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偉人はいつ「偉人」になるのか

こんにちは。

突然ですが皆さん、「史上最低の映画監督」と呼ばれている映画監督が誰かご存じですか?

なんとも不名誉な称号ですよね。
それを見事獲得したのが、アメリカのエド・ウッドという人物。

生没年:1924~1978年

彼は映画監督以外にも、プロデューサー、脚本、俳優などを務めました。しかし、映画の出来はことごとく最悪。映像、ストーリー共に学生映画以下のレベルで、「映画のようなゴミ」とまで言われたとか。買い手が全くつかず常に貧困にあえぎ、最期はアル中で亡くなりました。

そんなどうしようもないエド・ウッドでしたが、彼のファンが全くいないわけではありません。
有名どころを挙げると、ティム・バートン、サム・ライミ、クエンティン・タランティーノ、デヴィッド・リンチなどです。

……いやいや、いくつも賞を取っているような、名だたる人物ばかりじゃないですか。

ティム・バートンに至っては、彼を題材にした映画(『エド・ウッド』、1994年)まで作ってしまいました。しかも主演はジョニー・デップ!!

この映画はアカデミー賞を2部門で授賞し、エド・ウッドの名が世に知れ渡る契機となりました。

生前は全く評価を得られず、没後もしばらく忘れられていたような映画監督が、ある種のコアな(?)ファンによって再評価されたわけです。

しかし、この出来事は、単にティム・バートンが有名で、彼の感性が普通とは違ったために起こったことなのでしょうか。


私は、後世の人々によって、ウッドの魅力が当時とは違う形で「発見」されたのだ、と言えるのではないかと思います。

ウッドの作品を評価できる感性を持ち合わせているかどうかに関わらず、彼の、お金がなくても決して捨てなかった映画製作への情熱は、「作品の出来が最悪」という事実によってかえって印象づけられます。
これは、映画の出来の悪さによってウッドという人物そのものも無視されていた生前には起こりえなかったことでしょう。

もしかするとこれから先も、それまで無名だった映画監督が死後何かの拍子に有名になる、なんてことがあるかもしれませんね。
人物像、発言、エピソードなど、何が急に注目されて評価されるかなんて分かりませんから。

こういった話は少なくありません。例えば画家のゴッホや詩人のエミリー・ディキンソン、作家のカフカなども死後に高く評価された人物と言われています。

また、スペインの作家セルバンテスは、代表作『ドン・キホーテ』が出版後瞬く間に評判になったにも関わらず、版権を安く売り渡してしまっていたためにそれに見合った収入を得られず、生活は苦しいままだったそうです。

生前は報われなかったセルバンテスですが、後には彼をたたえる硬貨や文学賞、名を冠した道路などが作られました。
『ドン・キホーテ』は、日本のディスカウントストアの名の由来にもなってますしね。

こういう話を聞いていると、人は、どのタイミングで報われるかなんて本当に分からないな、と思います。
50年後かもしれないし、100年後かもしれない。もしかしたら永遠にこないかもしれないけど、誰もそんなことは分からない。評価なんて、そのあとの人々によっていくらでも変わるんですから。

じゃあ、私たちはそのいつかくるかもしれない「報われる日」のために今生きているんでしょうか。自分が打った布石を未来の誰かが生かしてくれることを祈って?いつかきっと誰かが自分を高く評価してくれると信じて?

これに対する考えは様々でしょうが、私は、自分の人生を完璧に完成させなくてはならない、と気負うことに疲れてしまったとき、自分が知りえない未来に希望を託すのは1つの手じゃないかと思います。

バーネットの『小公子』の中に、こんな風な台詞があります。

あなたが生まれてきたために、この世がよくなること、それが大切なの。
ね、だれかが生きていたために、ほんの少しでもこの世がよくなる、それが何より大切なことよ。

私たちは、思わぬところで何かに意味を見出だすかもしれないし、思わぬところで何かに貢献できるかもしれません。

自分の生前だろうと死後だろうと、自分が生きていたことで、そんな素敵なことがどこかで起きたらいいな、と思いませんか。

知っていましたか。ホイットニー・ヒューストンの代表曲『I Will Always Love You』(エンダァァァァイヤァァァのやつ)は、元々ドリー・パートンというシンガーの曲のカバーでした。

ポテトチップスは、フライドポテトが厚いと文句をつけてきた客のために提供し、喜ばれたためにメニューに加えたのが始まりだと言われています。

これらの例から分かるように、どのタイミングで新しい価値が生まれるかなんて、全く予想できないものです。
そして、それが厳密には誰の手柄かなんて、誰にも分からない。

それでも、自分が生きていたことで起こった何かが、何らかの形でこの世の役に立つって素敵じゃないですか。
自分にとって直接利益にならなくても、いつか自分が生きた意味が見出だされると思ったら、ちょっとだけ気持ちが楽になりませんか?

自分の幸せを考えるあまり気が張って疲れてしまったら、そういう風に考えてみてもいいかもしれませんね。

ちょっと長くなってしまいましたね。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!
もし共感していただけたら「スキ」してもらえるととても嬉しいです。

今回はここまで。
ではまた次回。

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