見出し画像

明治天皇の神風串呂7(光長と井伊谷宮)

💟このオンラインブックは、串呂哲学の創始者・三浦芳聖師が解明した「明治天皇の神風串呂」を分かりやすく解説したもので、「明治天皇の神風串呂6(美星町明治と千代田区皇居)」の続きです!

明治天皇

1、堀川政略という偽史工作を暴く

最近、歴史事実の隠蔽(偽史)工作が行われており、日本の将来を想うと憂慮に堪えないこの頃です。その偽史工作の第一は「孝明天皇父子弑逆事件は無かった」事にするもので「堀川政略」と言います。

これに対しては、作家の南條範夫や作曲家の宮崎鉄雄、他の証言があり、それらを当時の状況を踏まえて考察した下記の多くの研究書があるのに、あえて書籍まで出版して偽史工作を遂行しています。

『裏切られた三人の天皇-明治維新の謎』増補版(鹿島昇・新国民社)
『二人で一人の明治天皇』(松重楊江・たま出版)
『幕末 維新の暗号』(加治 将一 ・祥伝社)
『日本史のタブーに挑んだ男 』(松重揚江・たま出版)
『維新の悪人たち 』(船瀬俊介・共栄書房)
『日本人が知っておくべき この国根幹の重大な歴史」(加治 将一 、出口 汪 ・ヒカルランド)

孝明天皇父子弑逆事件は無かった事にする偽史工作「堀川政略」の目的は、現政権に都合の悪いことは無かった事にすることで、「さる筋」から聞いたとして虚偽の歴史を創作しているのです。

「政体天皇」を大室寅之祐に譲り「國體天皇」となった孝明天皇が京都本国寺の堀川御所に隠棲したとする「堀川政略」が事実なら、孝明天皇に忠節を尽くした松平容保の会津藩を「朝敵」として攻撃した「会津戦争」が起こるはずが有りません。中学生でも分かる論理では有りませんか!

松 平 容 保

また、その偽史工作の書籍中には、慶応4年(1868)閏4月4日、罪無くして斬首された「小栗忠順」が、生存していて渡米したとする妄説まであり、あきれてしまいます。

この小栗忠順生存説に対しては小栗忠順の義理の甥に当る「蜷川新」の著書に、小栗忠順処刑時の状況を、処刑をした当事者の「原保太郎」から直接聞いて書き留めた記録があります。

『維新前後の政争と小栗上野の死』(蜷川新・日本書院)
『維新正観―秘められた日本史・明治篇』(蜷川新・批評社)
『小栗上野介―開国の先覚者』 (蜷川新・千代田書院)

【参照】「小栗上野介、罪なくして斬らる」 維新前後の政争と小栗上野
【参照】『小栗忠順- Wikipedia』

この小栗忠順生存渡米説は「策士策に溺れる」という「ことわざ」がぴったりで、一連の偽史工作は都合の悪い歴史事実は消してしまおうとする確信犯である明白な証拠ではないでしょうか。

以上のことから、長州藩閥・田布施一味は、大日本帝国が滅んだ今もなお、厚かましくも我が国の支配者であり続けている証拠でありますが、その背後には真の支配者である恐ろしい「御主人さま」が存在しているのです。

真に我が国の将来を想うならば「堀川政略」を始めとするフェイク情報に耳を貸さず、一連の偽史工作をはねのけて、タブーを恐れず真実を追求した勇気ある先人(鹿島昇・太田竜・鬼塚英昭)たちの跡を慕い、粘り強く学習していくほかないと思います。

【参照】太田竜(講義録)音声教材(YouTube)


2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、光長と井伊谷宮の神風串呂

三浦芳聖は、島根県鹿足郡吉賀町注連川「光長」と静岡県浜松市北区引佐町井伊谷の宗良親王を奉斎する「⛩井伊谷宮」を串呂すると下記のようになると述べています。

光長」(吉賀町)-「上組」(広島市)-「蔵王」(福山市)-「東光寺山」(岡山市)-「神功皇后御陵」(奈良市)-「若松」(美浜町)-「⛩井伊谷宮」(浜松市)-「正道」(掛川市)-「⛩焼津神社」(焼津市)

(三浦芳聖著『神風串呂』第168号11頁/1970年、現在の住所に改めた)

地文のみ掲載します。
光長-上組-蔵王-東光寺山-神功皇后御陵-若松-⛩井伊谷宮-正道-⛩焼津神社

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)光長(みつなが、島根県鹿足郡吉賀町注連川)
光良親王を表わす地文。光良親王は松良天皇の第四皇子。睦仁親王(大室寅之祐)の遠祖。

この地名は、昭和42年(1967)5月30日の三浦皇統家の月次祭で「睦仁親王は松良天皇の第四皇子光良親王の王孫である。」という霊示があり、その後、地図を広げて門人等と串呂の研究中に「串呂の虫」が現れて発見することが出来た。(三浦芳聖著『神風串呂』第140号1967年7月発行7頁)

【参照】明治天皇・光良親王王孫説を昭示する神風串呂(№212)
光長」-「明治天皇御陵」-「御在所山」-「松永」-「四之宮」
伏見桃山御陵に眠る睦仁親王(明治天皇)は神皇正統第99代・松良天皇の第四皇子「光良親王」の王孫である。

【三浦皇統家 系図】
後醍醐天皇
-尊良天皇-興国天皇-小室門院¬
-宗良親王――――――小松天皇-松良天皇-大宝天皇-----三浦芳聖
-義良親王――――――寛成親王-綾子皇后-大宝天皇
宗良親王――――――小松天皇松良天皇光良親王----睦仁親王

光長2
島根県鹿足郡吉賀町注連川 光長(地図マピオン)

(2)上組(かみぐみ、広島県東広島市八本松)
上組は「貴族・皇族・王孫」を表わす。

ここでは「光良親王」が井伊谷宮の宗良親王の王孫であることを表わす。同地域に「上条」(かみじょう)というバス停あり。

画像3
広島県東広島市八本松 上組(地図マピオン)

(3)蔵王町(ざおう、広島県福山市)
蔵王は「王が隠れている。王を隠している。」を表わす。
ここでは光良親王が宗良親王の王孫である事を表わす。

蔵王.福山市
広島県福山市 蔵王町(地図マピオン)

(4)東光寺山(とうこうじ山、岡山市南区と玉野市の境界)
明治天皇の御代に、ロシア戦争で勝利し、「光は東方から!」を世界に示した。

【参照】東光寺の東光は東方浄瑠璃世界を意味し薬師如来を本尊とする寺が多い。(『ウィキペディア』東光寺

東光寺山.岡山市
岡山市南区と玉野市の境界 東光寺山(地図マピオン)

(5)神功皇后御陵(じんぐう皇后御陵、奈良市山陵町)
神皇正統第14代仲哀天皇の皇后・息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)の御陵。

「明治時代以前は神功皇后を天皇(皇后の臨朝)とみなし、15代の帝と数えられていたが、1926年(大正15年)10月の詔書により、歴代天皇から外された。」(『神功皇后- Wikipedia』

*コラム・超世志のここだけの話
 三浦芳聖はその最晩年「神功皇后御陵に参拝して神功皇后を招霊すれば神功皇后が御出現になるが、ある時、髭を生やした男の神霊が現れた!」と語った。
 おそらく神功皇后御陵は真の神功皇后御陵ではないと思われる。これについては鹿島昇の著書『日本王朝興亡史』『日本侵略興亡史』などを精読すれば理解できるであろう。古墳の埋葬者の研究は殆どなされていないのだ。

神功皇后御陵
奈良市山陵町 神功皇后御陵

(6)若松(わかまつ、愛知県知多郡美浜町野間)
松良天皇の第四皇子・光良親王を表わす。(松良の若様-若松)

若松,美浜町野間
愛知県知多郡美浜町野間 若松(地図マピオン)

(7)⛩井伊谷宮(いいのやぐう、静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)

井伊谷宮
⛩井伊谷宮

井伊谷宮(いいのやぐう)は、静岡県浜松市北区の井伊谷にある宗良親王を祀る神社。旧社格は官幣中社。建武中興十五社の一社である。明治維新以降、建武中興に功績のあった南朝方の人物を祀る神社が数多く創設されたが、そのうちの一つである。

後醍醐天皇の第四皇子で南北朝時代に征東将軍として関東各地を転戦した宗良親王を祀る。社殿の背後に親王の墳墓がある。神紋の李花紋は、歌人としても有名であった宗良親王の家集『李花集』に因むものである。
『井伊谷宮- Wikipedia』

井伊谷宮年表

睦仁親王(明治天皇)は「征東将軍宗良親王の井伊谷宮(いいのやぐう)を、明治2年に本宮造営、明治5年に御鎮座、明治6年に官幣中社に列し」(『井伊谷宮略記』)と、超スピードで奉賽し顕彰している。下記の「系図」を伝承していた証拠である。

【三浦皇統家 系図】
後醍醐天皇
-尊良天皇-興国天皇-小室門院¬
-宗良親王――――――小松天皇-松良天皇-大宝天皇-----三浦芳聖
-義良親王――――――寛成親王-綾子皇后-大宝天皇
宗良親王――――――小松天皇松良天皇光良親王----睦仁親王

井伊谷宮
静岡県浜松市北区引佐町 井伊谷宮(地図マピオン)

(8)正道(まさみち、静岡県掛川市原里)
南朝正統家を世に出すための神計画として、山口県(長州)に「光良親王」を配置したのは南朝統家を世に出すための(神計画)である。

住居表示に関する法律により、正道は地図上で見ることが出来ませんが、静岡県掛川市原里2197に「正道公民館」がある。

(9)⛩焼津神社(やいづじんじゃ、静岡県焼津市焼津) 焼津神社HP 
主祭神は、日本武尊。この串呂を守護している神社。境内に日本武尊の銅像がある。境内社の焼津御霊神社近くに神武天皇の銅像がある。この神武天皇像(下記)は三浦芳聖の容貌によく似ている。

画像11
三浦芳聖の容貌似の神武天皇の銅像

静岡県焼津市焼津、JR焼津駅の南西約1kmにある神社。式内社で、旧社格は県社。戦後、神社本庁別表神社に加えられた。旧称入江大明神(いりえだいみょうじん)。ウィキペディア・焼津神社

焼津神社
静岡県焼津市焼津 焼津神社

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

光長-上組-蔵王-東光寺山-神功皇后御陵-若松-⛩井伊谷宮-正道-⛩焼津神社

長州に配置した「光良親王」は⛩井伊谷宮の祭神・宗良親王の王孫であり松良天皇の若君(第四皇子)であり、これは南朝統家を世に出すための(神計画)である。神功皇后御陵・⛩焼津神社はこの串呂の守護神。

下記の神風串呂と併せて考察すると、「光長」(光良親王)が、宗良親王の王孫であり、松良天皇の第四皇子であり、明治天皇(大室寅之祐)の遠祖であることが、よくご理解頂けるかと思います。

明治天皇・光良親王王孫説を昭示する神風串呂(№212)
光長-明治天皇御陵-御在所山-松永-四之宮

明治天皇御陵と松良天皇御陵との神風串呂(№213)
明治天皇御陵-松良天皇御陵-⛩井伊谷宮

【三浦皇統家 系図】
後醍醐天皇
-尊良天皇-興国天皇-小室門院¬
-宗良親王――――――小松天皇-松良天皇-大宝天皇-----三浦芳聖
-義良親王――――――寛成親王-綾子皇后-大宝天皇
宗良親王――――――小松天皇松良天皇光良親王----睦仁親王


💟皆様方の御支援に感謝しています!

読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。


🔴神風串呂を学びましょう!


💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志著)


🟡バックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。
ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(明治天皇の神風串呂6)
  
🟢次号(明治天皇の神風串呂8)

*******************
🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
*******************

串呂哲学研究ノートは、読者の皆様方の財政的ご支援により活動が維持されています。理解しやすい記事作成のために諸般の費用が掛かります。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。読者の皆様方のご支援に感謝しています!