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【たったひとつの出来事】 #784


彼女にフラれここ最近ムシャクシャしてお酒に逃げていた
毎日毎日あおるように飲み
次の日は酷い二日酔いで出勤

俺の勤めている会社は小さな運送会社
短距離走の契約事業者間の配送を担っている
会社は社長をはじめ和気あいあいとした雰囲気の職場だ
その分社員に対して厳しい指導などは無く良くも悪くもルーズな状態であったので俺みたいに二日酔いで出勤してもさほど気にする人間も上司も居ない

この日は二日酔いというよりむしろまだ酔っ払っているんじゃないだろうか
頭がクラクラしている
でもまぁ慣れた配送なので問題ないだろう

俺はトラックに乗りこれからジュースやお菓子など加工品を扱う問屋に向かい荷物を積んで個人経営のスーパーに荷物を運ぶ
たったそれだけの仕事だ
何も問題無い
これを1日に何度かピストンするだけだ

問屋に到着し荷物を荷台へ積み込みながら問屋の社員と無駄話なんかをする
他愛のない話だ

積み込みが終わったのでスーパーへと走らせた
いつも通りのいつもの道
頭はクラクラするが慣れた道


知らない間にウトウトしてしまっていたようだ
俺は目の前の信号が赤になっているのに気付いていない
ウトウトしたまま交差点に

その時それは起こった

登校中の小学生の列に俺はノーブレーキで突っ込んだ
そのまま1人の子供を引きずりながら俺はハンドルを大きく左に切って電柱に勢いよくぶつかりトラックは止まった

記憶にない


目を開けるとそこは病院だった
どうして病院に居るんだ?
分からない

目が覚めたのを看護師が確認し医者が現れた

「山田さん
山田ヤスシさん
聞こえますかぁ?

この指を目で追えますか?」

俺は言われた通り医者の指を目で追った

その後医者は看護師に何かを伝えて出て行った
看護師は俺に何かの処置をしたようだ

数時間して母親が現れた
しかし俺は喋れない
口の中に何かが入っていて話せない


俺は交通事故を起こし5人の子供たちをはね
その内1人は亡くなったらしい

それを知ったのは1週間後の事だった

1週間後には俺はもう口から管が外され話せるまで回復していた
左足と左鎖骨と右手首を骨折していた

この日警察官が俺の元に現れ事件について話を聞いた
意外と警察官は優しく対応してくれた
でも俺は殺人犯である
業務上過失致死しかもアルコールが残っていた
執行猶予など付かない
刑務所に直行だ

25年間生きていて罪なんて犯した事なんて無い
ケンカもした事無いし
高校でも停学にもなった事もない
普通に高校卒業して専門学校行って
1年就職浪人して今の会社に入った

でも今は犯罪者

なんて事をしてしまったんだ

この時は自分の事ばかり考えて
亡くなった子供の事
その両親の事
重軽傷をおった他の小学生の事
その両親の事
そんな事は全く考えていなかった
自分の事しか頭に無かった

2ヶ月後
俺は車椅子で実許検分を警察官たちと行った
そこには沢山の報道陣が居た

多分これニュースになってるんだろうな

正直言ってあまり覚えていないんだ
だから実許検分と言ってもそれは形式的で警察官からの説明に頷くのみだ

その後この検分や目撃者の供述を元に検察は資料を整え
裁判となった
俺にも弁護士は着いたが
弁護士はもう実刑は免れないので出来るだけ懲役年数を軽減する為にとにかく反省の意思を表して下さい
そう言われた

そこで初めてハッとなった
自分が今まで自分の事しか考えていなかった事に

そうなった途端ダムが決壊したように跳ねられて亡くなった子供の事
その両親の事
重軽傷になった子供たちの事
その両親の事

裁判が始まって最後まで涙が目から溢れてどうにもこうにも止まらなかった

本当にごめんなさい
自分が彼女にフラれくらいでお酒に逃げ飲みまくり
その挙句酔った状態で勤務し
子供たちを…

今の僕に出来る事は謝る事と刑務所に入る事
それ以外の償いは無い
償ったってあの子は生き返らない

なんて事をしてしまったんだ


俺は懲役15年を求刑され判決は懲役10年となった

刑務所に入り俺は反省する毎日を送った
出来る事と言えば遺族にお詫びの手紙を書き続ける事だけだった

俺は模範囚だったので7年で刑務所を出所できた
年齢は33歳
まだやり直しできる年齢

俺は実家に帰ると母親に迷惑がかかるから頼んでアパートを借りてもらった

2日後
以前勤めていた会社に菓子折りを持って謝罪に行った

社長が会ってくれた
社長は怒っていなかった
それどころか俺の身を案じてくれていた
仕事の事も心配してくれ
社長の弟さんが経営する鉄工場を紹介してくれた
あの事件で会社も亡くなった家族に多額の賠償金を払っていた
俺は社長にお礼を言い
弟さんの鉄工場に勤める事を決め
少しずつではあるが返済する事も伝えた

次に
お亡くなりになられたご家族の元へ菓子折りを持って訪ねて行った
何度も手紙を書いていた事もあって家に入れてもらえた

とにかく土下座して謝り続けた
しかし穏やかながらも冷たく

「もうお気持ちは分かりましたので
これを最後に2度と来ないで下さい

アナタを見ると思い出して辛くなるのでもうお引き取り下さい」

お墓参りをお願いしたが断られた

玄関先で頭を下げてアパートに帰った



あれから5年して俺は結婚した
子供も2人もうけた
毎年あの日が近づくとジワジワと悲しみや苦しみが込み上げて来る

子供ができた事でその思いは余計に重くのしかかり
とうとう上の子が高校生になった頃に俺は酷い鬱にかかり工場を辞めてしまった

工場の社長には正直に話
分かってくれた
以前の会社にも出向き事情を話をした
社長は息子さんに代わっており
話をしたらわざわざ前社長が事務所まで来て下さった

「社長すみません」

「さっき電話であいつから聞いたよ
お前もうあれは済んじまった事だ
お前は罪の償いもしたじゃ無いか」

「でもねぇ社長
子供ができてね
成長していけばいくほど
あの死んだ子供も
今生きてりゃ社会人だ
そんな成長をあの両親は見られなかったんですよ」

「そうだなぁ
でももうどうにもならんよ
なぁそこまで背負い込まんでいい」

「はい…
それから社長への返済もまだまだ残ってるのに
病気治したらまた返済し始めますんで
少しの間だけ待ってもらえませんか」

「そうかぁ…
俺はなぁ
もう良いかなと思っとるんよ
でもお前がそれで気が済むなら
それで良い
いつでも良い時にまた払ってくれ

分かったから今日はもう帰って休みなさい
それで治療に専念しなさい」

「ありがとうございます」

俺は前社長と現在の社長に頭を下げ後にした


毎日前を向いたり
後ろを向いたり

ある日
よく分からないが
突発的にそれは襲ってきた

強迫観念なのか

あっという間に
俺は俺を終わらせていた


葬儀は近親者のみで行われた


俺はこれで解放されたのかなぁ






ほな!

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