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灰色の中学生期

どうやら大人の階段は、傷つかないと登れないらしい・・・
他人に心を開けず、相変わらず担任にも恵まれない。
何もかも中途半端で、場を乱す迷惑な生徒だった。



大人の階段

人はいつ、何をきっかけにして大人になるのだろう。
「少年の日の思い出」の主人公は、心に突き刺さるような辛い経験を通して、幼い自分の身勝手さに気づき、大好きだったちょうのコレクションを自らの手で粉々につぶすことで、一つ大人になった。
私も中学生の頃に、辛い思いをして一つ大人になった覚えがある。

私の通った中学校は、学年9クラスある大きな学校で、学区内の6つの小学校から集まった子たちでクラス編成されたため、入学当時はクラスのほとんどが知らない子だった。
日々の学校生活の中で、少しずつお互いのことを知り、仲良しグループができはじめた5月ごろ、ショックな出来事があった。


「汚い!」


突然そう叫ぶと、クラスの女子3人組が、私から逃げるように走り去った。はじめは意味がわからなかった。
でも、それ以来その3人は、私が近づくだけで「キャー」とか叫びながら逃げだし、少し離れたところでクスクス笑っていた。
その遠くから私を見つめる顔は、見下すような、さげすむような、なんとも言えない嫌な感じの笑顔だった。
そんな反応をされるたび、私の胸にはどよどよとした黒い塊がたまっていき、同じクラスながらその3人には、なるべく近寄らないように、見ないようにするようになった。
クラスには38人もいたので関わらずにすむことが多く、それだけは救いだったが、季節は夏に向かって輝きを増していく中、私の心には黒雲が重く立ちこめたまま、晴れることはなかった。

幸い、私をバイキン扱いして避けていたのは、その3人だけだった。
同じ小学校から来ていた女の子が、あるとき心配して声をかけてくれた。
その子は、私があの3人から避けられていることに気づいていて、どうしてそんなことをするのか、それとなく聞きだしてくれていた。

「前に給食に魚が出たときに、あなたが魚の骨を手で取っているところを見ちゃったんだって。それできたな~い!ってなって、今みたいに始まったらしいよ。」

全身に雷に打たれたような衝撃が走った。
確かに覚えがある。
サケか何かが出たときに、ハシではうまく骨がとれず、めんどくさくなってつい手でつまんで取ってしまったことがあった。
あれを見られていたのか。
その時初めて私は、学校は家とは違う所で、自分の行動一つで周囲からの目(評価)が決まってしまう所なんだと気づいた。
それまで私は、寝ぐせもそのままで登校していたし、着る服にも無頓着(むとんちゃく)だった。
今にして思えば、確かに「汚い」と見られても仕方がない。
学校をはじめ、外の世界(社会)では、見た目やマナーがいかに大切か、12歳にして深く、深く心に刻み込まれた。

それ以来、自分の見た目や行動を気にするようになり、周りから見られて恥ずかしくないように、お風呂に入れば時間をかけて全身くまなくきれいに洗うようになったし、朝は寝ぐせをちゃんと直し、黒い学ランにはフケがついていないかちょくちょく気にして払うように心がけた。
ハンカチも毎日持ち歩くようになったし、食事のマナーにも気を配った。

あるとき給食中に別の班から、
「バナナの皮を3本にむいて食べるのはチンパンジーなんだぜ」
という声が聞こえてきた。
あわてて自分が食べているバナナを見ると、皮は3本になっていたので、すぐにむき足して4本にしたこともあった。
その時は誰かに見られなかったか、チンパンジーだとバカにされないか、すごく心配したことを、今でも覚えている。
とにかく目をつけられないように、バカにされないように、汚いと思われないように気をつけた。

そのせいか、例の3人の女子は、いつの間にかあからさまに私を避けることはなくなっていた。
だからといって積極的に関わる気にはなれず、ついに3年間ほとんど会話もせず、関わらないまま終わった。

あの時味わった切ない思いは、時間とともに大分うすれはしたが、大人になった今も、身だしなみと所作には気をつけている。
社会に出て働くようになって改めて感じるが、「見た目は大事」だ。
特に初対面では、人は見た目で相手のことをほとんど判断してしまう。
与える印象はいい方がいいに決まっている。
50歳が近づいた今でも、長風呂は続けているし、ハンカチは使った面を内側に折り返してズボンにしまっている。

かなり痛い思いをしたが、それまで自分からの視点でしか物事を見られなかった私に、「周囲からどう見られるか」という大事な視点を教えてくれて、一つ大人になれた出来事だった。

「大人の階段」は、辛く切ない経験をしたときほど、一段のぼれるものらしい。


中学生の時に経験した「大人の階段」から学んだ、社会人にとって大事な見た目についてまとめた記事です。
あわせてお読みください。


昭和の学校では当たり前

令和の世はもちろん、平成の頃から絶対にダメだとされている体罰ですが、昭和の頃は当たり前に行われていました。

国語の授業で宿題の漢字練習をやってこないと、黒板の前に並んで立たされ、おばさん先生が一発ずつ平手打ちをして回る。
「あんたは二日連続だから2発ね」
と言って、笑顔で往復びんたをくらったこともある。

数学の先生はデコピン。
いったい何年鍛えたのか、やたら重くて頭蓋が振動するほどの威力。

体育科でもないのに教室に竹刀を持ってくる先生もいた。

親に言っても、
「やるべきことやらなかったあんたが悪い」
と言われるだけで、当時は社会全体に

「先生のやることは正しい」

という風潮がまだあった。


荒っぽいのは教師だけではなく、生徒の方もやんちゃだった。

休み時間にベランダでボールを蹴ってサッカーのようなことをして遊んでいた。
狭いベランダに何人か向かい合って立ち、手すりと教室の窓に手をついて体を支え、足元のボールを蹴り合って、押し込んだらゴールという遊びだった。
熱くなった友達が力を入れ過ぎて、窓ガラスを突き破ってしまった。
割れたガラスで腕をざっくりと切ってしまい、ぼたぼたと血が垂れて大惨事になってしまった。

生徒同士で殴り合いのけんかもちょくちょくあったし、先生の言うことを聞かないのは当たり前だった。


指導力もないのに偉そうな先生ばかり

当時は「部活動には全員入るもの」という風潮があったので、私はソフトテニス部に入ることにした。
顧問は隣のクラスの担任をしていた社会科の先生だったが、部活中に指導に来たことはほとんどなかった。

新入部員の指導はもっぱら上級生が担当し、2年生が1年生を教えていた。
当時は60人以上も部員がいたので、テニスコートでボールを打てるのは3年生ぐらいで、2年生もほとんどコートは使えなかった。
練習と言えば走り込みと筋トレに素振りがメインで、全然テニスっぽいことはできなかった。

自分が教員になって部活顧問を担当するようになって気づいたが、あんなものは部活動ではない。
私は指導法のビデオを購入したり、研修会に参加したりして技能を磨き、活動中はなるべく練習に立ち会って技術指導を行った。

そもそも、生徒をほったらかしにして、活動の様子も見に来ないのは職務放棄もいいところだ。


担任にも恵まれなかった。

掃除をせずにさぼっていたら、担任だった家庭科のおばさん先生に見つかって、
「掃除しないならそこに正座していなさい!」
と怒られた。

いつまでか言われなかったので、掃除が終わっても教室前の廊下で正座を続けていた。
教室に戻ってきた友達に「なにしてんの?」と聞かれると、「座ってろと言われたから座っているんだ」と答えた。

そのまま帰りの学活が終わり、教室を出てきた担任と目が合ったが、何も言わないのでそのまま座り続けた。

クラスの子たちもみんな帰り、下校時間も過ぎたが、もう意地になっていた私はそこに座り続けた。

日直で回ってきた先生が私を見つけて驚き、担任のおばちゃんに連絡してくれた。

呼ばれて来た担任が
「なにをしているの?」
と、とぼけたことを言うので、
「座っていると言われたから座っているんだ」
と、憤然として答えると、
「掃除が終わるまででよかったんだよ」
とか言い出した。

他の先生の手前、ごまかそうとしているのが見え見えで、本当にちんけな人だと思った。

日直の先生が「もう遅いから帰りなさい」というので、仕方なく立ち上がったが、両足の感覚はすでになく、しばらくは歩くこともできなかった。

子どもから信頼されるような振る舞いができるわけでもないのに、「先生」という肩書を振りかざして、常に上から目線で要求だけしてくる担任。

当時はこんな先生ばかりだった。

小学校のつらい経験もあり、当時の私にとって先生は憎悪の対象であり、信じたり頼ったりすることはいっさいなく、反抗しては対立を繰り返していた。


こうした理不尽や不条理に踏みつけられてきた私たち世代にとって、「先生」や「学校」に対する不信感や恨みは根強く、親になって自分の子どもを預けるようになると、厳しい目で学校や先生を批判したり、要求したりするようになったのだと思う。

因果応報。
当時の先生たちの理不尽な行いが、「先生のやることは正しい」という風潮をくつがえし、「先生が少しでも不手際をしたら許さない!」という風潮を作り上げた。

教師としては非常にやりづらい世の中になったが、私自身も当時の理不尽な先生の被害者なのに、敵として責められる立場にされることには、納得のいかない思いもあった。

気持ちがわかる分、子どもには公平・公正な接し方を心掛けていたし、私自身が保護者からクレームをつけられることはそうそうなかったが、当時の感覚を引きずったベテラン先生への苦情を代わりにぶつけられるのは、本当に腹立たしかった。


和を乱す迷惑な男

私自身は、クラスにとって迷惑な存在だった。

2年生の後半、学級会でクラスの旗を作ろうという提案が出たとき、
「そんなもの作っても意味ないからやめたほうがいい」
と、まったく空気を読まずに反対した。
同調して反対するめんどくさがりな男子が乗ってきて、結局旗を作るのはやめになった。

3年の最後のクラスマッチで、クラスで一致団結しようと、おそろいのハチマキを購入してみんなでつけることになった。
ところが、クラスマッチ当日に私はハチマキを家に忘れてきてしまい、クラス全員でそろえることができなかった。

クラスの女子たちの冷たい視線に、さすがに申し訳ない気持ちになったが、日ごろから人とのつながりや団結に関心がなかったせいか、こういう時にやらかしてしまうのが私だった。

一番やらかしたのは3年生の夏休みだった。

クラスの男子4人が、夏休み中に東京へ1泊旅行に行く計画を立てていた。
誘われてもいないのに、なぜか変な衝動に駆られて、
「オレも行きたい!」
と申し込んでしまった。

優しい4人はむげに断ることができず、しぶしぶ私の同行を受け入れてくれたが、女子でなくても、奇数というのは収まりが悪いものだ。
電車の座席も一人あぶれるし、もともと仲の良かった4人に私が無理やり加わったので、なにかと私が一人になることが多かった。
しかし、幼児期から旅や冒険が大好きだった私は気にもせず、特急電車から眺める見知らぬ景色や、見上げるような都会のビル、あふれる人波などに興奮していた。

1日目は昼頃東京につき、原宿の竹下通りなどを見て回った。
当時はタレントショップが並び、全国から若者が集まるスポットとなっていて、そこでクレープを食べるのがトレンドだった。
ショップには地元では見かけないような洋服が並んでいて、何か買いたかったが、友達が次の店に行くというのでじっくり選べず、泣く泣く諦めた。

夜はビジネスホテルに素泊まりして、みんなでトランプなどして修学旅行のように楽しんだ。

2日目は横浜に行き、万博か何かのイベントを見に行った。入場して少しすると、他の4人が2人ずつに分かれて、それぞれ別の場所を見に行きたいと言い出した。
そこでどちらかについていけばよかったのだが、私は前日に買えなかった原宿の洋服が気になっていたので、1人で別行動をとることにした。
16時に入り口の広場で集まる約束をして分かれた後、私は一人でいくつか見て回ってから会場を出て、電車で原宿に戻った。

昨日と違い今日は一人だったので、じっくり選んで気に入った洋服を買うことができた。

思ったより時間がかかってしまい、今から横浜に戻ると、待ち合わせの16時に間に合わなそうだった。
当時はまだ携帯電話などなかったから、連絡手段は何もなく、自分勝手な私は、
「特急電車の切符は時間指定で買ってあるから、上野駅で待っていれば4人は来るだろう」
と思い、横浜に戻らずに上野駅に向かった。

私なら、待ち合わせ時間に来なかったら、特急電車に遅れないように置き去りにしてでも上野に行く選択をしただろう。
だが、まっとうな感覚を持っていた優しい4人は、そうしなかった。
待ち合わせ場所に来ない私を探して会場中を探し回ってくれたのだ。

特急の時間になっても上野駅に現れない4人。
駅は広いから、行き違いになったかもしれないと思い、電車の指定席なら確実に行き会えるかと思って改札を通ってしまった。
指定席に座って待ったが4人は来ず、そのまま時間になって電車は発車してしまった。

一人で地元の駅に帰ってきた私を見て、親が「他の子はどうした?」と聞くので、はぐれて自分だけ帰ってきたと説明すると、めちゃめちゃ怒られた!

そのまま地元の駅で他の4人が帰ってくるのを親と待ち、2時間後にようやく会うことができた。
私を探していて予定していた特急に間に合わなかった4人は、切符を振り替えて2時間後の電車で帰ってきたのだった。

4人に平謝りする親に、「あなたも謝りなさい!」と言われたので謝ったが、自分のしたことがそれほど悪いことだったのか、その時はわかっていなかった。

三つ子の魂百まで

中学生になってもこういう自分勝手な考え方は変わっていなかったが、団体行動を乱すと迷惑がかかることだけは学習した。

いちいち盛大にやらかさないと、まっとうな感覚を身につけることすらできなかった私は、やはり何かおかしかったのだと思う。

後日1軒1軒親に連れられて謝りに行き、私がやらかしたせいで学校にも旅行のことがバレて、担任に呼び出されて一人ずつ怒られた。
気にしていなかったが、校則違反だったらしい。

クラスの女子から、
「一人で東京から帰ってくるなんてすごいね」
と言われたが、さすがに「そうでしょ」とは言えず、苦笑いを返すのが精一杯だった。

旅行に行った4人とは微妙な感じになってしまったが、それは仕方のないことだったと思う。


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