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呪いの言葉[しっかり者]


二十年生きて、「しっかり者だね」と耳にタコが出来るぐらい何度も言われた事がある。
 「芯」を持っていてしっかりしてる。
 「考え方」を持っていてしっかりしてる。
 自分の「生き方」があってしっかりしてる。
 「行動」がしっかりしてる。
 「家族」の事もしっかり考えてる。
 「長女」だからしっかりしてる。
 その若さで「しっかり者だね」とよく言われます。

でもどうでしょ、本当に私はちゃんと「しっかり者」になれてるでしょうか。
 私は、自分自身を一度も「しっかり者」だと一度も感じた事も思った事もありません。
 我儘で傲慢で自分勝手で生きたい。そう願うばかりの毎日で一度も「しっかり者」で居なきゃいけないと自分から進んで行動する事って私の性格上合わないしきっとこれからもできない。
 だから、私は、偽りの「しっかり者」を演じる事によって私の周りの人間が家族関係に私自身が崩壊しないようにと偽って生きるが私の精一杯の嘘。
 私にとって「本物のしっかり者」は、自分自身に偽りなく自分の事を人生を楽しんで素直に受け入れて生きている人だと個人的に感じる。
 
 「しっかり者」になるのって精神的にも体力的にも負担が大きいしそれを演じるたびに自分を見失いそうになりこれ以上にもっと自分に嘘をつかないといけないのだろうかと私の感情を全て掻き乱すだけなんです。

 他人からしたら、その5文字が「褒め言葉」であって嬉しい言葉に聴こえる事もあるでしょ。
だけれど、私自身からしたら
  「呪いの言葉」
でしかない。

  沢山甘えて、沢山わがままを言って、好きな事を好きにさせるてくれるそんな人生を送って生きていきたいし将来の事も明日の事も周りの家族や人間関係なんてどうでもいいって思ってしまうぐらい私は、永遠に子供で「しっかり者」になんて絶対なれないしなりたく無い。


 

 

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