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自分らしくいる【にじの職場体験記②】

こんにちは!
にじです🌈

今日も、にじのnoteを覗いてくださり、ありがとうございます✨

今回は、前回に引き続き、今年度、私が職場で体験したことを振り返りつつ、「自分らしく」いることが生きやすさにどうつながるのか、考えてみたいと思います!

前回の投稿では、職場の年配の方にダメ出しをされて、涙した話をしました。



今回の投稿では、手形事件以降、どんな思いで仕事をしていたか、吹っ切れるまでの暗闇時代を、できるだけ柔らかく振り返りたいと思います♪

職場体験記その2のタイトルは、
「なんかトゲトゲしちゃう?
     ~本当の自分にフタをすると苦しい~」

です!




目をそらす

手形事件は、夏休みのお盆前の出来事でした。
それからの私は、同じように言われないようにしなくちゃ、何か間違ったことをしないように、とどこか落ち着かず、いつも周りの目を気にしてセンサーをはって、ピリピリしていました。

そんな中で、自分はどうしたいか、は考えるようにしていました。私がやりたいことを中心にと思って、怯える自分をいないものにして、見ないフリをして、がんばっていた時期もありました。


ふりかえると
月ごとに大まかに振り返ると次のような感じでした。

8月お盆明け   とりあえず夏休み走りきる
9月    日常に慣れようとする
10月    フタをして頑張りすぎる
11月    疲れがたまる
12月    なんとか生き抜く
1月     毎日その日暮らし

とにかく苦しかった日々でした。
何が苦しかったのかと聞かれると、分かりやすくこれ!と出てくるわけではないのですが、毎日がただ過ぎていき、生活に色がなくなる感じ。

自分を見失う
身体は、動いて生命活動を維持しているのだけど、真ん中にあるであろう「いのち」、「こころ」の部分が全然軽やかでない。

ちょっとしたことにイラついたり、人に期待しては裏切られた気分になったり、出来ない自分ばかりが目につき落ち込んだり。

このままじゃダメだと奮い立たせて、がんばってみても、自分の中のバランス、調子が整ってないので、周りとも噛み合わない、しっくり来ない。


こころの在り処

自分のSOSに気づかないフリをして、だましだまし毎日を「こなして」いくことにも限界がきて、疲れていたとき。
自分では気づかないうちに、表情に現れていたようで、マネージャーさんに「大丈夫?」と聞かれた途端、「大丈夫じゃないです」と涙が出てきました。11月半ばのことでした。

話を聞いてもらいながら、自分のこころの在り処を探ろうとするけれど、なかなかアクセスできない。

毎日を「こなす」ことに一生懸命だった私は、自分のこころに蓋をして、声を聴いてこなかった。聴かれなかった声は、いつしか発する力も弱まってしまったかのよう。

守る
そこからは、また模索の毎日でした。
4月から職場に没頭してきて、身につけてきたこと。それは、本来の自分がやりたいことと重なる部分もあれば異なる部分もありました。

ある時、本来の自分がやりたいことと、今自分がやっていることがズレている。そのズレを調整して、職場のルールの中でどうやったら自分のやりたいことが実現できるのか。それを実践していくフェーズなんだ、と気づきます。

そこまで分かっている。分かっていて、色々試してみているのに、上手くいかない。
自分に余裕がない、と強く感じていました。
目の前の子どもを守るためにも、私が私自身を守らないと、全てがままならなくなる。

私のやりたいことは?と考えても、それを実行する余裕が私には無いと思い込んでいました。
実力がない、経験が足らないのだ、という魔のささやき。

トゲトゲ
自分に余裕がなくなると同時に、周りの職場の人たちへもイライラしてしまうことが増えました。
トゲトゲしてしまう自分に嫌気がさしながらも、周りに矢印を向けないと自分を保てないような、そんな状態でした。

少しばかりの愚痴をこぼせる職場の方がいたので、本当に救いでした。支えられ、助けられていました。

そんなくさくさした日々を過ごしていた私は、気づけば、日々の物事に対して
感じすぎないようにしていました。


こんなところで、その2は閉じまして、
その3では、感じすぎないようにしていた私が、どうやって自分らしさを取り戻そうとしていたのか、言葉にしてみたいと思います。

自分の整理のためのアウトプットにお付き合いいただきありがとうございます。





その3に続く。

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