいのでしょうか?

そこで考えられるのが「社会的ジレンマ」です。「囚人のジレンマゲーム」という言葉を聞いたことがある人も多いでしょう。1950年にタッカーが考案したゲーム理論で、人が社会で生きていく中で直面する様々なジレンマ・葛藤の一つを、共犯で捕まった二人の囚人と検事の司法取引というシチュエーションで説明しているものです。とある事件で共犯の疑いを掛けられた二人が別々に取り調べを受けます。そこで検事は司法取引を持ち掛けます。

1.二人がこのまま黙秘を続けたらどちらも懲役3年
2.片方が自白したら、自白したほうは不起訴、もう一人は無期懲役
3.両方が自白したら両者とも懲役10年

という条件です。お互いに別々の取り調べなので相手がどう考えているか、どうするかが分からない状況でこの二人がどのような選択をするか?を考えるというゲームですが、人は自分にとっての最適解が両者にとっての最適解にならない状況の板挟みになる=ジレンマに陥らされます。ところがこのゲームは“自白”することが結果的にはどのシチュエーションでも得になることになっています。

A)相手が黙秘した場合、自分は黙秘すると懲役三年<自白すると不起訴
B)相手が自白した場合、自分が黙秘すると無期懲役<自白すると懲役10年

となるからです。しかしながらここでは「相手がどんな行動をとるか?分からない」ために上記のジレンマが生まれるわけで、さらに注目したいのは「黙秘するということは相手の選択に対して協力する」という意味を持つところです。相互依存関係にある中において人は「より得」という短絡的利益だけで動くとは限らず、そこに「協力」という行為が発生するそうです。実際にこのゲームにおいてもそのような協力行動が顕著に表出します。囚人のジレンマは、自己利益を追求する中で人はお互いの(社会における)協力が可能となるのか否か?という問題をも考えた理論でもあり、囚人のジレンマを三人以上の集団に拡大解釈し「社会的ジレンマ」と呼ぶ社会学者も一部います。

同様に、個人にとっての利益と三者以上の集団全体の利益が対立する問題をとりあげた「社会的ジレンマ」と呼ばれる理論で、このような社会的問題を解決するために“利他的利己主義”が生まれるという考え方を示したのがハーディ(1968)です。ハーディは「共有地の悲劇(コモンズの悲劇)」によってこれを解説しています。産業革命後のイギリス農村ではコモンズという共有地があり農民達はそこで羊を放牧し羊毛を確保することで利益を得ていました。農民一人一人の収入を考えると共有地に放牧する羊が多ければ多いほど羊毛も増え利益に繋がります。しかし皆がそれを行ってしまうと牧草がなくなり共有地が荒れ果て、結局は全員が羊を飼えなくなり共有地全体の損失に繋がります。さてこの問題を解決するためにはどうすればよいのでしょうか?先ず考えられるのが共有地の管理ルール作り管理人を設置し、ルールを破った人には罰を下し管理人には報酬を与えるという“アメとムチ”作戦です。また共有地の状況、つまり社会の仕組みやルールや道徳について教育し価値観へと転換を促すことも可能です。しかしながらどちらも対策にはコストが発生し、また自分以外の人が守っているかどうかの不信感が生まれるなど、別のジレンマが発生します。最終的にはこれらの施策を含めて「社会全体の利益になるような行動こそが自分の為になる」という“利他的利己主義”を個々人が確立させていくことが重要であると、ハーディは唱えました。
全てではありませんが両者の「社会的ジレンマ」理論は、「コロナにうつらない・コロナをうつさない」という利他的行動を理解していく一助になると思います。

ところが、この“利他的利己主義”が行き過ぎると人はどうなるのか?これを今回の新型コロナウイルス拡大防止に関連する行動で垣間見ることが出来ました。それはある種「服従」に繋がる行為のように思えてなりませんでした。
「服従」の心理実験で有名なのはミルグラムが行った“アイヒマン実験”(1963)です。人が権威によって命令されると、たとえその命令が正しくないと分かっていても、たとえその命令に反しても刑罰が無い状態であったとしても、人間はその命令を実行してしまうことを明らかにした社会心理学では代表的な実験です(研究者(つまり権威者)からテストを間違えた人に30段階に分かれた電流ショックを与えるように命令される実験を行ったところ、46人中26人が[命の危険有]と明示された最大値450ボルトまで電流を流し続けた、つまり人に危害を加える命令に従ったという実験)。この実験は極悪非道な命令に従った人自身の是非を問うものではなく、本質は“代理人状態への移行”と言われる状態に陥るか否かにあります。つまり自分自身を他人の要望を忠実に遂行する“単なる代理人”と考える状態になると、その結果発出する行為によってたとえ他人を傷つけたり不快感を与えたりしたとしても、それは自分自身に責任は無いと感じるようになり、よってその行為に対する罪の意識や後悔が生まれないというものです。そしてこの“アイヒマン実験”は、普通の、ごく普通の人間であっても環境によっては重大な罪を犯してしまう可能性があることを示しました。

さて、最近「〇〇警察」という言葉を耳にしませんか?不要不急の外出を取り締まるが如く、営業している店舗に心無い張り紙を行った“自粛警察”や、飛沫感染予防を促進しようとマスクをしていない方を一方的に非難や何らかの危害を与えた “マスク警察”、はたまた最近は感染拡大を阻止すべく東京から帰省した方に対して匿名の誹謗中傷メッセージを玄関に投げ入れた“帰省警察”も現れたとのことですが、もちろんこれらは本来の警察機構とは全く関係がありません。あくまでも普通の一般市民が新型コロナウイルス拡大防止に寄与しようと自分の利益よりも社会全体の利益を重視した(その結果が自分の益にもなると思った)結果、それぞれ公的な、もしくは権威者から認められている行動をあたかもその公的な発信者の要望を忠実に遂行する“代理人”としてふるまっての結果と捉えることができます。張り紙をした方も非難をした方も誹謗中傷をした方も、きっと皆さんご自分の行動は社会(権威者)の要望を忠実に遂行しただけの利他的行為である、自分は正しいことをしているのだ、と自負しておられるのではないかと、私は考えます。

人間とは斯様に複雑な生き物であり、その行動や心理は一元的に理解することは不可能です。個人的側面や社会的側面、主体性や社会性、自己利益と他社共存など、今回取り上げた社会心理学の理論は社会心理学のほんの一部であり全てを説明できるものでは毛頭なく、また私が取り上げた理論も必ずしもすべての現象を説明しきれてはおりません。当然ながらそれぞれの理論にも反論が存在します。しかしながら、昨今の新型コロナウイルスを発端とした社会全体が地殻変動のように変化を起こした事象は、社会心理学を愛する者としてまたマーケターとして非常に興味深く、その事象に潜む背景の理解を引き続きチャレンジしていきたいと考えています。だからこそ、人間を深く深く考察する仕事は終わりが無く楽しいのだな、と思えてなりません。

Albert William Tucker (1950). “Contributions to the Theory of Games”, Annals of Mathematical Studies
Festinger, L. (1954). “A theory of social comparison processes”, Human relations 7(2), 117-140.
Solomon E. Asch (1955). ” Opinions and Social Pressure”, SCIENTIFIC AMERICAN VOL.193, NO.5 PP31-35 NOVEMBER 1955
Milgram, Stanley (1963). “Behavioral Study of Obedience”. Journal of Abnormal and Social Psychology 67: 371–378.
Hardin, Garrett (1968). ”The Tragedy of the Commons”, Science VOL162. NO.3859, PP1243-1248
『服従の心理』(スタンレー・ミルグラム 著)河出書房新社
『社会心理学キーワード』(山岸俊男 監修)新星出版社
『社会心理学』(藤原武弘 著)晃洋書房
『社会心理学 補訂版』(池田健一、唐沢穣、工藤恵理子、村本由紀子 著)有斐閣
https://www.facebook.com/WHO/photos/a.750907108288008/3339935806051779/?type=3&theater
https://www.kantei.go.jp/jp/content/000062771.pdf
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62123960R30C20A7KNTP00/
https://mainichi.jp/articles/20200717/ddm/013/040/010000c
https://news.yahoo.co.jp/articles/281f990574e2fe073917999b4f961a218395a553


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