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痔除伝 第十一章 後編 Have you ever smelled the Baked asshole?

オペ室は、思ったよりも狭かった。大体12畳くらい。もっと広いイメージだったが、手術の内容、難易度などによって広さが変わるのかもしれない。

執刀医やオペナースは、オペ中に赤いもの(血液や内臓など)ばかり見ることになるため、部屋の内部が寒色系の内装になっていると聞いたことがある。赤いものばかりを見続けた後に白いものを見ると、反対色である青や緑などのシミが見えるようになるらしい。

確かに、オペ室の壁や床は、全体的にうっすらと青や緑がかっていたような気がする。同じ理由からか、オペナースの着ている服も、薄い青色をしている。寒色系に包まれているからか、不安感からかわからないが、身体の芯が寒い。

オペ室の手術台に座るよう指示される。左手から再度点滴を通すための血管を探されるが、やはり見つかりにくいようで、オペナース曰く「最終手段」を取ることとなり、左手の甲の小指と薬指の間のところに点滴を入れられた。

しかし、うまく血管に入らない。何度か刺し直して、ようやく血管に入ったようだが、少し痛みがある。

「多少の痛みがあるのは、大丈夫。今以上に痛みが強くなったり、痺れが出たら必ず伝えてください」

と、オペナースは言った。正直、刺された時よりも少しだけ痛くなっている気がするが、自分の精神状態が安定しておらず、感覚があてにならない。

また、再度刺し直しを行う事でスケジュールに遅れを出してはならない、と感じてしまったことなどから、言い出せなかった。点滴を抜いたあと、広範囲で紫色に変色していたため、やはりすこしズレていたのかもしれない。

手術中は、常に血圧が計られたままになるらしい。腕に再び血圧計が巻かれたあと、いよいよ、麻酔を打たれる時が来た。

主任は、右の方に体を向けて足を抱き抱えるようにして背中を丸めるよう、指示を出した。横向きの体育座りのような格好だ。事前の説明でもあったが、麻酔を打った後、すぐに寝返りを打ってうつ伏せになるよう、再度念押しされる。グッと体に力が入る。

……怖い!怖い怖い怖い怖い怖い!

やっぱり、背骨に注射を打つなんて、どう考えてもおかしい!背骨に大事な神経がたくさん通っていることなんて、私でも知っている。そこに針を通し、麻痺させる液体を注射するなんて、大丈夫なわけがない!中世なら、悪魔の儀式と呼ばれる類のものである。

入院前に書いた手術の誓約書が頭を過ぎる。予期せぬ……とか、いかなる責任も……とか、そんなようなことが書いてあった気がする。

勿論、失敗するリスクがあることを承知して欲しい、と言う書類なのだけど、その場では、まさか失敗するなんて思ってもいないから、こちらも気楽にサインをするのだ。学生ローンと同じである。

しかし、手術の失敗は意外と身近に存在する。私の父も、腹部の手術をした際、手術ミスが発生したことがある。もちろん、そうは言ってもここまできたらもう後戻りはできないこともわかっている。しかし、怖いのだ。

背中に、注射前のアルコール消毒をされる。へそのちょうど真裏あたりの位置だと思う。この、処置前のアルコール消毒がとても嫌いだ。これから数秒後に痛いことが起きるぞ、という無言の圧力がある。

しかも、処置する場所が見えない箇所だと、恐怖は尚更だ。麻酔は、痛い。肛門周囲膿瘍の時も痛かった。神経がたくさん通っている背骨なら、尚更痛いことだろう。

主任は、チクッとしますよ、という。刺される合図だ。繰り返すが、背骨である。絶対に体を動かしてはならない。思いもしない痛みに体を動かして、神経に触ったとしたら、大変な事になる。私は、覚悟を決めて息を飲む。


ちょっと、チクッとした。


全然痛くなかった。背骨のところに、言葉の通りチクッとした痛みはあるが、それだけだった。細いトゲでも刺さったかな?という感じ。なんなら、採血よりも痛くない。

背中の神経は、腕などに比べて鈍感なのだろうか。とんだビビり損である。その後、液体が入ってくる感覚がわずかにあった。無事に麻酔が入り終わり、

「終わりました!うつ伏せになってください!」

と、主任が指示する。私は即座にうつ伏せの体制を取る。すぐにオペナースが手術台の高さ調整を行い、上半身が高く、下半身が低くなる。高低差をつけることで下半身に麻酔が行き渡るようにしているらしい。

しばらくすると、少しだけ下半身に暖かいものが広がる感覚がしてくる。造影CTスキャンを撮ったことがある人なら、造影剤を注射したときの体が熱くなる感覚を覚えているだろう。

造影剤を入れたときは、徐々に体がポカポカとしてくる感じがあるが、今回はじわっとぬるめの液体が行き渡る、という感覚がある。

麻酔が効くのを待っていると、

「もうすぐ先生が来ますからね」

と主任がいう。とうとう手術が始まってしまう。不安で仕方がない。

麻酔を打ってから1分ほどして、オペナースが私の太ももや尻付近を手で押さえたり、触ったりしている。感覚が無くなっていきますよね、と言うが、ある。触られている感覚が、めちゃくちゃある。

まさか、麻酔が失敗したのか……?確かに、時間が経つごとに感覚は鈍くなっている様な気もするが、触られている感覚ははっきりと感じる。

下半身にウェットスーツのようなゴム状のものを履かされ、その上から撫でられたり、押されたり、つねられているような感覚。

はっきりと指の一本一本まで感じ取れる、と言うわけではないが、感覚は鈍いものの、大体どこをどうされているのかはわかる。このまま手術に入ったら、きっと多かれ少なかれ痛みを感じる事だろう。

肛門周囲膿瘍を排膿する時の、脳天を鋭く貫くような痛みがフラッシュバックする。不安と恐怖が爆発して、うつ伏せになった台にしがみ付いてしまう。血圧が急上昇でもしたのか、主任が近くに寄ってくる。

「どうしましたか?大丈夫ですよ」

優しく声をかけてくれるが、「こんなに感覚が残っているのに、大丈夫なものか!」と、思ってしまう。

「麻酔されてるのにお尻を触られている感覚が残っていて、不安で……」

と伝えると、オペナースが、これは感じますか?これも?と、尻や太腿の辺りを引っ張ったり、つねったりしてくる。

「痛くはないですが、感覚はあります」

と伝えると、主任は、

「大丈夫。麻酔はちゃんと効いてますよ。触ったりなどの感覚は残るんですけど、痛みだけは感じないものなんですよ」

と、教えてくれた。とても、優しい声だった。

それでも、ひねくれ者の私は、(痛みだけ感じないなんて、そんな都合のいい事はあるはずがない!)と、素直に受け入れることができず、恐怖が薄まることはなかった。

手負いの獣のように、全てを不信の目で見ていた。指でも差し出してきようものなら、即座に噛み付く勢いである。大体、どんな手術になるのかも、現時点で知らされていないのだ。安心できるはずもない。


事前に調べたところによると、痔瘻の手術は3パターンある。肛門を切開して痔瘻部分を取り除くという、「切開解放術」。

肛門の機能を損ねないように痔瘻のろう管部分だけをトンネルのようにくりぬく「くりぬき法」。

ろう管にゴム紐を通し、それをゆっくりと時間をかけて締め付けることでろう管と肛門を一体化させる「シートン法」。これらの手術のどれを選択するかは、先生のその場の判断で決まるらしい。

事前の検査もなく、その場の判断だけで、果たして最適な治療ができるものなのだろうか。見誤りなどは起こらないのか。不信感を持って待っていると、右側のドアが開き、先生が入ってきた。手術が始まる。

オペ室にいるのは、私を除いて、先生、オペナース、主任の3人。もう少し大人数でやるものだと思っていたが、それも内容によるのだろう。手術台が、さらに高い位置まであげられる。うつ伏せになった私の顔が、主任の胸元あたりまで上がった。

両尻のほっぺの部分をグッと持ち上げられ、固定される。その感覚も、正しく感じ取れる。そんな状態で、切ったり縫われたりするなんて。とにかく怖い!

肛門周囲膿瘍で排膿した時の痛みとは、おそらく比べ物にならないだろう。怖すぎる。痛みで発狂してしまうかもしれない。緊張感と恐怖で頭が爆発しそうになったその時。主任が、私の肩にそっと手を置いて、

トン……トン……トン……と、子供を寝かしつける時のように、ゆっくり、ゆっくりと優しく叩いてくれた。

不思議と一瞬にして心が穏やかになり、温かいものが心を満たした。

体の緊張が解ける。多分、血圧も急降下している事だろう。何故かはわからないけれど、このまま身を任せていれば大丈夫な気がする。

私は、恥ずかしながら、ただのトントンだけで全ての不安から一気に解放されてしまった。

私が落ち着きを取り戻したのを見計らって、主任はトントンを止め、

「大丈夫。なにかあっても、ずっと近くにいますからね」

と、優しく話しかけてくれた。

何といういたわりと友愛!その者、青き衣をまといて私のそばに降り立つべし!リアル・ナウシカである。キツネリスのテトのように怯えていた私は、一瞬にして主任の優しさに身と心を委ねてしまった。言葉を発するのがなんだか恥ずかしくて、主任の励ましの言葉に黙って首を縦に振る。ここ数年で、こんなに心が穏やかになった瞬間はないかもしれない。恐るべし、トントン。いや、恐るべし、主任。

そうこうしているうちに、オペは進んでいるようだった。確かに、主任の言う通り、痛みは感じない。ただ、何をされているのかわからないが、時折膀胱の辺りを裏側から圧迫されるような感覚があった。そして突然、「ヂヂヂヂヂヂ」と、何かを溶接している様な音が鳴り出し、少し時間をおいて、ライターで髪の毛を焦がした様な匂いがオペ室内を満たす。

「あ、アヌス、焼かれているな」

と、悟った。電気メスというものだろう。突然の事に、また緊張感で体が硬くなる。

そんな気配を察するや否や、主任はまた私の肩に手を置き、トントンを始めてくれた。

(ホラ、こわくない。ねっ……)

姫ねえさま!私は再び、ゆりかごの中で母親に見守られているような安心感を得た。

何で、姫ねえさまは初めて会った私に対し、こんなにも優しく安心感を与えてくれるのだろう。

そして、何でトントンされるだけで、私は一切の不安から解放されるのだろう。

きっと、私がこのまま不安に駆られて手を差し伸べたら、姫ねえさまはすかさず両手で握ってくれると思う。そんな信頼感さえある。

なぜだろう。医療従事者とはいえ、こんなにも優しく、安心感を与えてくれた人は、これまでにひとりもいない。優しくしてくれても、どこか一歩距離を置いて、(仕事ですから)という壁を作って接していた。

勿論、それも正しい事だと思う。それなのに、このひとは、何故……。考え続けた結果、私は、気づいてしまった。

そうか、わかった……。そうだったんだね。ずっと、ずーっと探して、やっと見つけた。あんた……あんたオイラの、ママなんだろう?なぁ、そうなんだろ!?

ずっと、違和感を感じていた。今、新潟で打ち上げられたセイウチのように横たわっているであろう、あき竹城そっくりの女が私の母親なわけがない!確かに見た目は私と瓜二つだけれど、きっと本当は違うんだ!この人がオイラの本当のママなんだ!やっと見つけた!!

この溢れ出る愛情と安心感は、まさに母親のそれである。三千里もの距離を探し歩いて、ようやく見つけた母親に抱きしめられているような心の安堵。それは、無償の愛。母性である。

不思議と、勇気が湧いてくる。ママさえそばにいてくれるなら、オイラ耐えるよ!けつの穴に焼きごてをあてられようと、そのツンと来る焦臭さに鼻がヤラレようと、オイラ我慢するよ!

不安な気持ちはほとんど無くなったが、それでも下腹部に時折訪れる圧迫感や、不快な臭いに顔をしかめていると、トントンを通してママの思いが伝わってくる。

(頑張りなさい。男の子なのだから。あなたは私の誇り……。ああ!私が実の母だとあなたに打ち明けられたら、どんなに幸せな事でしょう!でも……それはできないの。自分勝手なママを許して。ごめんなさい……)

ママ……。そうだよね。こんな形で再会するなんて、ママは望んでいなかったよね。やっと会えたのに、会って数十分のうちにこんがり焼き上がったアヌスの臭いを嗅がせて、ごめんよ、ママ。

私の頭付近にいるママの位置から、私のベイクド・アヌスや玉浦海岸が見えないことが、せめてもの救いである。

そうこうしている間に、手術が終わった。全工程を通して、痛みはなかった。ママは、

「お疲れ様でした、頑張りましたね!」

と、労いの言葉をくれた。私自身は何もしていないのに、何だか照れ臭い。私は、へへっ!と自慢げに笑い、人差し指で鼻を擦った。ママとそんなやりとりをしていると、先生が横から、

「とれた痔瘻、見ますー?」

と、昨日釣った魚、写メ撮ったんですけど。くらいのテンションで声をかけてきた。相変わらず、テンションが軽い。もしかしたら、感情の何かが欠落しているのかもしれない。ケツだけに。

見るかと聞かれたら、そりゃあ、見たい。首を縦に振ると、先生は「肉片が付いた白い骨」のようなものを手のひらに載せて差し出した。長さ2センチ、幅1センチ位の円柱のような形をしていた。

「この白い部分がろう管ですね。取り除いちゃったからもう大丈夫ですよ」

と、笑いながら先生は言った。私は、その「自分の身体だった部分」の肉っぽさに、思わず怯んだ。

以前、自分は、どこまでが自分なのだろうかと考えたことがある。目、指、鼻、髪の毛、爪、これらは全て自分だけど、抜け落ちた髪の毛や切った後の爪は、果たして自分だろうか。体から落ちた血や垢は、自分だろうか。いや、これらは体から離れた時点で、自分ではなくなる。何の価値もない、汚らわしささえ感じる、ゴミと言っていい。

しかし、その見せられた「元・自分の部分」があまりにも生々しく、爪や髪の毛とは違う「質量」と「血が通っていた肉感」が感じられ、爪や髪の毛を切るときには感じない、体の一部が切り取られたのだな、という不思議な喪失感を感じた。勿論、切り取らなくては困る部分なのだけれど。


術後の処置も全て終わり、手術台からストレッチャーに寝返り方式で移動する。その後、また待合室に動かされるようだが、オペナースが何かの準備だか、後始末だかをしており、その間にママが、

「お疲れ様でした。寝返りや体制の変更もスムーズでとても助かりました」

と、再び労ってくれた。私は、あなたにこそ感謝をしたい、お礼が言いたい、と強く思ったのだけれど、照れ臭くなってしまって、一向に言い出せない。ただ、ママの言葉に相槌を打つことしかできなかった。

大体、お礼なんか言っても、リアクションに困らせるだけだろう。そう思うと、余計に何も言えなくなってしまった。第一、トントンって、正式名称なんて言うんだ?「トントンしてくれてありがとう」って、言うのか?バカみてぇだな!脳味噌まで麻酔が効いてやがる!

準備が整ったようで、待合室に移動する。別れの時は近い。待合室につき、オペナースがどこかに移動する。不意に、私とママの2人きりになる。ママは、

「しばらくしたら病棟の看護師さんがくるので、そしたら引き継ぎますね」

と言った。今、言わなくてはいけない。言わなくては、多分後悔する。

「あの、肩叩いてくれて、ありがとうございました。あれで、本当に救われました。単純な手術なのに、情けないですよね、すみません。でも、肩叩いてくれて、それで落ち着けたんです。本当に、ありがとうございました」

ちゃんと言えた。多分、術後にそんなお礼を言う人なんか殆どいないのだろう。ママは、予想外のことを言われたみたいに、少し驚いた様子だったが、優しく答えてくれた。

「いえ、手術が無事成功出来たのも、スムーズな寝返りとか、ちゃんと指示通りに対応してくれたおかげですよ。本当にお疲れ様でした。がんばりましたね!」

と、マスク越しでもはっきりと分かるように、にっこり笑ってくれた。

言えて良かったと思った。再び心に温かいものが広がる感じがしたが、不思議なもので、伝えることさえ伝えてしまうと、何だが残りの待ち時間が、少し気まずくなったような気がする。

すると、丁度良いタイミングで病棟の看護師が迎えにきてくれた。ママとの別れの時。私は再度お礼を言いつつ、ママの名札をじっと見つめた。この人の名前は、忘れずに憶えておこう、ずっと忘れることはないようにしようと心に決めた。今となってはもう一文字も思い出せないけど、思わぬ素晴らしい出会いに感謝をした。


待合室から、ストレッチャーに乗せられたまま更衣室に移動。本来、2人の病棟看護師で運ぶはずだが、1人しか来ていないらしい。そのまま待たされていると、更衣室から病室の斜め向かいの兄ちゃんが出てきた。手術の内容が同じだけあって、私と全く同じノースリーブのミニワンピ状態である。客観的に見たときの破壊力は、想像を絶するものだった。横浜流星くんでも、同じ格好をしたらファンが1/3に減ることだろう。

5分ほど待って、もう1人の病棟看護師がやってきた。息を切らしながらもう1人の看護師に、

「ごめんごめんお待たせー!重そうだけど、どうする?どうやって運ぶ?」

と言っている。ノリが軽い。つい先程のママとの出会いで満たされた心から、何かが少し減るような感じがした。

ストレッチャーが動き出し、更衣室を出て、病棟に運ばれる際、道の途中でガタっと衝撃が走った。例の看護師が、あ!待った待った!と叫び、ストレッチャーが止まる。その後、すれ違った人物が駆け寄ってきて、

「ちょっと!落としたよ!」

と、何かを拾って持ってきてくれた。私は天井しか見えないので、何が起きているのか一切わからない。トラブルだろうか、と心配になる。すると、例の看護師が、

「あ、サーセーン!あざぁーす!やべーやべー、マジ、シンデレラ!」

と言って笑っていた。どうやら何かの拍子に片方の靴が脱げたらしい。

……なんなんだよ、てめー!ナースのお仕事の観月ありさかよ!

銀座の高級クラブに行った後、大塚の昼キャバに行ったようなメンタリティの落差。高低差ありすぎて耳キーンってなるどころか、落下時のGで失神した。

ママからもらった大事なものが、一気に全てなくなったような感じがした。


つづく




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