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家事の効能

私には、どこか現実的で実質的なことを嫌うところがある。

夫にもちょっとした事で「それは現実的ではないね」と呆れられたりする。

それでも夢想することや非現実的なことは、感性を磨き大切な創造の源泉であると思っている。

しかし、現実を直視せずに目の前の少し退屈な事柄や、平凡なことに対し後退的な姿勢をとっていると、結局何をも掴めず喪失感ばかりが募るのだということが、この年齢になってやっと分かってきた。

これはどうにかしなければならない、と切実に思っていたけれど、最近少しだけその感覚が快方に向かっている。

その要因は、誰でも普通にやっていることで、取り立てて言うことではないかもしれないが、家事を主体的に取り組むことにある。

家事は細かなことの繰り返しで、しかもどれも面倒なことばかりだけれど、それを一つ一つポジティブに捉えて行うと、全く違うものに思えてくる。

買い物も料理も、食器や調理器具を洗ったり片づけたり、洗濯も洗濯物を畳んでしまうのも、トイレ掃除もお風呂掃除も、年老いたルビーのお世話も全て、毎日、毎度、繰り返し繰り返し続く小さな面倒なことばかりで、新しい物は何をも生み出さない。

誰もやりたがらないけれど、被害妄想に駆られるのはもういい加減止めにして、それを一つ一つ引き受けて主体的に取り組み継続する...。

誰も気が付かないし評価もされない。
けれど。

しかし、いつもより一つ多く、少し広く、気になっていたところを磨く、その程度の進歩をじりじりと毎日重ねる。

すると、平凡な家事は決して、夢想や創造したいと思う気持ちを邪魔したり減退させたりはしないのだ、と分かってきた。

主体的に取り組むことで、むしろ、限られた時間の中で自由に自分の世界を広げることができる実感が持てるようになってきた。

家族の衛生や健康をマネジメントする任務は尊く、それができる私は決して無価値ではない。

そして不必要に自尊心を低める必要もなく、喪失感を抱かなくても良いのだ、と少しだけ思える。

家事の効能は大きい。

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