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短編小説 上京小娘ぶぅちゃん


 最近うんちんは寝言が多い。
「──ぶぅ、と言ったのだった……」
 どうやら夢の中でぶぅのお話を考えているらしい。それなら面白くなること間違いないし、ボクの記憶も付け足しながら、現実に書きとめておいてあげようと思う。
 ボクは「ぽて」、ぶぅ5才の誕生日にパパに買ってもらったぬいぐるみだ。その大学進学にあわせた上京にもついてきて、というか連れてこられて、いろいろあって今はうんちん宅に居候している。
 「ぶぅ」は23歳の女の子、大学は四年で卒業できたけど中身は10歳からあんまり成長していない。料理が得意で、だし巻きと塩おにぎりはうんちんいわく「極上と絶品のハルモニア」らしい。
 「うんちん」は38歳の腰痛持ち独身おじさん、ぶぅの一人暮らしを支えてくれた人だ。ちょっと偏屈だけど、ほこりや副流煙を浴びないようボクに膝かけを掛けてくれるように、根はやさしい。
 二人はいとこ、ぶぅのパパのお兄さんがうんちんのお父さんだ。「ぶぅ」も「うんちん」もそれぞれがずいぶん前に付けたあだ名で、ボクの「ぽて」も二人が付けてくれた。
 上京してからぶぅには本当いろんなことがあったけど、いつだってうんちんはそばにいてお世話してくれた。こうして代わりに書くことがちょっとでもその恩返しになれば、ボクは嬉しい。


 二人の出会いはぶぅ1才のとき、おじいちゃんおばあちゃんの家だ。どちらも唯一のいとこということもあって、毎年お正月やお盆休みには仲良く遊んでいた。
「ぶぅ、川行こうぜ」
「いく!」
「ぶぅ、裏山のグミの木がなってるって」
「たべる!」
 ぶぅ10才の冬、おじいちゃんとおばあちゃんが亡くなった。北陸地方のぶぅは年頃、中国地方に実家があるうんちんは上京中、集まれる機会と場所がなくなって、しばらく疎遠になっちゃった。
 ママ同士は連絡を取っていたから、うんちんはお母さんと電話する中でぶぅの近況を聞いてはいた。自転車ごと田んぼに突っ込んだとか、ブラスバンド部に入ったとか、そんなこんなを。
「ぶぅちゃん、かわいなったよ」
 2019年の元日、帰省したうんちんはぶぅ18歳の誕生日の朝に送られてきたという写真をお母さんに見せてもらった。冬服姿で自宅前で変なポーズをしているやつだ。
「へえ、あのぶぅがなあ……」
 おかっぱじゃないし背も伸びている。最後に顔を見たのは8年前、なんだか背中がずっしり重い。川遊びの帰りのおんぶみたいで、ちょっぴり寂しい。
 その3月、うんちんは電話口のお母さんに知らされたんだ。
「ぶぅちゃん〇〇大学に決めたあて」
「ん? ぶぅがなんて?」
「春から東京よ、○○大学」
 食文化を学べる私立、うんちんが語学を教えている大学だった。
「……え、国立は?」
「やめたあて」
「なしてよ」
 ぶぅは管理栄養士になれる地元の国立大学をめざしていて見事合格した、と前月に聞いていたうんちん寝耳に水である。
「さあねえ、アンタと一緒じゃろ」
「あ、そう……」
 かつてロマンひとつを胸に上京したドラ息子のいきさつを知る一言には返す言葉もない。
「それよりゃジュンコさんよ。不安じゃ不安じゃて、アンタと話したい言うとるけえ、電話しちゃってくれんけえな」
 ジュンコはぶぅのママ、やっぱり8年ぶりである。
「電話? 緊張するなあ」
「ええからええから。この前タカミツさんが鮭送ってくれたん、粕汁にして送っちゃるけえ」
 タカミツはぶぅのパパ、粕汁はうんちんの大好物である。
「──もしもし」
「あ、夜分おそれいります、ってなんだぶぅか」
 固定電話に架けたら予期よりだいぶ若い声が応えて、10歳のおかっぱ頭がパッとひらめいた。
「え、──うんちん?」
「おう、あれ、お母さんいるかい」
「え、いまおふろ入ってる」
「あら、じゃあお父さんは」
「寝てる、タブン」
「まじか、えっと、──は、8年ぶりですね」」
「え、は、はい」
 お互い妙にぎごちない。
「あれ、国立受かったんだってな、一般で」
「え、ウン」
「すげえなあ、大したもんだ」
「もっと褒めていいよ! クリスマスもお正月もずっと勉強してたんだから!」
「ハハハ、でも蹴ったんだろ」
「え、うん……」
 はしゃぐ声が一気に沈む。うんちん楽しくなってきた。
「そりゃTOKYOの呼ぶ声には逆らえないよなあ」
「なにそれ、トッキョウ?」
「おれも10年前、いや15年か、──えっもう15年前? ガーン!」
「ねえ一人で盛り上がらないで」
「まじで15年も、──ヘエッくション! 失敬」
「失敬って、アハハうんちんだ」
「──やばい、とんがりコーンみたいな鼻くそ出た」
「ねえ! 言わなくていいから!」
 心から笑うぶぅは久しぶりだった。夏からずっと勉強勉強、国立に受かってもあんまり嬉しそうじゃなかった。
「まあ最後に会ったときも言ってたもんな、『東京いく』って」
「アハハ、言ったかも」
「8年越しってわけか、いいねえ」
「……うんちんは反対しないの?」
「なんでおれが反対すんだよ、鼻くそ食わせるぞ」
「だってパパもママも反対してるから……」
「反対はしてないと思うけどな、心配ではあるだろうけど。タカミツさんなんて特に気が気じゃなさそう」
「……」
 さっきぶぅはパパとケンカした。今からだと寮が無難だと言われて、ついイライラしちゃって、それでパパもふて寝しちゃったんだ。
「でもうんちん、〇〇大学の先生なんでしょ」
「非常勤だけどねえ」
「わたしを入学禁止にするつもり──!」
「ハハハなんだそれ。そんな権力ねえよ」
「じゃあなんで電話してきたの?」
「ジュンコさんを安心させてあげなってオカンに言われたんだよ」
「〇〇大に行くのやめさせて、じゃなくて?」
「オカンも別に反対なんてしてなかったぞ」
「でもパパがママに頼んで、ママがうんちんママに頼んで──」
「そんな回りくどいことしないだろ、疑心暗鬼ぶぅめ」
「だってえ……」
 昔からうんちんは、ぶぅの言動から「〇〇ぶぅ」とあだ名し茶化すことがある。泣き虫ぶぅちゃん、劇がかりぶぅちゃん、生意気ぶぅちゃん、突撃ぶぅちゃん、などなど。
「だれも反対なんてしてないって。心配なだけだよ」
「そうなのかなあ……」
「あれだろ、お父さんにもお母さんにも話してないんだろ、『自分はこうしたい』って、自分の口でちゃんと」
「……話してないデス……」
「言わなきゃ伝わらないぞ」
「ハイ……」
「〇〇大に行きたいんだろ?」
「いきたいデス……」
「じゃあそれハッキリ言わないとな。はい練習」
「練習?」
「おれをタカミツさんだと思って言ってみろ」
「──わたしは〇〇大にいきたいです」
「そこは『ぶぅちゃんは』だろ!」
「なんで!」
 ぶぅの一人称は「ぶぅちゃん」だった。うんちんと会わなくなって「わたし」しか使わなくなった。
「まあ、自分がどうしたいかってのが一番なんだから、あんまりまわりのことは気にしすぎんなよ」
「はあい」
「聞いてねえだろ」
「聞いてる!」
「で、いつこっちに出てくるんだ」
「えっとねえ、あさって──アッ」
「ん?」
「じんがんぜんよやぐぢでない……」
「まじか、自由席はこの時期きついぞ」
 へにょへにょした声にうんちんあきれて笑っていると、
「あっママきた。ぽて連れてくからお迎えきてね、じゃあね!」
「ぽてって、家はどこに──」
「……もしもしうんちゃん?」
「ハッご無沙汰してます、遅くにすみましぇん」
 ぶぅのパパママはずっと「うんちゃん」呼びである。
「いいのいいの、久しぶりねえ、うんちゃん大学の先生になったんでしょ、立派になってえ、そうそう聞いてくれる、あの子ったら今の今になってそっち行くって、もうどうしようって──」
 相変わらずの立て板に水でうんちん相づちが追っつかない。
「ぺらぺらぺらぺらぺらぺら」
「──ええ、ええ、──まあ本人が、──エッもう決まって──、それならうちからも近いですし──、──はい、はい、────」
 ぶぅの新居は、パパがふて寝する前にママと決めていた。うんちん宅から徒歩8分の学生マンションだった。
「おねがいねえ、あの子まだまだ子供だから」
「心配ないですよ。タカミツさんにもよろしくお伝えください」
 やっとママが安心したとき、うんちんはヘトヘトだった。


 東京駅は大混雑だった。
「人多すぎよお……」
 エスカレータを降りながらぶぅがうめく。背中がじっとり熱い。次々きらびやかなお店が出てきて目がくらくらする。寄せては返す人波にうまく乗れず、あっちへこっちへ約束とは違う方へ──
「どこ行くんだよ」
「わッ!」
 うんちんが現れた。お化粧しているのに、眼鏡をかけているのに、8年ぶりなのに、ぶぅがぶぅだと一目でわかったのだ。
「ココ、ヤエスグチ、アッチ、マルノウチ。ニホンゴ、ワカル?」
「うんちん目立つし見つけると思ったの!」
 成長期を経てもまだ30cmは背が高いうんちんに、ぶぅは早熟れの桃みたいに顔を赤くしてまくしたてた。
「髪巻いちゃって、イキりぶぅだねえ」
「ふっふっふ、美容院に寄ってきたのだ」
 得意気なぶぅにうんちん両腕を広げて上向いて、
「ようこそTOKYOへ──」
「ねえやめて!」
 中央通路のはしっこで、お上りさん二人がこっそりふざけていた。
「ほら行くぞ、なんだそんなに重くないな」
「おながずいだよお」
 キャリイングバッグを引き継いだうんちんのそばでぶぅがうずくまる。発車時刻ぎりぎりだったので駅弁は買えず、混みすぎて車内カートは回ってこず、お昼から何も食べていないのだ。
「どこか店入るか、ジュンコさんにも連絡しないとだし」
「そうしよう!」
 一転ずんずん足を踏み鳴らしてぶんぶん両腕を振って歩き出すぶぅにうんちん目が点、
「フッ──」
 自然と鼻から息が漏れたら、聞こえたぶぅが急ブレーキで睨みつける。顔の角度の斜めぐあい、両肩の落としぐあい、鋭い目つきの作り方、どれも8年前のままだ。
「いちごうま」
 手近なカフェに入るなりミックスサンド、いちごパフェ、アイス豆乳ラテと次々がっつくぶぅを、ホットコーヒーだけのうんちんにっこり見守る。
「え、食べていいよ」
「おれのセリフだよ」
「失敬失敬!」
 8年前とはちょっと変わっても変わらない二人である。
「まさかそれ、ぽてしか入ってないのか」
 うんちんは気づいた。ぶぅが脇に置いた小ぶりのリュックサックからボクが覗いていることに。
「久シブリイ」
 引っ張り出しては昔うんちんがやっていたようにボクの首と手を振りアテレコしてみせるぶぅ、リュックがくたりと折れる。
「ハア……」
 ため息まじりにがっくりきたうんちんだった。





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