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別れを嘆くのではなく、次の再会を笑顔で迎えよう。

僕の夏が終わりました。
大学生として最後の夏、23歳最後の夏、組織の一員として動き始めた夏、16人の小学生と一緒に過ごした夏。

ひと夏の間にもたくさんの出来事を経験して、たくさんの出会いをしました。
その1つひとつが今までと少し違う、新しい夏の思い出になりました。
同じ夏はもう来ない、なんて青春っぽいことを思ったりもします。笑

そうした新しい出会いを重ねれば重ねるほど、別れもまた訪れるものだと僕は思います。
そんな別れに対して僕が大切にしている考え方があります。

”別れを嘆くのではなく、次の再会を笑顔で迎えよう”


幸運にも出会えた同じ方向へ進む仲間も、ずっと一緒に進んでいけるとは限らない。
離れて行く仲間を引きとめようとして、今度は向いていた方向まで離れてしまう...そんなことだってあるかもしれない。
せっかくの出会いを、通じ合えた想いを、最後の最後に失いたくはない、これが僕の思うところです。

だったら別れを受け入れて、今の良い関係のまま離れてみるのはどうだろうか?
最後の最後に良かった思い出たちまで無くしてしまいたくはないから。

そんなことを思っているとこんな言葉に出会いました。
”『全て』を敢えて差し出した者が、最後には真の『全て』を得る”

僕が漠然と考えたことに言葉として力を与えてくれました。
もちろん与えた分だけ返ってくるとは限らないし、この言葉が真に正しい法則というわけでもないと思います。

でも真実か嘘かは自分で選べるのではないか、ならば自分の選んだ答えを真実にしよう。
そう思えた時に僕は、僕の人生をかけてこの言葉を真実にしたいと思えました。

生き方を選ぶことと同様に、
人生はどこで切り取るかでその生が悲劇か喜劇かに分かれるのではないか、と僕は考えます。

自分が与え、手放したものたちがいつか人生の喜劇として返ってくるかもしれない。
これは未来の自分へ向けたプレゼントなのだ。
そう思えたら、自分の執着や未練も手放すことができそうな気がしています。

プレゼントの受け取る時期は何年か先、もしかしたら人生の終わりを迎える瞬間かもしれない。
けれど、そうやって笑顔で自分の執着を手放せる人生ならば、きっと悲劇の人生にはならないのではないか、とも思います。

そんな想いのあれこれが形になって
”別れを嘆くのではなく、次の再会を笑顔で迎えよう”
になるのだと思います。

出会えたという事実に感謝して、離れるべき時に離れる。
もし再び出会うことができたら、その出会いは真に幸福であったと思えそうです。

こうして書くことは理想論かもしれないけれど、
ふと、どこかで思い出した時に自分の望む答えを選ぶ勇気の1つになればいいな。
そんなことを思います。

ライ

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