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noteを投稿するきっかけと、目的。今後の心がけと、それらを含めて改めての自己紹介。

リリーフランキーになりたかった。

最も衝撃と影響を与えられたマンガと言われれば、迷わず手塚治虫の『火の鳥』を挙げるけれど、人生の方向性と目標を与えられた本と言われれば、リリーフランキーの『美女と野球』だと思う。いや、『誰も知らない名言集』かもしれない。まぁ、どっちかです。思えばそこに、noteを始めた原点がありました。

思い返せば、もう15年以上昔の話で心底ビックリするのだけれど、音楽で大成する、と決心して上京した私。しかし、私にとって東京での一人暮らしは、想像以上に気楽で楽しいものでした。うるさい親が居らず、自由を謳歌し、音楽以外にも楽しいことがある。いつしか決意は薄れ、指から血が出るほど練習を重ねることもなく、バンドの練習時間よりもその後の飲み会の時間の方が長くなり、そのくせテクニックも音楽的センスもルックスもない私は、20歳そこそこで(ああ、これはもう音楽でどうこうなるのは無理だな)と、早々に見切りをつけていました。

とはいえ、他にやりたいこともなく、新宿の音楽スタジオで、時給750円という当時の最低賃金に眉毛だけ書き足した様な金額でアルバイトをしながら、バイトとバンドを往復し、「夢だけは追いかけている風」を装い、だらしのない生活をしていたのです。

20歳前後という、一般的には輝く青春時代であるはずの時間を、一筋の光すら差さない沼の底で汚泥にまみれながら、それでいて抜け出す努力もせずにヌルヌルと生きていました。バイト先には、全員の借金総額にちなんだ「1000万パワーズ」という30前後の3人がおり、彼らを見ていると、案外ダラダラ生きていても意外と死なない、と確証を得ていたのです。

そんなある日、友人が私に一冊の本を差し出してきました。それが、『誰も知らない名言集』でした。それまでの私は、マンガとエロ本以外の本など数える程度しか読んだことがなく、コラムなんてもってのほか。しかも、著者はリリーフランキーだといいます。

今となってはベストセラー作家であり、名優としても名高いリリーフランキーですが、丁度『東京タワー オカンと僕と、時々、オトン』が発売されたかどうかくらいのころ。当時の私にとってリリーフランキーとは「ココリコミラクルタイプ」に出ていた、正体不明の辛気臭いおじさん。そんなおっさんの本なんて何が面白いんだよ、と拒むも、「絶対お前は好きだから、黙って読め」と鬼気迫る勢いで言われ、渋々読むことにしました。

『誰も知らない名言集』は、リリーフランキーがこれまでの人生で友人や知人から聞いた名言を、その時のエピソードと交えて紹介するという面白コラム。私は数ページ読み、その企画、構成、文章の面白さにまんまとのめり込みました。

友人にメールで感謝を告げ、すぐに本屋に走り、『誰も知らない名言集』と、一緒に並んでいた『美女と野球』を購入。『美女と野球』は、単一のテーマがないコラムで、数々の体験が面白おかしく描かれており、数ページ読むだけですっかりリリーフランキーのことが好きになってしまいました。

だらしなく、下品でロマンチスト。音楽やさまざまなメディアに造詣が深く、ひねくれた視点から飄々と本質を見る。リリーフランキーって、こんな人だったのかと感心すると同時に、強く憧れを抱き、何より「こんな仕事があるのか」という衝撃も覚えました。

今思えば、世に出る本や文章は、堅苦しく、真面目でなくてはならないという偏見がありました。私は「笑える文章で金を稼ぐ」という方法があることを知らなかったのです。なんとなく、この頃から「私もそんな風に生きたい」と、漠然とした気持ちを抱く様になりました。

前述の通り、当時の私はあまり本を読みませんでした。しかし、バンドのホームページなどで、度々文章を書く機会があり、周囲からも、

キミ、なかなか気が利いた文章を書くね。お母さん瀬戸内寂聴?

と、概ね好評を得ていたのです。また、自分のバンドだけではなく、他のシーンでも頼まれて文章を書くことがありました。しかし、何年経っても、どれだけ調べても、「面白文章」を仕事にする方法が見つかりません。

とりあえず、身近な人だけでも笑ってくれれば良いと、いつしか私は仲間内や職場など、ごく限られたコミュニティの中で気の利いた文章を書き、面白いと言ってもらうことだけで満足する様になっていきました。

リリーフランキーとの出会いから数年が経ち、すっかりスーツに慣れた頃、たまたまリリーフランキーの本を紹介してくれた友人が、仕事で私の職場の近くにきており、一緒に昼食を取ることになりました。その時、私の様子を見て彼は言いました。

お前はもう面白おじさんとして生きる道を閉ざしたんだな

私は、なんだか彼に見限られた様な気がして、心の底から悲しく、悔しい気持ちになりました。私は、無理矢理自分の野心に灯油をぶっかけて、再び面白コラムニストになる方法を模索しました。

そんなある日、知り合いの編集者と話した際、私の目標には2種類の大きなハードルがあることを知りました。今のご時世、コラム、エッセイを仕事にするには、「何か特定の分野で成果を出していること」もしくは「芸能人やYouTuberになるなど、インフルエンサーになること」最低限どちらかを満たす必要があるとのことです。どちらかの条件を満たさないかぎり、仮に内容が面白くても人は読まないし、読まれないものに会社は金を出さない。

私はまさしくその通りだと感じ、深く納得すると同時に、同じくらい深く絶望を感じました。コラム、エッセイを仕事にするには、コラム、エッセイ以外のことを頑張らないといけないのです。それは、キックボクサーになるためには、まずフランスで一流のシェフになれ、と言うことと同じなのです。いや、もしかしたら全然違うかもしれません。すみません。

面白コラムニストという人生は現実的ではないと知らしめられた私ですが、他の仕事をしていても、副業でもいいから面白文章でお金を稼ぎたい、という気持ちは潰えることなく、燻り続けました。

そんななか、前述の編集者は私にとって拾う神でもあったようで、たまに私の都合がつく時に仕事をもらい、「署名、無署名」にかかわらず記事を書かせてもらえるようになりました。その際、いくつかの私らしいエッセンスを加えることが出来たため、多少なりとも自分らしい文章でお金を稼ぐことができたと、自分の気持ちに折り合いをつけていました

しかし、どうしても本来の自分なりの文章で表現をしたいと言う気持ちが沸々と再燃し、みんなが大好きな「嫌われる勇気」を読んだこともあって、先日体験した肛門疾患の話や日々の雑念などを広く読んでもらう方法はないかと前述の編集者の方に相談したところ、

「現段階で個人の体験談を掲載してくれる様な場所は、まずない。自費出版という手段もあるけど、出しても誰も買わないだろう。今なら、noteで力試しをしたり、そこに投稿して反響があれば他の手段が見つかるかもしれない」

と教えてもらいました。

コロナ禍で人と会う機会も殆どなく、代わりに自由な時間だけは増えたため、私にとっては文章作成のために与えられた人生のロスタイムであり、チャンスと言えるかもしれません。そう思い、一念発起してnoteで新たなチャレンジを始めたのですが、「読まれるというハードル」のあまりの高さに失神寸前です。

ただ、わずかな閲覧数の中でも、リアクションをしてくれている人がいると言うことは、きっと私の拙作で何かを感じてくれた人が少なからず居たはず。

それを励みに、これからも「高頻度だがそれでいてマイペース」なテンポで発信を続け、ニヤリとできる投稿を心がけたいと思います。

いつか私の投稿が誰かの目に留まり、わずかでも口角が緩んだのであれば、私の野望も一歩近づいたと言うものです。

そして、自ら投稿すると同時に、さまざまな人の沢山のnoteの投稿を見て、近頃私は大きな間違いをしていることに気付き始めたのです。

多分、noteってそういう投稿を求められてる場じゃねぇな

と。

もしお気に召しましたら、他の投稿も見ていただけたら幸いです。

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