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「18歳」

はじめに

とある時期、刑務作業のようなものをして金を稼いでいたことがあった。死を待つだけの受刑者のように、長時間にわたって単純作業をやっていた。目の前にある窓を大きなカラスが鳴きながら横切っていくと、それだけで僕はドキリとした。ただ、本当に頭を使わないでできる仕事で、日給を受け取れるのは有難かった。常に気を張りながら仕事をすることは、非常に疲れる。だから、この仕事は楽ではあったが、絶対にオンリーワンにもナンバーワンにもなれないと思った。確実に機械で代用できる仕事。だが、とある職場だけは、僕のことを〝一人の人間〟として扱ってくれた。『お疲れ様』という声がけ、休憩室に用意された煎餅と緑茶、他愛もない世間話。普段なら心が動かないような些細なことに感動して、誤魔化すように笑顔を作った。夕暮れの帰り道で、僕とは反対方向に走り去っていく少年を、心の底から応援した。その少年が誰であったかは、後々知ることになった。

■十八歳

俺を含めた2004産まれの代が、新たに成人としてみなされると聞いた時は面食らった。俺たちが、成人? 全く意味が理解できない。
俺らが一前にったって?
——そんなの、有り得るはずがない。
俺が通っている高校には少なくとも、そんな称号を得るに相応しい立派な人間なんていない。口が悪いと言われるかもしれないが、ほんとに腐ったミカンの寄せ集めのような学校だった。全員ではないけれど。

俺はきっと、誰よりも無駄な人生を送ってきた。
それなりに後悔の味も、罪悪の味も知っている。
もう人生なんて終わってしまえと、何度思ったことか。世界の全てにビクビクしていた中二の冬。冷凍庫の中のように凍てついた部屋、尋問、友達だと思っていた奴に貼られた値札、冤罪、逃亡、逃亡、逃亡、嘘、嘘、嘘、真っ赤な嘘! 今も思い出すのだ。

北辰テストの結果が振るわず、志望校を絶対に受かる高校に下げた。元々志望していた高校は、『努力圏』とかいう「もっと頑張んなきゃ絶対受かんねぇよ」という距離だと示された。しかしながら。

クラスメイトの一人と、確約を貰えなかった高校に『自己推薦』という形で受験しに行った。結果は、俺が合格して、そのクラスメイトは落ちた。
それから数日して、公立の受験がやってきた。

そのクラスメイトは、元々俺が志望していた高校を受験して、合格したらしい。え、俺そこ行けたやん。
埼玉県の『北辰テスト』とかいう謎の模試は、絶対的に受験生の可能性を潰しているだけのように俺は思えてならなかった。『無理です』って言われたら、普通は「あ、俺無理なんや。そうかそうか」ってなるから。

そんなこんなで、一般常識も礼儀も知らない愚か者の学び舎に入ったわけだ。ドブの底を這うような3年間を送った。読書だけが、現実を忘れさせてくれた。

ただ、悪いことばかりでもなかったのだ。
一年間で50冊読書をしたから、本について少し語れるようになり、結果として文学部にも合格した。
生まれて初めて、自分がやってきたことが認められた瞬間だった。報われた! そう思った。

俺は19歳になったら、何かを残せるだろうか。
早く20歳になりたいが、おそらく俺はハタチになったら全速力で破滅に向かい、若くして死ぬのだろう。
せめて今年は、「生きてて良かった」と思える一年にしたい。

闇市で買ったケーキには、大量のモルヒネが掛かっていた。アラザンかと思って口に入れたものは、パチスロの玉だった。苺の代わりに盛られていたのは、今しがた俺が他人に向けて撃った、血に塗れた言葉の銃弾だった。

ケーキを切ろうとして包丁を手に取ったはずなのに、それを自分に向けている俺は、満面の笑みを浮かべていた。穴ぼこだらけの身体だった。

「あぁ神よ、自殺は快楽なりや?」と嗄れた声で問い掛けている。

そんな自分を夢で見た。
近頃は帰り道、駅前の喫煙所に自ら足を向けて、副流煙で肺を穢す遊びをしている。自分の手を汚さず、己の余命を順調に縮めていく背徳感がクセになる。

今日も喫煙所に俺は向かうが、なんだか様子がおかしい。異常なほど煙が立っていて、中に入ると見慣れない景色があった。座敷に仏壇があって、十数本の線香が立っている。写真立ての中に自分の顔があったけど、阿呆みたいに白目を剥いて舌を出していた。

■武道館より

その日は、大学の合否発表があった。
朝起きた瞬間から、緊張で身体が強ばった。
生きた心地のしないまま、朝食を食べる。
味がしないから、感想も述べなかった。
公募制推薦入試を使ったから、一般組と比べたら、というか比べるのが失礼なくらいには楽だったのだと思う。
それでも、公募制推薦入試は別ベクトルでの大変さがあった。
先ず、大学に志望理由書や自己推薦書というものを何枚にもわたって書き、前もって送らなければならない。期限はそれほど長いわけでもないし、数日間は自分を追い込むしかなかった。
『自分とは一体何か?』という、ただ生きているだけでもぶつかるような疑問を、自分なりに咀嚼して答えを出して、それを言語化することは、頭がおかしくなりそうな作業だった。しかしまぁ、俺はまだ他人に比べたら有利なのかもしれないという自負もあった。現役学生で、俺ほどガッツリ読書をしてきている奴はいないだろうし、語彙力や表現力はそれなりに身についているはずだった。

体調を崩しながらも、なんとか書類を完成させた。
担任教諭にはすごくお世話になった。
一発で受験を合格する作戦を練ってくれた。
その作戦というものが、太宰治のガチファンみたいな雰囲気(一応、太宰に憧れを抱いているので、大学を騙したわけではない。太宰治の尊敬しているところについては後述する)を出して、試験に臨むということだった。文学部を受けたので、面接で爪痕を残し、選考の段階で最も〝文学〟の救いを受けるべき学生として、俺が浮上するという目論見が担任にはあったのかもしれない。
ただ、私は面接が終わった直後、ほとんど自信を喪失してしまい、数日間は屍のような暮らしを送った。どうして自信を喪失したのかというと、面接で一番目に呼ばれ、緊張を整理できないまま本番を迎えてしまったからだった。しかも、部屋の扉をノックして開けたら、そこで面接官4人が待ち受けていた。俺は内心、発狂しそうになった。面接官は多くても、せいぜい3人ほどだと思っていた。上げずった声で質問に答えた。好きな本のアピールは、あまりしっかりはできなかった。だから、部屋を出た瞬間に「終わったな」と思った。

しかし、だ。
ここまで読んできた方はもう薄々お気付きかもしれないが、俺は不思議なことに、大学から『合格』を掴み取ってしまったのだ。二限で学校を早退し、家路についた。
「結果を見るよ〜!」と叫びながら家に駆け込み、留守番をしていた父親の姿を探した。

父親は、何故か風呂場にいた。
俺が半ギレで「何してるんだよ!?」と聞くと、父は答えた。
『最後の願掛け。良いことしたら、それがちゃんと返ってくるかなと思って』
強く当たってしまい、少し申し訳なくなった。
手洗いを済ませ、「とにかく早く出てきてくれ」と言った。とてもじゃなく、一人で結果を見る気にはなれなかった。落ちたら、また1ヶ月受験期が延長される。

パソコンに食らいつき、大学の合否発表ページを開いた。あとワンクリックで、結果が表示される。
人生を左右してしまう、とてつもなくデカい結果が。
緊張で痙攣しそうな指先に力を込め、マウスをクリックした——。

まず最初は、夢であることを疑った。
目の前の画面には桜が咲いていて、赤文字で『合格』と2文字表示されている。私は目を擦ったら、見慣れたベッドの上とかなんだろうなと毒づいてみた。でも、目の前にある結果は何をしたとて現実だった。
半信半疑のまま画面を睨み続けていたら、父親に後ろから強く抱擁された。ほんのちょっと、嬉しかった。

その日、俺は叫び出したくなった。
『やったぞ! 俺やっちゃったぞ!』という感じで。
しかし当然、俺の周りには不名誉な三文字を突き付けられた人がいるわけだ。俺は、インスタを閉じた。

結局、合格報告は親族へのLINEに留め、父親と二人でファミレスへ行った。それはとてもささやかな、しかしお祝いだった。そんな時にも、『ランチセットの中から選べ』と言う父親が、あまりに平常運転で笑えた。

ランチセットと無料の水で祝杯をあげた後。
ここから、俺が人生最高の一日だと思うくらいの大きなイベントがあった。それは、日本武道館で行われた。

実はこの日、日本武道館で大好きなバンドのライブがあったのだ。しかも俺は、そのバンドのライブに初参戦。あまりに素敵が揃いすぎている。

父親とファミレスの外で別れ、俺は足早に駅へと向かった。早く電車に乗って武道館に着かなければ、物販の並び列は気が遠くなるほど伸びてしまう。

既に武道館に着いた時には、24時間テレビのチャリティー募金でもやってるのかと思うくらいには並び列ができていた。俺も後に続いた。

数分もすると、さっきまで最後尾だったはずの俺の後ろに、長い尻尾が生えていた。今にも雨が降りそうな空を眺めながら、頭を空っぽにして並んでいた。やがてリハが始まったのか、聞き覚えのあるメロディがいくつか音漏れしてきた。その曲順をTwitterに呟いた人が、他のファンから怒られていた。何故ならば、それは当然の如くセトリだからだ。私はネタバレを喰らわないように、イヤホンを耳に填め、Twitterを閉じた。そして、「予習」とでも言うようにバンドのプレイリストを再生した。
それは「雨」と「夜」が似合う、藍色のバンドだ。

夕暮れが迫ってきた頃、やっと俺は地上に降り立った。
そこまで俺は武道館の円周や、階段上に並ばされていたからだ。そこからまた待ちぼうけをして、自分の順番が来た。ロゴ入りのタオルとフーディを購入した。

そこから完全な夜の帳に包まれた武道館を眺めていたら、入場が開始された。フーディに身を包んだ俺は、やっとここまで来たかと感動する。一バンドファンとしても、一人間としても。

開演が待ち遠しかった。
しかしまぁ、もしも志望大学に不合格だったら、俺は今日どんな気持ちでここに来てたんだろう。開演前から泣いていたかもしれない。泣くのは、音楽が始まってからでいい。音楽を聴いて、涙を流すくらいのことを幸せと呼びたい。

武道館の照明が暗転して、正面のモニターにドラマのようなものが流れ始めた。バンドの歩みやボーカルの過去を背景にしながら、男女が繋がっていくというような内容のドラマだった気がする。これは、ライブが始まってからも『幕間』というか、曲と曲の間にたまに流れ、物語を紡いでいった。
ライブ冒頭、タイトルが表示された。


indigo la End


1曲目は、『sweet spider』
俺はこのイントロが耳に届いた瞬間に、泣き崩れそうになった。スマホのサブスクが主流になるより少し前、ゲオで買った中古のアルバムを沢山iPodに入れて聴いていた。この曲も、その中の一つ。
昨今のindigo la Endの曲は、文学性や物語性に重きを置いているように思えるが、この曲は割と初期の曲であるため、芸術性が高いように思える。まず、この曲名。『sweet spider』って何ぞや?
気になって調べてみたら、『甘い蜘蛛』=『甘蜘蛛』=『雨雲』という言葉遊びなのではないかという考察が出てきて、その深みに更にハマりそうになった。

特に好きな曲。9曲目『蒼糸』。
以下の二つの歌詞を見てほしい。

膨らんだストーリー
起承転結
3文字目半の糸

幸せか普通かわからない
普通か不幸かもわからない
でも両方あなたがいるなら
糸は吉に絡まるから

この曲の歌詞は、本当に美しい。
『起承転結3文字目半の糸』つまり『結の字の半分』で、膨らんだストーリーは『あなた』とでしか『吉に絡まない』つまり『結ばれない』という意味があるらしい。どうしてこんな歌詞を書けるのだろう、と興味深くもあり、そして琴線に触れた。

11曲目『チューリップ』。
チューリップの花言葉は色によって変化するらしく、それをテーマに書いたという失恋ソング。この曲の中にも、好きな歌詞がある。

過去にならなきゃ2番目でも構わないって
口を開こうとしたけど
閉じてしまったものは
もう戻らなくて

このもどかしい感じ、胸が締め付けられる。

私には
もうどうにもできないから
あなたの袖を掴むことくらいしかできない

本当に切ない歌詞だと思う。
indigo la Endの歌詞は、情景がまじまじと浮かんできて、ちょっとだけ苦しい。けれど、メロディアスなギターフレーズや儚げなボーカルのファルセットを聞きたくなってしまい、気付いたら彼らの曲を再生している。

そして、何と言っても12曲目に俺が一番indigo la Endの中で好きな曲、『邦画』も彼らは演奏してくれた。この曲は、歌詞の一つ一つやメロディラインがとても綺麗で好きだ。やっぱり、大切な人と見る映画はいつまでも忘れないものなんだろうか。特に、以下の歌詞が好きだ。

動画で残したって
いつかは切なさと
一緒に消えるんだから
今の私を見て

今、一緒に映画を見たいほど大切な人がいる。
狂おしいほどこの歌詞が、胸に刺さって抜けない。
あっという間に演奏が終わり、武道館は暗闇に包まれた。『Play Back End Roll』で実際にエンドロールが流れてライブが締め括られたのも、印象的だった。

そして、そこからアンコール。
暗闇に沈んだ武道館に、もう一度灯りが点った。
そこから、俺の大好きな曲『通り恋』。
この曲歌詞にもまた、とてつもなく素晴らしい表現があったりする。

砂鉄みたいに吸い寄せられたから
冷たい部分も知ってた

この歌詞を読んだ時、ほんとに鳥肌が立った。
なんて的確で繊細な表現なんだろうと。ここまで25曲を演奏したようだったが、体感は本当にあっという間だった。そして、最後に発表されたのは今やTikTokで大バズり中の『名前は片想い』だ。初めて聴いた瞬間は、底抜けの明るさに追いつけなかったが、聴けば聴くほど味わいが増すスルメ曲だった。そして、ライブの最後には来年パシフィコ横浜国立大ホールにてアニバーサリーライブが催されることや、『哀愁演劇』というアルバムがリリース予定であることなどが発表された。俺はそれらの吉報に狂喜乱舞しながら、そういえばパシフィコ横浜国立大ホールは、大学の入学式が行われる場所だなと思い、ここにも運命を感じざるを得なかった。

今回、自分の好きな歌詞を解説するのはとても楽しかった。今後もこのエッセイでは、好きな歌詞や好きな小説の一節に触れたりしてみたい。なにより俺は、歌詞カードを見ながらCDを聴くこだわりを捨てられずにいる、若者らしからぬ若者だから。

■幸せな牛丼屋

私程度の人間が、身の丈以上の幸せを望んではならない。いつもそう思いながら、生きている。
たとえお金に余裕があったとしても、散財した後にお金が必要な機会は訪れてきたりするもので、迂闊に無駄遣いはできない。だけど私は給料日が来ると必ず、牛丼屋に行く。どれだけいっぱい食べても、罪悪感を覚えなくていいから。甘辛い肉を頬張りながら腹一杯に白飯をかき込むのは、羞恥心を捨てた先にある、身の丈に合った幸せだ。

友人とはよく、どこの牛丼屋が一番美味いのかという議論になる。けれども毎回、『それぞれの店に、それぞれの良さがある』という結論になる。
まず、すき家は『チー牛』とたまに出る『食べラーメンマ牛丼』が美味い。『チー牛』は陰キャの蔑称みたいな扱いを受けているが、そんなことは気にしなくて良い。何故ならば、店員はいちいち客を嘲笑っている余裕など無いはずだからだ。それに前述の通り、牛丼屋に行って幸せを掴み取るためには〝恥〟を捨てるべきなのだ。恥を捨てられずにスカしているような奴は、今すぐに外向きだけお洒落な店でフルコースでも食べれば良い。話を戻そう。すき家のチーズ牛丼は、他と比べて何が違うのか。それは、3種類のチーズを使っている点である。普段、家で3種類のチーズを同時に味わう機会はあまり無いだろう。しかし、すき家では良心的な値段で、それが味わえるのだ。なんとありがたいことだろう。とにかく悪い事は言わない。チーズ牛丼を食いたくなったら、すき家へ行きなさい。

次に、吉野家。
吉野家のメニューは、本当にハズレが無い。牛丼屋だから牛丼だけが美味しいと思われがちだが、実は豚丼なども美味い。そして、期間限定メニューが美味い。
『牛皿麦とろ御膳』などがとても美味しかった。

最後に、松屋。
松屋はレギュラーメニューよりも限定メニューが強い。
『バターチキンカレー』や『トンテキ』などを、本格派にも関わらず、リーズナブルな価格で提供してくれる。そして、他の競合店と違うのは、味噌汁が必ずセットでついてくるところだ。これは、本当に素晴らしい。
流石『あなたの食卓になりたい』と言うだけある。

親友とはよく、牛丼屋に行った。
私のバイト先と親友のバイト先は、数ヶ月前まで目と鼻の先にあった。私はバイト先を変えたから、それまでの話だ。私は温泉で働いていて、親友はバイトが終わってから、実際に入浴しに来てくれたこともあった。待ち合わせは一番大きな浴槽で、私は疲れを溶かしながら彼を待った。これは今振り返ってみると本当に変だなと思うのだが、ちゃんと彼は来てくれたのだ。私はサウナの整い方を徹底的に伝授したり、ヘアセットしている髪の洗い方などを教えた。私と親友が温泉を出る時には、22時過ぎくらいになっている。喉も腹もカラッカラの私たちは、コーヒー牛乳で渇きを潤し、それからすぐ近くの牛丼屋へ向かう。牛丼なんて大層なものでもないのに、我慢しただけ御馳走に見えてしまう。ぺろりと完食した私と親友は、帰宅した後に何時から電話をするか予定を立てる。ほんとに、あの頃は親友とずっと一緒にいた。身の丈に合った幸せを、噛み締めながら生きられていたのに、今となっては……。

■桜桃忌に寄せて

死のうと思っていた。
そんな高一の夏に、新潮文庫の『人間失格』に出逢った。作者は、名前しか知らない太宰治だった。夏休み限定のカバーに模様替えした、文学史に残る名作は、カラフルなものが多かった。それはその中で、一際目立つ黒いカバーで、手の届く値段だった。これを読み終えるまでは、せめて生きてみようと思った。

太宰の小説と出逢って、自分を内側から縛っていた決まり事のようなものが打ち砕かれたような感覚があった。『近代文学』や『純文学』という言葉には小難しそうな雰囲気があったが、読んでみたら存外に面白い。太宰の小説を読み漁った僕は、徐々に冷めた目で世界を見るようになった。以前までは些細なことで怒っていた自分が、何に対しても慈悲の眼差しを向けるようになっていた。集団に馴染めず、いつも孤独だった僕を、太宰はいつも励ましてくれた。これは少し語弊があるかもしれない。寄り添ってくれ、共に沈んでくれた。理不尽な荒波に溺れそうになっていると、なんとか対岸に渡れそうな舟を見つけた。それこそが、文学だった。

太宰の小説には、通底するテーマがある。
それは、『滅びの美しさ』である。僕は常に、『作家は闇(病み)を美しく描けて一人前』だと考えているのだが、その最も理想とするところは、太宰の小説のような雰囲気や言葉選びである。今までに読んできた太宰の小説を羅列して、少しでも〝その魅力〟に迫れたらと思う。

僕が今までに読んできた太宰の小説は、以下の通りである。

  • 人間失格

  • 走れメロス

  • 斜陽

  • 女生徒

  • グッド・バイ

  • トカトントン

  • 葉桜と魔笛

  • HUMAN LOST

  • 待つ

  • 黄金風景

  • 畜犬談

いかがだろうか。それなりに太宰を読んできているな、と自分でも思う。太宰の本は、授業で習った『走れメロス』以外に読んだことがないと友人から聞くとついつい面食らってしまうのだが、実際それが普通なのかもしれない。人生に悩んだりしていないと、手に取る機会も恐らく無いのだろう。「もったいないなぁ」と僕が嘆いても仕方がない。だからこそ、今僕のエッセイを読んでくれている画面の前のあなたに太宰の魅力を届けたい。

まず、太宰の人生を顧みてみると、不幸な出来事が重ね重ね訪れていて、なかなか可哀想なのだ。病気を治すために服用した薬で薬物中毒に陥り、強制入院をさせられたり、その時期に嫁が身内の者と間違いを犯していたり、実家からの仕送りを止められたりしているのだ。僕も同じ境遇に置かれていたら、自死を選んでいたかもしれない。

太宰の小説は、ひとえに「暗い」と評されることが多いが、僕が読んできたものの中でも毛色が違う作品がある。
『女生徒』は、太宰が得意とする女性の独白体で書かれた小説だ。しかし、作者を隠されていたら絶対に太宰だとは分からないほど、瑞々しく少女の日常が描かれているのが特徴である。そこにニヒリズムやナーヴァスな雰囲気は、一切感じ取れない。
また、『畜犬談』は太宰らしからぬユーモラスな文体で書かれた小説である。文章だけでここまで人は笑うことができるのか、とそこまで思わされたくらいだ。未完の作品ではあるが、『グッド・バイ』もコメディチックで好きだ。

ところで、読者のあなたは『桜桃忌』を知っているだろうか。太宰の誕生日でもあり、太宰の水死体が発見された日。6月19日。
太宰は玉川上水で入水自殺したとされているが、不可解な点も多く、本当に死ぬつもりはなかったのではないか、などと囁かれている。ひとまずそれは置いておくとして、この日は僕の誕生日から二日しか違わない。そんなところにも変な親近感を感じてしまう僕は、文学馬鹿なのだろう。

話が本筋からズレるが、僕は芥川賞作家の又吉直樹氏が大好きである。芸人をやる傍らで書き始めた文章が、今や生業になっている。こんなかっこいいことがあるのだろうか。恥ずかしいことに、芥川賞受賞作の『火花』はまだ未読で映画しか見ていないのだが、他の作品はほとんど読んだ。『劇場』や『人間』などの純文学や、『東京百景』『月と散文』などのエッセイを読んだ。そんな僕の憧れる作家が、太宰治を好きだと言うのだ。だから好きになった部分もある。好きな作家が尊敬している作家など、絶対好きに決まっている理論。又吉さんは、上京してきて初めて住んだ家が太宰治の住居跡に建った三鷹のアパートだったり、〝縁〟や〝運命〟を感じるような出来事を多数経験しているようだ。羨ましいと同時に、その運命に続きたいなどと出しゃばったことを考えてしまう。
又吉直樹の『人間』という作品は、太宰文学の匂いがそこらに感じ取れる。明らかに『人間失格』を彷彿とさせる箇所が沢山あるし、表現者同士が書面で口汚く罵り合うシーンなどは、太宰の『如是我聞』にも似た雰囲気があり、思わず息を呑んだ。また、又吉直樹『東京百景』は本人が、「太宰治の『東京八景』を意識して名付けた」とも言っていた。

しかし今年の桜桃忌は、文学部文学科の学生として、太宰の授業を受ける。太宰が生まれ、そして遺体が見つかった日に。いつか僕も「もう生きるのに疲れた」と思うくらい人生を送ったら、自分の誕生日に玉川上水へ飛び込み、そして桜桃忌に誰かから見つけてもらいたい。

最近少しずつ幸せを感じる機会が増えてきているが、俺が少しでも卑屈な笑みを浮かべたら、後ろから「トカトントン」と音がする。

大好きな二冊

■「世にも奇妙な物語」に焦がれて

自分の誕生日に、大好きな「世にも」が放送されると聞き、ついつい筆を執らずにはいられなかった。
あんなにも妖しさを前面に押し出したドラマを、僕は他に見たことがない。アレが放送される日は、夜7時くらいから大体ソワソワしている。9時になったらすぐに、あの不気味なテーマソングが流れ始め、僕の期待は更に上げられる。今夜はどんな思いをさせてくれるのだろう。

まず、ストーリーテラーにタモリを起用したあたりにセンスを感じる。絶妙に怪しくて、絶妙に憎めない。時に黒猫や蛾になったり、一編一編の要素だけを抜き出して橋渡しをしたり、その自由度の高さも好きだ。

一体僕はいつから、「世にも」を観ているのだろう。遡ってみると、おそらくは2012年10月6日放送『’12 秋の特別編』から毎年毎シーズン欠かさず観ているようだった。ちなみにこの年の〝ベスト・オブ奇妙〟を選ぶのであれば、伊藤英明主演の『蛇口』かなと思う。

その後は、『呪web』や『0.03フレームの女』、『墓友』『復讐病棟』『事故物件』など俺のツボに刺さる〝世にも特有の容赦ない系ホラー〟が続々発表された。

しかし、2016年に入り、実に奇妙と言わざるを得ない『改編』が始まる。今まで2時間スペシャルの中で5編だった作品数が4編に減り出したのである。つまり、オムニバス形式の魅力が少しだけ削がれ、一編一編の時間が伸びた。つまり、中弛みが起きやすくなり、作品のメリハリやキレが無くなった。

ただ、だからと言って当然全てがつまらなくなったわけではなく、絶妙に好きなタイプの作品もあった。
2017年秋の特別編『寺島』という作品は、吉岡里帆の怪演が光り、実にゾクゾクした。2018年秋の特別編『クリスマスの怪物』も回想シーンの暗い空気感や、主人公を追い詰める恐怖が海外のホラー映画並に容赦がなく、とても良かった。

また、「世にも」は手に汗握るスリリングな作品もあることに触れておきたい。2019年雨の特別編『さかさま少女のためのピアノソナタ』や2021年夏の特別編『あと15秒で死ぬ』などが挙げられる。スリリングな状況を通して、主人公も最後まで知り得なかった〝新事実〟などが最後に明かされる演出なども散見され、こういう作品から僕は〝構成の妙〟を学んだ。

そして、近年の「世にも」の特徴として挙げられるのが、〝切ない系奇妙〟な作品が稀に入ってくることだ。われわれ視聴者は「世にも」はこちらを驚かせたり、気持ちの悪い後味を残して終わるだけのドラマだと思っているから、この不意打ちにポロッと涙を零しそうになる。2016年春の特別編『クイズのおっさん』や、2017年春の特別編『妻の記憶』、2022年夏の特別編『電話をしてるふり』など。ちょっと温かい終わり方をするから、暫くは放心して動けなくなる。

特番ではなくレギュラーで放送していた時代の「世にも」をYouTubeなどで見ていた時期があったが、それらは今よりも容赦がない。織田裕二主演の『ロッカー』や『息づまる食卓』『悪魔のゲームソフト』『歩く死体』『三人死ぬ』など。僕が生まれる前にやっていた特別編で選ぶとするならば、1998年秋の特別編『懲役30日』、2003年秋の特別編『迷路』などであろうか。
そして、「世にも」史上最恐と呼び声の高い2000年映画の特別編『雪山』についても語りたいが、あまりにも怖すぎるのでここでは控えておく。

あまり粗筋には触れずに「世にも」の特徴を解説してきたが、何か気になった作品はあっただろうか。語りだしたら止まらなくなるので、ここらへんでやめておこうと思う。放送される全ての作品が「当たりだ!」となるわけではなく、駄作ももちろんあるが、それを家族など、誰かと語り合うのがたまらなく楽しい。10点満点中何点と点数をつけて、自らの創作にも活かしている。いずれは「世にも」で放送されるような、奇妙な物語を書いてみたいと思っている。誕生日に放送される新作が今は楽しみすぎて、まさにズンドコベロンチョだ。

■救済、あるいは断罪

相手を救うために放った言葉が、むしろ相手を傷つけてしまうことがたまにある。高校三年生の某日、授業中にスマホの通知音が鳴って、授業が止まったことがあった。教師は、『早く名乗り出てくれよ。俺もさ、面倒臭いからさっさと切り上げて授業に戻りたいんだよ』と、そんな趣旨のことを言った。教室の空気は鉛のように重くなり、「ダリィな」と誰かが舌打ちをする。

教師は教室の最前列だけ、スマホの点検をした。最前列に座っていた俺の友人はスマホに電源が入っていたため、キツめに叱られた。その後、クラス全員のスマホが没収された。俺は別にスマホなんて無くてもいい物だと思っているから没収には反対ではなかったが、これが果たしてどんな意味を成すのかということに甚だ疑問を抱いた。まず、教師が全員のスマホを没収するための鞄のような袋のようなものを取りに行った時間に、通知音を鳴らした張本人はスマホの電源を切ることが出来た。その時点で証拠隠滅は可能となり、犯人を断定できなくなる。
「生徒が馬鹿なら、教師も一緒か」
そんな毒を吐いていた俺は、内心その状況を楽しんでもいた。愚か者のおかげで、休息時間が伸びた。最前列に座っていた友人の顔を覗いたら、目を赤くして涙を堪えているようだった。

その授業は四限だったので、昼休みの時間に全員のスマホは没収されたままになることが決まった。
「馬鹿め。そんなことやったって意味ねぇだろ」
俺は半分嘲笑、半分失望のような顔をしていた。自分の番が回ってきて、スマホを預けるように目で合図された時、俺は教員に「あの、もう俺家帰って良いですか」と言っていた。こんなくだらない事件で授業が止まるようなレベルの低い学校にいるのが嫌で嫌で仕方なかった。

昼休みの時間に購買へ、最前列に座っていた友人と共に行った。友人の顔色を窺うだけで、彼は口を開いた。その友人の口ぶりからすると、『俺はやっていない』と首尾一貫主張しているような感じだった。だから俺も「そっかそっか……」と主張に便乗して、彼の傷付いた自尊心を少しでも慰めてあげようと、スマホを鳴らした誰かを罵るような言葉を口にした。
「いやぁ、まぁでも気にしなくていいんじゃね。名乗り出ることすらできないとか、チキンの極みやん。どうせ中身も無いがらんどうの癖に、プライドとか見栄とかだけ1人前なんだから困るよ。そういう奴はさ、通りかかった雷にでも撃たれて死んじゃえばいいんだ。そんな意気地無しのために俺らは手を汚したくないし、でも同じ空間にいるのも反吐が出そうだから、雷に撃たれて死んでもらうくらいが丁度いい。死に際までしょーもなかったなって笑える」
友人は俺の言葉を最後までなんとも言えない面持ちで聞いていて、『そうだよな……』と言いながらスタスタ先を歩いていった。

ランチの匂いが充満した教室の中には、連帯責任のような仕打ちに不満そうな声が蔓延していた。そして、『その犯人などどうせあいつ(俺の友人)なのだから、何か話し掛けられても無視しようぜ』というような声や、『あいつ元々暗いしキモイと思ってたんだよな』というような暴言を耳にした。ミステリ小説の一冊も読めないであろう馬鹿どもが、推理合戦を始めていた。結局、俺の友人が犯人だったという結論に着地していて、大いに失笑してしまった。スマホを取られても痛くも痒くもない俺は、いつも通り小説を開いた。

その日の夜、日記を書きながら冷静になった。
どうして俺は、彼の言葉を信じたのだろう。
あの状況を客観視したら、何をどう考えても犯人は俺の友人だ。友人という関係性によって、俺の中に「彼は自分の失敗を認められる人間だろう」という先入観があったのは言うまでもない。ただ、物的証拠を抑えることができなくなったあの時間が、俺にとっては腹に流し難いものだったのだ。全てが水泡に帰す虚無感。徒労。
そして、中途半端な事実確認が不要な詮索を生み、友人が推定有罪の私刑として距離を取られることになる。
加えて、俺が投げつけた言葉。
彼を救ってあげたくて、共感を示すために選んだ刺々しい語彙の数々。
しかしどうして俺は、友人が犯人である可能性を考慮した言葉選びをしなかったのだろう。彼が当の本人だったとしたら、今頃俺の言葉は毒針のように全身を巡って、痛めつけているのではなかろうか。悪いことをした、と思った。

俺が日々放つ言葉は、誰かを救うことも殺すこともできる。あの友人は、今頃元気にしているだろうか。
言葉で誰かを傷付けてしまうことを減らしたくて本を読み始めたのに、善意の皮を被った悪意を増強させるために用いてしまった。そんな自分の醜さや、他人を貶めて自分はまだ大丈夫だと思おうとする卑しさに辟易した。言葉の雨に打たれて、今夜も枕を濡らした。

■月を詠む

誰かのために生きたいと思ったことのなかった僕に、その出逢いはあまりにも運命的だった。突如として〝ツキ〟が、僕の元に巡ってきた。それは、全て赤裸々に話してしまうのは恥ずかしくて、でも言葉にせずはいられないもの。

出逢ってから1ヶ月ほどで、二人だけの満月を見た。
綿飴みたいに甘い人だから、すぐにその甘味が欲しくなってしまって、時々怖くなった。一匹狼の雰囲気を出して強がってきた僕が、こんなにも弱くなれるのかと驚いた。僕なんかただ暗いだけの救いようもないダメ人間なのに、一緒にいて大丈夫なのだろうかと心配になった。

お互いに『秘密』を隠し持っていそうだから、探り合うように距離を縮めた。もどかしさを吐き出すようにため息をついたら、信号機が青になった。『一歩前へ踏み出せよ』と、誰かに言われているように感じた。手綱を握るように彼女の手を繋いでいたら、身体が火照ってきた。愛おしさの網に絡め取られて、心臓が強く脈打った。

夜風が吹いているのに、その熱は一向に収まらなかった。むしろそれは広がって、夜の底をほんのり紅く染めあげてしまった。愛おしい気持ちをどうにか伝えたいと思って、儚げな満月を見上げていた。手を繋いでいる大事な人は、雨の気配を嗅ぎつける人だ。雨の気配を感じ取れる彼女と比べて、僕はあまりにも平凡だった。月が真ん丸になった夜には、狼にでもなれたらいいと思った。僕が狼になったら、彼女を食べてしまいたい。

愛おしさを上手に表現できないのなら、伝染させたいと思った。僕の掛ける言葉で、感電でもしたように痺れさせたい。帰り道に僕の顔を思い出して、どうしようもなく照れてほしい。日常から遠く離れたその場所で、いくつか甘い言葉を囁いた。頭の片隅で、「これは幻か何かだろう」と思った。やがて別れの時間が来て、惜しむように手を離した。ほろ酔いのような感覚が日常の輪郭を溶かしている。僕はその風景を絵に書けたら、『幸せはすぐそばに』というような在り来りな題名をつけるのだろうなと思った。家に帰ったらすぐ、また君に会いたくなってしまうのだろう。

あとがき

十八歳の区切りになるエッセイを書くとなると、それなりにプレッシャーがあった。ずっと思春期というか、反抗期というか、鬱屈とした何かを抱えながら暮らしているのだが、どうやらそれを上手く隠すことが〝大人〟であるらしかったので、自分の気持ちを吐き出す場所がこの連載くらいしか無かった。しかしまぁ、大学に入ってからというもの、高校時代に思い描いていた〝大学生〟と実生活のギャップには毎度驚かされている。上手くいかないことばかりなのがある意味では日常的であり、現実(リアル)なのかもしれないが、ほとほと疲れてしまうこともよくある。日頃からストレスを抱え込んでいる僕は、突然、感情を爆発させてしまったりもする。それをある程度改善したいと思って見つけたストレス発散方法が、エッセイを書くこと爆食いをすることである。この爆食いについて少しだけ触れておくと、回転寿司で20皿の鮨を平らげるレベルである。この話を他人にすると、『ええ、見た目からは想像もつかないんだけど』と往々にして驚かれる。何故なら僕は、全然脂肪がつかない体質だからだ。普段は一日二食しか食べない日も多いから、こんなに爆食いをする日には壮絶な体験をしていることが多いのだが、実は以前に似たような話を『世にも』で見た。

それは『ハイ・ヌーン』という話。街中のありふれた定食屋に訪れた人物が、壁に貼られたメニュー表を端から端までひたすらに注文し、全て完食するというだけのストーリーだ。その人物は注文をする時以外は終始無言で、続々とメニューを食べ進める。その様子は定食屋の周りでも話題になり、夕暮れの中で終盤に差し掛かったメニューをひたすらに食べ進める様子を、近隣住民が固唾を飲んで見守っているのだ。そして全てを平らげた後に、その人物はまた、メニュー表を最初から頼み始める……。

という、食事シーンが8割ほどを占めるほんとに奇妙な傑作があるのだが、僕はその人物(主人公)も僕のように、食にストレスをぶつけていると思うのだ。だから、そのバックグラウンドを見てみたいと思ってしまう。うん、一体何の話だって感じ。

兎にも角にも、明日で僕は十九歳になるわけだが、根幹から何かを変えるつもりは一切無く、これからも自分の好きなものを追いかけ続けたい。その先に待ち受けているのが〝死〟だとしても、それはそれで良いと思ってしまう。ただ、夢である芥川賞を受賞するまでは、死ねない。もし芥川賞に選ばれたら、授賞式の会見でこんなスピーチをしたい。
「今日に至るまでほぼ毎晩、ネガティブな感情と一心に向き合いながら創作をしてきました。嫌いな奴や俺に嫌がらせをしてきた奴の性格を準えながら、キャラデザをしたこともありました。でも、その積み重ねがこの結果に繋がっていると思うと、彼らには感謝しかありません。そのお礼に、今まで俺を深く沈ませ、苦しい思いをさせてきた彼らの名前を、敬称略で読み上げさせて頂きます。それでは……」
ここから僕が、壊れた機械のように長々嫌いな奴の名前を読み上げ始める。名前を呼んだ後に、そいつの罪状を発表する。もちろん、実際にその機会が巡ってきたとしても、僕はそんなことをしない。ただ想像するだけで良いのだ。芥川賞をとったら、間違いなく僕は勝者になる。僕を傷つけてきた奴らは、一瞬にして敗者になる。文壇に胡座をかいて、 欠伸をしながら余生を楽しむ。ただ、そんな夢は当分叶いそうもない。だからこうして、明るくもないエッセイを書き続ける。大学生活に疲弊して、数週間前にひとり場末の居酒屋で酒を飲んだ。チューハイを3杯飲んだけれど、気持ちよくなどなれなかった。ただただ倦怠感が全身を巡って、何もかも考えたくなくなっただけだった。こんなもんを飲むよりも、大切な人とご飯にでも行けば良かった。人生は基本的にダルい。大人になったら、より世界は自分を肯定してくれなくなる。だからこそ、自分を認めてくれる人を、僕は大切にしたい。大人に向かうにつれて身につけてきてしまった不要な知識や荷物を脱ぎ捨てて、少年の日の面影を夕暮れの中探し回った。

QUILL

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