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友利修 音楽について研究したり教えたりしています。とくい分野は19世紀西洋音楽史。宮古…

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友利修 音楽について研究したり教えたりしています。とくい分野は19世紀西洋音楽史。宮古島産。しばらくは、他所に書いたことをサルベージして転載します。主に音楽について。だいたいがいわゆる「長文」。

最近の記事

パトリシア・カースの「ドイツ」

https://www.paroles.net/patricia-kaas/paroles-d-allemagne の勝手訳。 タイトルの文句で、かつ、行の頭で繰り返される "D'Allemagne"は「ドイツといえば...」というようなニュアンス。そして歌は、ドイツとの国境の町に生れ育ったカースに、ドイツへの個人的思いを語らせる趣向となっている。 作られ、歌われたのが1988年ということは、壁の崩壊前。あれ?と思う固有名詞やちょっととっぴょうしもないように見える単語は

    • ジェーン式『ジュテーム』

      Mixi日記 2005年8月24日より一部編集して転載。」 7月(2005年)にル・モンド紙で20回ほどのシリーズで60年代、70年代の夏のヒット曲を年ごとに1曲づつ、裏話などもふくめて紹介する企画があった。その中で69年の曲として選ばれているのが、かの名高い、セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの「ジュテーム...モワ・ノン・プリュ Je t'aime ... moi non plus」。その中でジェーンでなくブリジット・バルドーとのヴァージョンについても触れられて

      • 向けあった背と背…ケレン・アン 〈ブルー 〉

        ケレン・アンが2019年に3月、フランス語メインのソロ・アルバムとしては14年越しにリリースした《Bleue ブルー》の中の2曲目の先行発表曲で、かつアルバム・タイトル曲の 〈 Bleu ブルー 〉。 優しくほんわり明るい曲調。 ありきたりのトーチ・ソングとも違う、微妙な大人の歌。 いつくしい思いと虚しさの交差する切り取られた瞬間というべきか。 憂愁のブルーの色合いは淡くフェードアウトするのか、激しいドラマに豹変する一歩手前なのか、胸苦しいようなスリリングさがある。 h

        • ジョゼフ・メリ 「1月1日」

          何かお正月らしい詩はないかと探したら、見つかったのが Joseph Méryという詩人の Premier Janvier、その名も『1月1日』という題の詩。(2012年にFBに一度投稿したものを改訂)。 正月気分の中で訳してみた。女性に贈った愛の詩のようだが、訳は、男女含めて、新年のご挨拶がわりに皆様へ。読んだくださった方が、めでたい気分になっていただけたらうれしい。 皆様、明けましておめでとうございます。 ジョゼフ・メリ(1797-1866)は、マルセイユ生まれの小説

        パトリシア・カースの「ドイツ」

          1837年12月26日(フランツ、マリー、コジマ)

          10年前(2012年8月)の旅行記(限定公開FB)から。旅行そのものは夏だったが、この時期になると毎年のように思い出すエピソードで、こちらに再録。 1837年11月末(12月)から翌年のはじめまでリストとマリー・ダグーはコモ湖畔の町コモComoにあるHotel dell'Angelloの614号室に滞在する。その間、12月24日に生まれたのが、コジマ(そもそもCosima の名の由来にComoがある)。 今回のコモ訪問の楽しみの一つは、その場所が実際どこなのかを確認するこ

          1837年12月26日(フランツ、マリー、コジマ)

          ハロウィーンと蝶々--猫耳では手抜きだった--

          (2010 FB → 2015個人ブログ motto voceから転載)日本のハロウィーン、次第に都市文化として根づいていくる。証言的に某所に書いた010年の日記から) 某月某日土曜日、中央線のずっと向こうで一仕事終えたあと、カボチャ色の服に着替えて、台風の豪雨の中、大江戸線に乗り継いで港区の地下音盤舞踏場ナバーナへ。 万聖節前夜祭の仮装舞踏会参戦という重大業務が待っている。昨年所用あって出られなかったのでデビュタンということになるが、適切なコスチュームを準備する余裕がな

          ハロウィーンと蝶々--猫耳では手抜きだった--

          Le 23 juin , la commémoration de la bataille d'Okinawa en 1945 / «Vivre», poème composé et récité par Rinko Sagara à la cérémonie de 2018, traduction.

          (Texte posté sur Facebook le 23 juin 2019) Le 23 juin, la commémoration de la bataille d'Okinawa en 1945 Le 23 mars 1945, les Alliés s'entreprennent à un grand assaut pour prendre l'archipel d'Okinawa. Après de multiples opérations aérienn

          Le 23 juin , la commémoration de la bataille d'Okinawa en 1945 / «Vivre», poème composé et récité par Rinko Sagara à la cérémonie de 2018, traduction.

          「僕が向こうで死んだなら」 —— ギヨーム・アポリネール

          僕が、向こうの戦場で、死んだら君は、 いつか、泣くんだろうね。ああ、愛しいルーよ。 そして僕の想い出は消え去っていくのだろう。 前線で砕け散る砲弾が消えて無くなるように、 咲いたミモザの花に似たその美しい砲弾が。 僕が、向こうの戦場で、死んだら君は、 いつか、泣くんだろうね。ああ、愛しいルーよ。 そして僕の想い出は消え去っていくのだろう。 前線で砕け散る砲弾が消えて無くなるように、 咲いたミモザの花に似たその美しい砲弾が。 でも、宙に飛び散ったその想い出は 僕の血で世界中

          「僕が向こうで死んだなら」 —— ギヨーム・アポリネール

          アポリネール / プーランク 《進もうもっと速く Allons plus vite》 —— 翻訳、解説、覚え書き

          翻訳Apollinaire : Allons plus vite (1917)アポリネール : 進もうもっと速く (1917) そして夕べがやってきてそしてユリの花たちは死ぬ 私の痛みを見るがよい晴れた空よお前が送ってよこすのだ 憂鬱なひと夜を 息子よ笑みを浮べよおお妹よ聴け 貧しき者たちよ大きな道を歩め おお欺きの森よお前が私の声に 魂を焦がす焔を湧き上がらせる。 グルネル大通りには 労働者たちと経営者たち 5月の林のそのレース模様よ 大げさに威張るのはよせ 進もうも

          アポリネール / プーランク 《進もうもっと速く Allons plus vite》 —— 翻訳、解説、覚え書き

          大事なもの、それはバラ L’important, c’est la rose

          2021年4月24日土曜日夕刻、急な緊急事態宣言の発動を翌日に控えて、静かだが不気味な緊張感に溢れる街。買い物に寄った、自宅の最寄り駅のショッピングセンターにある花屋の店先の掲示に目を引き付けられる。 「明日から休業いたします」の黒板の告知を上書きして「やっぱり25日からも営業します!! 一生懸命がんばります❁」の張り紙。 そう、音楽同様これもまぎれもなく「社会生活の維持に必要なもの」だ。花を買う予定はなかったが、残っていた3本を思わず家遣いに買う。 ちょうど、この時期

          大事なもの、それはバラ L’important, c’est la rose

          交換可能性、あるいは、いわゆる「東電OL」事件

          [2012年4月11日に書いたものを再録。FBに私がかつて書いたなかでも最もディープなテクストの一つ。] ================ 昨年の封切時に見そこなった「恋の罪」(園子温監督)をやっていると知ったので、大学の用事の合間を抜け出して遅まきながらやっと見ることができた。 いわゆる「東電OL」事件を題材にしていて、過激な性描写があるということで話題になった映画だ。見てみたら、実際の性描写の場面は様式化され、生々しさを欠き、戯画的でさえあり、私自身はさほど過激とも

          交換可能性、あるいは、いわゆる「東電OL」事件

          佳桜忌

          「ある人のツイートで、今日が岡田有希子の命日であることに気がつかされた。」 この書き出しで2012年に長い想い出を書いていた。 以下引用転載。 ======== ある人のツイートで、今日が岡田有希子の命日であることに気がつかされた。 岡田 有希子 : 日本のアイドル歌手。1967年生まれ、1986年4月8日没。26年前の今日、四谷四丁目交差点のところにあった、所属事務所のサンミュージックのビルの屋上から飛び降りて亡くなった。 このことに何年かに一度気づかされるたびに、個

          佳桜忌

          「ふ」の話

          日本語の「ク」の「k」の音が宮古語では「f」の音に対応していることは、音韻対応という言語学の知識を特に改めて学習しなくても宮古語の話者なら子供のときから直感的に知っている。いくつか例をあげると… あふた /afuta/ (塵) 〜 あくた(芥) いふつ /ifutsï/ (幾つ) 〜 いくつ (幾つ) ふぁーす /faasï/ (食わす) 〜 くわす(食わす) っふぁ /ffa/ (子) 〜 こ (子) っふぁ /ffa/ (黒-い) 〜 くろい(黒い) ふぃー /fi

          「ふ」の話

          〈主よ憐れみたまえ 〉 J. S. バッハ《マタイ受難曲》よりアルトのアリア

          金曜には聴く時間がなかったが、日曜のひとときにJ. S. Bach のマタイ受難曲を聴く。ついでに、10年以上前、ある演奏会のため書いたプログラム解説の一部を再掲。実はプログラムのオリジナルはフランス語で、日本語版は翻訳。何度か翻訳しようと試みたが、そのたびにどうしても妙にきざったらしい日本語となって、人さまに見せられるようなものにはならないと感じ、止めてしまい、あきらめていたが、10年くらいたってやったら、頭からわりとさらりとできた。自分の日本語の文体がいつの間に自然にフラ

          〈主よ憐れみたまえ 〉 J. S. バッハ《マタイ受難曲》よりアルトのアリア

          竹内まりや《駅》—— 近く遠くに

          前記事から竹内まりやしりとりふうに。 … (※公開時に肝心の音源へのリンクが違っていたので差し替え訂正) 別件で検索中に竹内まりやの《駅》について書かれた、高井浩章氏の 『竹内まりやの「駅」の「私」は、最後のLalalaでもう一度電車に乗る』(note.com 2020/01/05) という文章に行き当たる。 この曲の歌詞について有名な問題は 「私だけ 愛してたことも」という句の「だけ」の後に想定されている格助詞は「が」か「を」かというもの。これはネットを一時期賑わせて、

          竹内まりや《駅》—— 近く遠くに

          布地の感覚 —— ギオ・ド・ディジョン、竹内まりや

          彼は自分の着ていたシャツを 送ってくれた。私が抱きしめられるようにと。 夜になって、彼への愛が胸をえぐるとき 寝床にそれを持ってきて 素肌に抱きしめるの この苦しみが和らぐようにと 13世紀前半に活躍したトルヴェール、ギオ・ド・ディジョンの歌の一節。 1995年から2006年までコレージュ・ド・フランスで中世文学を担当していたミシェル・ザンク Michel Zink が、2015年に出版した、中世文化史全般についての一般向けのエッセー集« Bienvenue au Moy

          布地の感覚 —— ギオ・ド・ディジョン、竹内まりや