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短編小説 上京小娘ぶぅちゃん


 最近うんちんは寝言が多い。

「ぶぅ、と言ったのだった」

 昼間は忙しくて時間がないからって、ついに夢の中で書くようになっちゃったんだ。ぶぅのお話ならおもしろくなること間違いないし、せっかくだから書きとめておいてあげようと思う。

 ボクは「ぽて」、ぶぅ5才の誕生日パパに買ってもらったぬいぐるみだ。ぶぅの大学進学のための上京についてきて、というか連れてこられて、いろいろあってから、今はうんちん宅に居候している。

 ぶぅとうんちんは、15歳離れたいとこだ。ぶぅのパパのお兄さんがうんちんのお父さんにあたる。「ぶぅ」も「うんちん」も、それぞれがずいぶん前につけあったあだ名で、ボクの「ぽて」もぶぅとうんちんが、ずいぶん前につけてくれた。

 上京してから、ぶぅには本当いろんなことがあった。コロナ禍でうまくいかないことばかりだった。その間いつだってうんちんはそばにいて、お世話してくれた。こうして代わりに書くことがちょっとでも恩返しになれば、ボクはうれしい。

 二人の出会いはぶぅ1才のとき、おじいちゃんおばあちゃんの家だったらしい。どちらも唯一の父方のいとこだから、毎年お正月やお盆休みに会っては仲良く遊んでいた。ぶぅ5才の冬からは、ボクも毎回いっしょだったから、よく覚えている。

「ぶぅ、川行こうぜ」
「いく!」
「ぶぅ、裏山のグミの木がなってるって」
「たべる!」

 ぶぅ10才の冬、おじいちゃんとおばあちゃんが亡くなって、家も売りに出された。ぶぅの家は北陸地方だし、中国地方に実家があるうんちんは上京中、集まれる機会と場所がなくなって、疎遠になっちゃった。

 ただママどうしは連絡を取っていたから、おたがい近況を聞いてはいた。うんちんはぶぅが自転車ごと畑に突っ込んだとかブラスバンド部に入ったとかを、ぶぅはうんちんが東京で大学の非常勤講師になったとかを。

「ぶぅちゃん、かわいなったよ」

 2019年の元旦、帰省したうんちんはぶぅ18歳の誕生日の写真を、お母さんに見せてもらった。冬服姿で自宅前で「すしざんまい!」みたいなポーズをしているやつだ。

「へえ、あのぶぅがなあ……」

 おかっぱじゃないし背も伸びている。最後に顔を見てから八年、なんだか背中がずっしり重かった。川遊びの帰りのおんぶみたいで、ちょっぴり寂しくもあった。

 そして3月、うんちんは電話口のお母さんに知らされたんだ。

「ぶぅちゃん〇〇大学に決めたあて」
「ん? ぶぅがなんて?」
「春から東京よ、○○大学」

 都内ではめずらしい食文化を学べる私立大学、よりによってうんちんが非常勤講師をやっているところだ。

「……え、国立は?」
「やめたあて」
「なしてよ」

 料理好きなぶぅは、管理栄養士になりたくて、地元の国立大学をめざしていた。見事合格したと前月に聞いていたうんちん寝耳に水である。

「さあねえ、アンタと一緒じゃろ」
「あ、そう……」

 かつてよくわからないロマンひとつを胸に上京した、そのいきさつを知る一言には返す言葉もない。

「それよりゃジュンコさんよ。不安じゃ不安じゃて、アンタと話したい言うとるけえ、電話しちゃってくれんけえな」

 ジュンコはぶぅのママ、やっぱり八年ぶりで、緊張してしまう。

「この前タカミツさんが鮭送ってくれたん、粕汁にして送っちゃるけえ」

 タカミツはぶぅのパパ、粕汁はうんちんの大好物である。

「──もしもし」
「あっ夜分おそれいります、ってなんだぶぅか」

 固定電話に架けたら予期よりだいぶ若い声が応えて、おかっぱ頭がパッとひらめいた。

「え、うんちん?」
「おう、あれ、お母さんいるかい」
「えっいまおふろ入ってる」
「じゃあお父さんは?」
「寝てる、タブン」
「まじか、えっと、はっ八年ぶりでずね」
「え、は、はい」

 おたがい妙にぎごちない。実はこのときボクもぶぅに抱えられていて、そばで聞いていたんだ。

「あれ、国立受かったんだってな、一般で」
「え、ウン」
「すげえなあ、大したもんだ」
「もっと褒めていいよ! クリスマスもお正月もずっと勉強してたんだから!」
「ハハハ、でも蹴ったんだろ」
「え、うん……」

 はしゃぐ声が一気に沈む。うんちん楽しくなってきて、

「そりゃTOKYOの呼ぶ声には逆らえないよなあ」
「なに? トッキョウ?」
「おれも10年前、いや15年前か、えっもう15年? ガーン!」
「ねえ一人で盛り上がらないで」
「まじで15年も、──ヘエッくション! 失敬」
「しっけいって、アハハうんちんだ」
「やばいとんがりコーンみたいな鼻くそ出た」
「ねえ! 言わなくていいから!」

 笑うぶぅは久しぶりだった。夏からずっと勉強勉強、あんまり楽しそうじゃなかった。

「最後に会ったときも言ってたもんな、『東京いく』って」
「アハハ、言ったかも」
「八年越しに叶ったわけか、いいねえ」
「……うんちんは反対しないの?」
「なんでおれが反対すんだよ、鼻くそ食わせるぞ」
「だってパパもママも反対してるから……」
「反対はしてないだろ、心配はしてるだろうけど。タカミツさんは特に」
「……」

 さっきぶぅはパパとケンカした。今からだと寮が無難だと言われて、ついイライラしちゃって、それでパパもふて寝しちゃった。

「でもうんちん、〇〇大学の先生なんでしょ」
「非常勤だけどねえ」
「わたしを入学禁止にするつもり……!」
「ハハハなんだそれ。そんな権力ねえよ」
「じゃあなんで電話してきたの?」
「ジュンコさんを安心させてあげなって、オカンに言われたんだよ」
「〇〇大に行くのやめさせて、じゃなくて?」
「ないない。オカンも反対なんてしてないし」
「でもパパがママに頼んで、ママがうんちんママに頼んで──」
「そんな回りくどいことしないだろ、疑心暗鬼ぶぅめ」
「だってえ……」

 昔からうんちんは、ぶぅの言動から「〇〇ぶぅ」とあだ名し茶化すことがある。泣き虫ぶぅちゃん、劇がかりぶぅちゃん、生意気ぶぅちゃん、突撃ぶぅちゃん、などなど。

「だれも反対してないって。心配なだけだよ」
「そうなのかなあ……」
「お父さんにもお母さんにも話してないんだろ、『自分はこうしたい』って」
「……話してないデス……」
「言わなきゃ伝わらないぞ」
「ハイ……」
「〇〇大に行きたいんだろ?」
「いきたいデス……」
「じゃあそれハッキリ言わないとな。じゃ言ってみな」
「え?」
「練習だよ練習」
「──わたしは〇〇大にいきたいです」
「そこは『ぶぅちゃんは』だろ!」
「なんで!」

 ぶぅの一人称は「ぶぅちゃん」だった。うんちんと会わなくなって「わたし」しか使わなくなった。

「自分がどうしたいかってのが一番なんだから、しっかり言っとけよ」
「はあい」
「聞いてねえな」
「聞いてる!」
「で、いつこっちに出てくるんだ」
「えっとねえ、あさって」
「早ッ」
「あッ!」
「ん?」
「じんがんぜんよやぐぢでない……」
「まじか、自由席はこの時期きついぞ」

 へにょへにょした声にうんちんあきれて笑っていると、

「あっママきた。ぽて連れてくからお迎えきてね、じゃあね!」
「ぽてって、家はどこに──」
「……もしもしうんちゃん?」
「ハッご無沙汰してます、遅くにすみましぇん」

 ぶぅのパパママは「うんちゃん」呼びである。

「いいのいいの、久しぶりねえ、うんちゃん大学の先生になったんでしょ、立派になってえ、そうそう聞いてくれる、あの子ったら今の今になってそっち行くって、もうどうしようって──」

 八年ぶりの立て板に水でうんちん相づちが追っつかない。

「ぺらぺらぺらぺらぺらぺら」
「ええ、ええ、──まあ本人が、──エッもう決まって、はい──、それならうちから近いですし──、はい、はい──」

 ぶぅの新居は、パパがふて寝する前、うんちん宅から徒歩5分にある学生マンションに決めていた。

「おねがいねえ、あの子まだまだ子供だから」
「はい。タカミツさんにもよろしくお伝えください」

 やっとママが安心したとき、うんちんはヘトヘトだった。それから二日後、予定どおりぶぅは上京したんだ。

「人多すぎよお……」

 夕方の東京駅は大混雑だった。うめく背がじっとり熱い。人波にうまく乗れずふらふら、次々きらびやかなお店にくらくら、そうして約束とは違う方へ──

「どこ行くんだよ」
「わッ!」

 うんちんが現れた。お化粧しているのに、眼鏡をかけているのに、八年ぶりなのに、ぶぅがぶぅだと一目でわかったのだ。

「ココ、ヤエスグチ、アッチ、マルノウチ。ニホンゴ、ワカル?」
「うんちん目立つし見つけると思ったの!」

 成長期を経たぶぅでも、まだうんちんの方が30cmは背が高い。

「髪巻いちゃって、イキりぶぅだねえ」
「ふふん、美容院に寄ってきたのだ」

 得意気に髪をそよがせたぶぅにうんちん劇がかって、

「ようこそ、アア、TOKYOへ──」
「ねえやめて!」

 中央通路のはしっこで、お上りさん二人がこっそりふざけていた。

「ほら行くぞ、なんだそんなに重くないな」
「おながずいだよお」

 うんちんキャリイングバッグを引き継いで、ぶぅは駄々をこねる。発車時刻ぎりぎりで駅弁は買えず、混みすぎて車内カートも回ってこず、お昼から何も食べていないのだ。

「じゃあどこか店入るか。ジュンコさんにも連絡しないとだし」
「そうしよう!」

 一転ずんずん足を踏み鳴らしぶんぶん両腕を振って歩き出すぶぅ、

「まるで成長していない──」

 うんちん思わずつぶやいたら、聞きとめたぶぅが急ブレーキで睨みつける。振り向く顔の斜めぐあい、両肩の落としぐあい、鋭い目つきの作り方まで、十歳のままだった。

「いちごうま」

 手近なカフェに入るなり、ミックスサンド、いちごパフェ、アイス豆乳ラテと次々がっつくぶぅを、ホットコーヒーだけのうんちんにっこり見守る。

「え、食べていいよ」
「おれのセリフだよ」
「しっけしっけ!」

 もちろんうんちんのおごりである。

「まさかそれ、ぽてしか入ってないのか」

 うんちんは気づいた。ぶぅが脇に置いた小ぶりのリュックサックから、ボクが覗いていることに。

「ヒサシブリイ」

 引っ張り出しては昔うんちんがやっていたように、ボクの首と手を振りアテレコしてみせるぶぅ、リュックがくたりと折れる。

「ハア……」

 ため息まじりにがっくりきたうんちんだった。






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