見出し画像

”楽しさ”で繋がった、やさしい思い出。

全ての戦争も、もとをただせば空腹が原因さ。
でも逆に言えば、腹さえ満たされていれば、いざこざは起きない。
おなかがいっぱいだったら、人はそれだけで幸せになれる。
-サーカスの夜に-

前向きな言葉、前向きな人に触れ合うことが幸せだなと感じます。
幸せな瞬間に側にあったものと思わぬ形で出会い直した時、幸せな記憶も同じように思い出される。

やさしい思い出と、そんな感覚が広がっていくといいな、そんなことを書いてみます。

_____________
________
_____

思い出のほうじ茶

突然ですが、
最近、ほうじ茶がマイブームです。

お湯を沸かして、急須に茶葉を入れて、ゆっくりお湯を注ぐ。
少しだけ待ったら、お気に入りのマグカップに入れてのんびり味わう。
コレが、しあわせ。

これまで急須でお茶を淹れるなんてほとんどしたことのなかった自分ですが、何故いきなり興味が湧いたのか。
少しばかり、自分語りにお付き合いください。

要因の1つは旅での再発見。
夏頃、ちょっとした旅行に出かけ、そのお部屋に備え付けてあったお茶をいただきました。
これが僕とほうじ茶の再会で、これをきっかけに自分でもお茶を淹れたい、そう思うようになりました。

ほうじ茶との再会、と書きましたが僕とほうじ茶の思い出を辿っていくと小学5年生の調理実習に行き着きます。

調理実習の時間では毎回色んなものを作ってはいましたが、いつも変わらず最後にはほうじ茶を湧かして飲んでいました。
その時もお茶が美味しくて何杯も飲み、授業が終わるとトイレに駆け込んでいた記憶がおぼろげにあります。

当時の僕にとって料理は”自分にできることが広がった”そんな感覚を味わわせてくれたもので、常に”楽しい”感覚に満たされていました。
そんな楽しい瞬間、いつも隣にいたのがほうじ茶でした。

久々に味わったほうじ茶に心動かされたのは、こんな優しい思い出があったからかもしれません。
それにどうやら、僕の味覚は小学生の当時とそれほど変わっていないようです。笑

10歳までに育まれる感性

何気なく飲んだお茶に、こんなにも思い出が詰まっていたことは正直、自分でも意外でした。
こんな風に考えなければ絶対に思い出すことのなかった内容かもしれません。

一方でこんな風に何かに紐づいていた物事を思い出す、そんな経験は少なからずある、そう思いました。

人間の記憶は脳の中でも「海馬(かいば)」と呼ばれる部位(領域)にに集約されているようです。
そしてこの海馬が活性化することで「ドーパミン」と呼ばれる神経伝達物質が放出され、情報は脳に記憶される、こんなメカニズムになっているようです。
この「ドーパミン」は”楽しい”、”嬉しい”といったポジティブな感情によってより多く放出されるもので、言い換えると楽しいものほど脳には定着する、と言うことのようです。


少し話題は変わりますが、人間は10歳までに見聞きしたもので、感情や思考、自我が形作られるそうです。
10歳までに嬉しいと感じたこと、楽しいと思ったことは自分で自覚している以上に深いところで自分の基盤になっているようです。

しかし、10歳の子供が今経験していることが今後の自分の基盤になるとは夢にも思わないでしょう。
自分も大人になり、少しづつ社会に触れていくことで分かったのは”違う視点を持つ人に触れることの大切さ”ではないかと感じます。

同じ集団に属し、近くにいる人と関係性を築き、同じことが出来るようになる、これも大切なことです。
しかしそれとは別に幼い頃から「ナナメの存在」に触れることで、知らない世界があることを知覚する、その世界に触れていく好奇心が育まれていくことも同じように大切ではないかと考えます。

10歳までの経験で自分が”楽しい”と感じる出来事に数多く出会う、
それが学生でも大人になっても、環境がどれだけ変わっても前に進んでいける人間なのではないかと思います。

人を育てること、そして育ててもらっていること。

最近、仕事で上司と「どうやって仕事の知識を学んできたか」という話をしました。
その上司も、わからないことはたくさんあった、だからその度にわかる人に聞いて疑問を解消した、そう伝えてくれました。

言葉にすると簡単ですが、忙しそうな人に対して「こんなことを聞くのは申し訳ない」「見当違いの内容だったらどうしよう」と不安になり、中々言葉通りに実践できないものだと思います。

人には行動に踏み出せない理由がそれぞれにありますが、僕の場合は「筋道が見えないと進めない」という感覚があることにその上司との対話から気付かされました。
そんな僕に上司は

わからないことがあったら、まずは俺に投げてごらん。
そうしたら誰に聞けばいいかは俺が教えるから。
でもどんな風に聞けばいいか、それは自分で考えてごらん。
全ての人に万能な質問の仕方なんてない。
まずはありのままで投げかけて、その次のステップでどんな聞き方をすればスムーズか、その人が教えてくれるから。

この言葉に僕は心から感謝しました。
僕の不安をまさに言い当て、その先の道筋を見せてくれた、そんな瞬間でした。

・・・

今の僕には上司のようなウエの存在や同期のようなヨコの存在はいる。
けれど、シタやナナメの存在とは情勢的なものも含めて疎遠になりつつある。

自分がウエやナナメから教えてもらったことを今度はシタやナナメに伝える。
学ぶ立場から教える立場に変わることで自分の中に生じる変化を実感できることだと思う。

20歳を過ぎるとインプットするだけでは全体の3割のことしか学べない。
残り7割を学び切るには、誰かに伝えるしかないのだ。


新人として半年が過ぎた。
もう一段、変わっていけるように。
出来るなら感情が動き、”楽しい”と感じてもらえることをしよう。

毎日が同じことの繰り返しに見えても、少し視点を変えるだけで違った景色が見える。

そんな違いを楽しみにながら生きれたら幸せだと思う。
自分の過ごす時間を大切にしよう、そんなことを思います。

ライ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?