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大事なもの、それはバラ L’important, c’est la rose

2021年4月24日土曜日夕刻、急な緊急事態宣言の発動を翌日に控えて、静かだが不気味な緊張感に溢れる街。買い物に寄った、自宅の最寄り駅のショッピングセンターにある花屋の店先の掲示に目を引き付けられる。

「明日から休業いたします」の黒板の告知を上書きして「やっぱり25日からも営業します!! 一生懸命がんばります❁」の張り紙。

そう、音楽同様これもまぎれもなく「社会生活の維持に必要なもの」だ。花を買う予定はなかったが、残っていた3本を思わず家遣いに買う。

ちょうど、この時期特有の物憂さから、数日前から一つの歌を思い出していた。

この時期はいつもそうだ。くたびれてくると「らんぽるたん せらろーず らんぽるたん♪」… 「L’important, c’est la rose… 大事なもの、それはバラ…」といつの間に歌っている。標語が無意識のうちに作動するように。

今日は頭の中で鳴り続けていたその歌と、花屋の風景が偶然の符合で重なった。

「生きることに意味があるのは、時とともに踊る一輪の花のおかげでしかない」

それに結びついた、30年以上前の光景の思い出について2007年に mixi に書いた文を引用転載。

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ジルベール・ベコー、L'important c'est la rose、1967年 
https://www.lyrics.com/lyric/1911138/

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恋人にふられとぼとぼ歩いている君、金策で途方にくれている旅芸人のあなた、みなしごになっちゃった坊や、
「大事なものそれはバラ、大事なものそれはバラ、大事なものそれはバラ、ほんとうなんだから」
...君のためにこんなことをちょっとのついでに歌ってみたけど、こんどは君が言う番 ——
『生きることに意味があるのは、時とともに踊る一輪の花のおかげでしかない』と。
大事なものそれはバラ、大事なものそれはバラ、大事なものそれはバラ、ほんとうなんだから。 
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(↑歌詞のだいたいのまとめ。)

と、ちょっとナイーヴだけど、なんといってもルフランが調子いい。

この歌を聴くと、1988年、はじめて日本からパリに行ったときに目撃したある光景を思い出す——

晩秋のパリ、学生向けの安い飲み屋のある界隈を夜の12時ごろ歩いていたら、どこかの店から飛び出してきたような男女の若者3人が、通りの左右に分かれてすごい勢いで走り、すれ違う人すれ違う人あたりかまわず「花屋!、花屋が近くにない!?」 と尋ねながら、必死に夜の街で花屋をさがしていた。 

なんとも不思議なできごとにびっくりしたが、こんなことかな、と勝手に想像して納得した—— 「いつも連れだって遊び歩いているような仲間が店で飲んでいる。そのうち一人の若者が、ずっと想いを馳せている女性に愛の告白を決意する。例によって、盛り上げ、そそのかす仲間。あるいは、若者には、恋人がいるが、彼女と喧嘩をし、二人の仲は今や破局寸前であると、仲間に話したのかもしれない。いずれにしても、衆議一決したところでは、その若者は一人の女性にこれから一刻も早く会いにいかなければならない。それには花が要る。何時だろうがどうしてもいま要る。仲間たちは手分けして花を探しに夜の街に飛びだしていく...」 

勝手な想像だが、それほどはずれてはいないかもと思う。

ベコーの今のような歌を知り、あの行動が極めて合理的なものだ思えるようになった今はとくに。

15分以内に何か指定のものをさがしてくると賞金が貰えるゲームとか、目の前の奥さんに花を贈るために1000$出すからと、その辺の若者に頼む大富豪のアメリカ人観光客という筋もありだろうけど。

でも、あの、何もかも他のことを忘れて、ごみ箱をけとばそうが、通りを走る車を止めようが探している花のことしか見えない心持ちの出どころとしてはちょっと違うかなと思う。 

若者たちは花を探しあてられただろうか。

夜の飲食店街には、レストランに一軒一軒入っていき、女性とのテーブルで気分よくなっている男客にいい値段で花を売りつける流しの花売りがいるから、運よく、そうした花売りをつかまえられた可能性はある。そもそも若者たちを夜の街での花探しの行動に向かわせたのはその可能性なのかもしれない。

見つかったかもしれないその花がどうなったかはこれはもう想像の向こう側にある。

一人の男、あるいは一人の女の人生を変えたのだろうか、あるいは何の役にもたたず道端でしおれてしまったか。

どちらにしてもその花はバラ、赤いバラでなければいけないような気がする。 
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トップ画像は、2014年に新しい研究室に引っ越したばかりのとき。

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