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夢日記

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私の半生を夢をテーマに書きました。是非、ご一読ください。
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2021年11月の記事一覧

別れ

別れ

今年3月末の転勤前、今までお世話になった方々とのお別れがあった。

その中でも、6年担任をした2回ともPTA会長をしていただいた方と、最後の日に30分ぐらいお話をすることができた。

教育や子育て、思い出等について話ができて心底嬉しかった。戦友といえる、お互いに敬う何とも言えない関係性が嬉しかった。

また、最後に4〜6年と担任した高校生の子たちが10数人集まってくれた。これも本当に嬉しかった。

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自分の人生の始まり

自分の人生の始まり

ある日、テレビのロケで、東京都足立区の綾瀬と北綾瀬に行っている番組を観た。

東京の大学を卒業して、地元に戻り、2年半アルバイトをして、貯めたお金で北綾瀬に部屋を借り、引きこもり相談のボランティアをしていた。

綾瀬駅の端っこに「0番線」があって、北綾瀬まで単線の路線だった。

ザ・下町で面白い町だった。仕事帰りに綾瀬の中華屋でビール飲んで、ニラレバ定食とか食べて、ほろ酔いで20分ほど歩いて帰った

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FOR THE BRAND-NEW DREAM

FOR THE BRAND-NEW DREAM

15歳からずっと、明日何してるかわからない人生を歩みたいと思って生きてきた。

もちろん、今もそう思ってる。いまだにそう思えていることに、そして、そのことにワクワクできることが何よりも嬉しい。

夢その1「大人と子どもの学校(サードプレイス)」づくり
職場(学校)と家族、それ以外の居場所を必要としている人は多い。
それが部活動だったり、地元の友達だったり、勉強や習い事仲間だったり、地域の集まりだっ

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「夢と現実」その狭間で…

「夢と現実」その狭間で…

4〜6年の担任を全てを賭けてやり切ったという思いが強く、今後、他の子どもたちを担任しても、この子たち以上に愛情をもって接する自信が持てないかもな、と感じていた。

そんな時に教頭試験を受けないかと当時の校長から誘われた。今から思えば自然な流れだった。

当時、年齢的にも教頭が足りてない状況なのはわかっていたし、いつかならなくてはならないとは思っていたので、そんなに抵抗なく、認められたことの方が嬉し

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夢の思い出

夢の思い出

4〜6年生、心身共に成長する時に、持ち上がりで担任したので、その過程を思い返して、今でも、「感慨深いなあ」と思い出すことがある。

漢字テスト10点ぐらいしか取れなかった子が100点とれるようになったり、遅刻ばかりしてた子が運動会以降、卒業まで全く遅刻しなくなったり、すねてかたまったりしていた子が6年になって目覚ましい成長を遂げたり、チック症状で咳をしたり自信もてなかった子が、卒業式で堂々と大きな

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かけがえのない夢の時間

かけがえのない夢の時間

4〜6年の3年間、持ち上がりで担任となった。結果的に最初で最後の学年主任となった。

相方の担任は新任で、男性30代。企業の営業からの転職。何もわからないので一から教えなければいけない。ただ、とにかく前に進む、とてもいい人だった。結果的に2人で3年間担任することになった。彼には本当に助けられた。文字通り、苦楽を共にした同志となった。

1学期始めから毎日が勝負!崖っぷち!命懸け!だった。

上手く

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夢中

3年担任となり、初の4月の学級開きからのスタートで、学級担任向けの本をたくさん買って読み漁って、いろいろ試して、上手くいったり、反応があまりよくなかったものは修正したりして、やっていった。

1人、45分集中するのが難しい落ち着きのない男の子がいた。喧嘩も絶えなかった。
やってはいけないことをわかっていても、やりたい気持ちの方が勝ってしまう、そんな子だった。

だから、なんか友達を叩いてしまったり

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夢が現実になったら…

夢が現実になったら…

思わぬ友人の紹介から小学校教員になった。転職経験の多い私でも、37歳で全く違う知らない仕事に変わるのは想像以上にキツかった。

1日の授業の流れ、学校全体、行事等に関する仕事、担任しているクラスの事務仕事…全て知らないゼロからのスタートでした。

わりと転職してきたほうなので、仕事に慣れるのは大丈夫だろうと思ってたけど、想像以上の大変さに戸惑い、現実逃避したくなり、電車を乗り過ごしたくなったりもし

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