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【小説】あ、パクチーは抜きでお願いします。

端的に言おう。疲れている。
入社6年目にもなれば大抵の仕事は慣れたもんだが、慣れた分だけ別の仕事が出てくるもんだから疲れは溜まる一方だ。ドラクエだってレベルを上げれば敵が倒しやすくなるのに、社会人はレベルを上げると敵ももれなく強くなる。しかも頑張れば倒せるレベルだからこれがまた困ったところで、人生の運営はバランス調整が絶妙にうまいので腹が立つ。ただこちとら毎日なんだかんだ課金しているヘビーユーザーなんだから、ログインボーナスくらいくれてもいいと思う。

外回りが終わり、腕時計を見ると13時過ぎ。
ネクタイを少し緩めながら昼ごはんをどうするかぼんやりと考える。
通りを歩いていると、見慣れない文字の書かれた看板と赤青白の国旗。
タイ料理屋だ。
正直なところタイ料理はあまり得意ではない。飲み会で生春巻に食べた際に入っていたパクチーからカメムシを連想してしまい、それ以来タイ料理を敬遠してしまっている。

そういえば野外フェスに行った際にタイ料理の出店があり、パクチー山盛りの器を持って写真を撮る妙齢の女子たちを見て、#カメムシと内心思った記憶が蘇った。

何はともあれ、今まで避けてきたタイ料理だが、今日は何故か気になる。
アルミ製のテーブル、壁に貼られた異国のポスター、店員同士のタイ語の会話、全てが魅力的に思える。

ランチタイムという会社員にとって貴重な自由時間が、悲しい時間になるリスクはある。ただ今まで逃げるコマンドしか選んでこなかった敵と、今日は戦ってみたい気分だ。よし、と腹を括り店に入った。

「サワディーカップ、空いているお席にどうぞ」

サワディーカップ?と思ったがひとまず席に座る。
テーブルの上にはソースやスパイスようなものがいくつか常備されている。
メニューを見るとあまり聞き覚えのないカタカナの文字列。
カオマンガイという鶏ご飯が美味しそうだ。これにしよう、と注文の為に手を上げかけたその時、ふとメニューの片隅の文字が目に入った。

”パクチー抜き出来ます。”

え?抜けるの?パクチーってタイ料理の魂というか、寿司でいうわさび的ポジションじゃないの?抜いていいの?
いやでもそうするとわさびが苦手なだけで寿司を食べれないのはおかしいよな。あれ、じゃあパクチー抜いていいんじゃない?

問題提起から解決までが10秒で自己完結し、店員さんに声をかける。

「カオマンガイをパクチー抜きでお願いします。」

こんな裏技があったとは。水を飲みながら、ランチョンマット代わりにテーブルに敷いてある紙を見つめる。タイの豆知識的なことが書いてある。
サワディーカップは”こんにちは”の意味らしい。
ちなみにコップンカップは”ありがとう”だそうだ。


しばらくするとカオマンガイが運ばれてきた。
結論から言おう、驚くほどに美味い。
鶏肉はスプーンで切れるほど柔らかく、香辛料の効いた甘辛いタレが抜群にあう。鶏肉と一緒に炊かれた、日本の米より細長いジャスミンライスの香りも最高だ。
すまんタイ料理、俺は誤解をしていた。
俺はパクチーは苦手だが、タイ料理は好きだ。
苦手な部分ばかり見て、良い部分を見落としていたよ。
カオマンガイはあっと言う間になくなった。

美味いタイ料理で腹が満たされ、晴れやかな気持ちで店をでた。
後ろで店員さんがコップンカップと言っている。こちらこそコップンカップ。
今日俺はタイ料理を食べられるということで、また1つレベルアップした。
じゃあ次はパクチーを食べられるようにレベルアップか?
いやいや、好きなものを好きでいるために無理はよくない。
自分の好きを守るためにこう言おう。

「あ、パクチーは抜きでお願いします。」

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