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家族の幸せな光景と読書

何度か読むことにチャレンジするものの、頭の中でイメージが描けず意味が分かない。

字面は目で追うのだけれどそれ以上進めず、何をも得られない気持ちを繰り返す箇所があった。

少し日を置いて、半身浴をしながら再び読み直してみると、なんとスルスルと理解できるではないか。気が付けば、風呂蓋の上に置いた書籍を前のめりで読んでいた。

読書には時々、このような雪解けのような瞬間が訪れる喜びがある。

また、読んでいて本筋ではないことでも気になる人物や事柄などがあった時は、読後も頭の片隅にそれがあって、別の書籍を読み進めていると、同じ人名がまた書き記されていたりするのに出くわす時がある。

すると、その名の人がますます気になって調べ、その人の著書や関連本を読み始める。

このようにトルネード式に興味が渦を巻いて繋がっていくのは、尽きることのない楽しみだ。

思い返せば子供達が小さい頃は、家族で釣りに出かけると、私はルビーと一緒にレジャーシートに座って、日傘をさしながら読書タイムとなる。

釣り餌のアオイソメを付け替えに戻ってくる夫や子供達と、今日の釣り場の様子や釣れた釣れないの話をちょこちょことしては、また読み耽る。

激動の時代を生きる逞しい姿に思いを馳せ、「福翁自伝」の現代語訳に胸を熱くしていた。

今から10年程前になるだろうか。子供達がまだ小学生の頃、夏休みの一か月間、石垣島のコテージに家族で滞在したことがある。

目の前の道路を超えて、腰程の高さの藪を降りて行けば、天然のプライベートビーチが広がっていて、おにぎりを握って毎日のように家族皆で出かけていた。

夫と子供達がプカプカとシュノーケリングを楽しんでいる様子を遠めに確認しながら、私とルビーは丁度良い洞窟の入り口に布を広げて腰を下ろし、読書タイムが始まる。

東京から持参した神谷美恵子全集に没頭し、彼女にますます憧れを抱いていた。

青い空に映える積雲を仰ぎ見る季節になると思い出す、永遠に続くといいなと思うような家族の幸せな光景と読書。

過去の人々の思想の源泉やその哲学に触れる感動と、そういった家族との記憶がリンクするのも、読書が好きな所以だと思う。


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