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明治天皇の神風串呂6(美星町明治と千代田区皇居)

💟このオンラインブックは、串呂哲学の創始者・三浦芳聖師が解明した「明治天皇の神風串呂」を分かりやすく解説したもので、「明治天皇の神風串呂5(美星町明治と松良天皇御陵)」の続きです!

明治天皇


1、南朝正統家の影武者だった明治天皇

岡山県井原市美星町「明治」と明治天皇の住居であった千代田区皇居とを結ぶ串呂上に「⛩明治神宮」が串線している神風串呂をご紹介します。

 明治(美星町)-⛩明治神宮-皇居(千代田区)

この一本の串呂から、上記の地名が存在するのも、「明治」という元号も、「⛩明治神宮」が東京都渋谷区代々木神園町に建立されたのも、すべて日本神界(串呂主宰神)の神計画に基づいて行われていることを窺い知ることが出来ます。

まさに神風串呂です。私は、これを「神風串呂史観」と呼んでいます。

【参照】神風串呂史観(しんぷうかんろしかん)とは
日本の歴史は神風串呂を構築するために展開してきたとする歴史観です。
元伊勢クシロの構築にはじまり、天照大御神が伊勢神宮におしずまりになったこと。石清水八幡宮の大神が京都府八幡市の男山にお鎮まりになったこと。崇徳すとく上皇が讃岐さぬき遠流おんるになられたこと。楠木正成公が湊川で戦死されたこと。尊良天皇が敦賀の金ヶ崎城でご自害されたこと。後醍醐天皇が吉野に臨幸りんこうされ吉野で崩御されたこと。大宝天皇が岡崎市牧平大門に移住されたこと等々、現在判明している事項だけでも枚挙にいとまがありません。 
 神風串呂を構築するために日本の歴史が展開し、その青写真に従って要所要所にふさわしい地文(地名)を設定して行く作業が行われてきたという歴史観で、串呂構築の目的は、皇統正史を明らかにする為です。徹底的に日本歴史の誤謬ごびゅうただす為です。


2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、美星町明治と千代田区皇居の神風串呂

三浦芳聖は、岡山県井原市美星町の「明治」と東京都千代田区の「皇居」を串呂すると、下記のようになると述べています。

竜宮島(下関市)-青景(美祢市)-小松ヶ谷(萩市)-長者ヶ原(山口市)-鈴ノ大谷山(吉賀町)-宇佐(岩国市)-幸の神(広島市)-吉永(広島市)-清武(東広島市)-青梅(井原市)-明治(美星町)-(総社市)-鯰尾(姫路市)-(南丹市)-鹿島( 富士川町)-大船町(八王子市)-⛩明治神宮(渋谷区)-皇居(千代田区)-志高(香取市)

(三浦芳聖著『神風串呂』第168号7頁/1970年、現在の住所に改めた)

地文のみ掲載します。
竜宮島-青景-小松ヶ谷-長者ヶ原-鈴ノ大谷山-宇佐-幸の神-吉永-清武-青梅-明治-影-鯰尾-榎-鹿島-大船町-⛩明治神宮-皇居-志高

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)竜宮島(りゅうぐうじま、山口県下関市豊浦町大字小串)
竜宮島は、皇居という生活環境が竜宮城の様に満ち足りた優雅で豪華な場所であったことを表わす。

明治維新の時、長州の農民奇兵隊員から天皇になって江戸城(皇居)に移り住んだ明治天皇(大室寅之祐)が「乙姫様の御馳走に/鯛や比目魚の舞踊/ただ珍しくおもしろく/月日のたつのも夢の中」の歌詞の様に、浦島太郎が竜宮城へ行ったおとぎ話の様な優雅で豪華な環境で生活した事を表わす。

ただし黄金の籠の鳥で自由はなく、維新の元勲や元老たちに頭が上がらず、ストレスで酒浸りの生活が祟り、皇子の神生みに失敗し皇統は二代で断絶した。

【参照】住所の小串は王孫の串呂を表わす。大串=天皇の串呂を表わす。

竜宮島
山口県下関市豊浦町大字小串(地図マピオン)

(2)青景(あおかげ、山口県美祢市秋芳町)国内唯一の地名
影武者(替え玉)を表わす。青は四緑木星を表わす。

明治天皇(四緑木星の壬子年生れ)は、吉永(南朝正統家)の影武者であったと解釈します。(12)影(総社市)とで影(景)二串の確定立証の串呂を構成しています。

南朝正統家は、秘蔵っ子(ひぞっこ)で、危険にさらすことは出来ないので松良天皇の第四皇子・光良親王の王孫「大室寅之祐」が明治維新の王政復古で擁立された。

明治天皇は王政復古と近代化に成功したが、霊界で約束した南朝正統家を世に出す使命を忘却し「天皇神聖・万世一系」を謳った欽定憲法を制定したが天佑神助を得られず皇統は二代で断絶し、日本帝国は昭和20年(1945)8月15日、敗戦により滅亡し、現在は米国の属国状態である。

【参照】影武者とは
権力者や武将などが、敵を欺いたり味方を掌握するため、自分とよく似た風貌や服装の人物を身代わりとさせること。また、その身代わりの人物そのものを言う。「替え玉」とも言う。(『ウィキペディア』影武者

青景.美祢市
山口県美祢市秋芳町 青景(地図マピオン)

(3)小松ヶ谷(こまつがたに、山口県萩市佐々並)旧・阿武郡旭村
明治天皇(睦仁・大室寅之祐)が、小松天皇(興良)の皇胤である事を表わす。(同名の護良親王の王子・興良親王の王孫ではないことの傍証),
国内唯一の地名。

【三浦皇統家 系図】
後醍醐天皇
-尊良天皇-興国天皇-小室門院¬
-宗良親王――――――小松天皇-松良天皇-大宝天皇-----三浦芳聖
-義良親王――――――寛成親王-綾子皇后-大宝天皇
-宗良親王――――――小松天皇-松良天皇-光良親王----睦仁親王

小松ヶ谷萩市
山口県萩市佐々並 小松ヶ谷 (地図マピオン)

(4)長者ヶ原(ちょうじゃがはら、山口市徳地野谷)旧阿武郡川上村
原(先祖)が長者(一門一族の統率者)である事を表わす。国内唯一の地名

ここでは先祖が長者(皇族・後醍醐天皇)であると解釈します。旧住所・川上村も先祖を表わす。

長者ヶ原山口市
山口市徳地野谷 長者ヶ原(国土地理院地図)

(5)鈴ノ大谷山(すずのおおたに山、島根県鹿足郡吉賀町)
解釈不明、地名の「吉賀町」は、「吉(良)を賀す=南朝」と解釈できる。国内唯一の地名。

島根県鹿足郡吉賀町(地図マピオン)

(6)錦町宇佐(うさ、山口県岩国市)
錦の御旗「八幡大明神」を掲げて維新を断行したことを表わす。宇佐は八幡総本宮・宇佐神宮を表わす。

錦町宇佐山口市
山口県岩国市 錦町宇佐(地図マピオン)

(7)幸の神(さいわいのかみ、広島市安佐北区安佐町大字久地)
王政復古・明治維新の成功、日清日露の両戦役の勝利など、明治天皇が「幸運の持ち主」であったことを表わす。

幸の神
広島市安佐北区安佐町大字久地 幸の神

(8)吉永(よしなが、広島市安佐北区白木町)
吉永(よしなが)は、大宝天皇の諱(美良・よしなが)を表わすと共に、由良(ゆら・よしなが)に通じ、後醍醐天皇の嫡皇孫(南朝正統家)の流れを表わす。

三浦芳聖は「吉永(由良)は、三浦芳聖を表わす」と解釈しています。詳細は、「由良について」を参照ください。

【参照】『ウィキペディア』後醍醐天皇「皇子の名の読み」
後醍醐天皇の皇子の名には、通字として「良」が用いられている。その読みは古くから「なが」「よし」の両様に読まれてきた。

吉永.広島市安佐北区
広島市安佐北区白木町 吉永(国土地理院地図)

(9)清武(きよたけ、広島県東広島市豊栄町)
日清日露の戦役に勝利した明治時代の日本軍が軍規の統制の取れた「皇軍」であったことを表わす。国内二ケ所の地名。

清武東広島市
広島県東広島市豊栄町 清武(地図マピオン)

【参照】宮崎県宮崎市清武町

(10)青梅(岡山県井原市芳井町山村)
明治時代、皇居で働く職員慰労の為、職員を集めて皇居内で取れた青梅の実を餅投げのように撒く催しがあり、青梅は拾った職員の物となった。景品が当たるくじ引きもあり職員に喜ばれていた。

【参照】山川三千子『女官 明治宮中出仕の記』、坊城俊良『宮中五十年』

青梅.井原市
岡山県井原市芳井町山村(国土地理院地図)

(11)明治(めいじ、岡山県井原市美星町)
明治天皇(睦仁)を表わす地文。星は皇子を表わす。美星町明治は明治天皇の本質は星(皇子)であることを表わす。

美星町明治
岡山県井原市美星町 明治(地図マピオン)

美星とは、大日(天皇)にあらず、星(皇子)であるという意味であり、神皇正統の天皇(大日=太陽)を世に出す使命を持った「明けの明星」としてこの世に出現したことを表わします。

美星町明治は、夜明けを告げる美しい明けの明星という意味です。

このことを表わす地文として、大分市猪野新明治の西側に隣接して「明野」という地名があり、また新明治に「明睦公園」「明治の森公園」があります。明睦は、治天皇仁の符号。

大分市新明治
大分市猪野新明治(地図マピオン)

明治維新の天命とは、維新が南朝革命である事を天下に宣明して、南北朝時代に三種の神器と共に天の岩戸籠りをした「南朝正統の天皇家」を探し出して世に出すことだったのではないでしょうか。

中国史には二十四史(または二十五史)ある。つまり、二十四ないし二十五の王朝が継起した。王朝の交代は「革命」と言う。その意味は、天の命が革まることだと言う。天命を受けずして新しい王朝を立てる者は、「偽命天子」であり、その王朝は「偽朝」である。偽朝はすみやかに滅びる。
 (太田竜著『長州の天皇征伐』76頁/成甲書房/2008年)

(12)(かげ、岡山県総社市)
影は影武者(替え玉)を表わす。(2)青景(あおかげ・美祢市)とで影(景)二串の確定立証の串呂を構成しています。

詳細は(2)青景をご覧下さい。明治天皇は南朝正統家の影武者という意味。

隣接して東北方面に「維新小学校(岡山県総社市原)」がある。維新という校名の学校は全国で此処だけだと思う。

影.総社市

(13)鯰尾(ねんび・なまずお、姫路市夢前町寺)解釈不明。

(14)(えのき、京都府南丹市園部町大河内)
榎は木+夏で、夏は南を表わす。ここでは明治天皇が南朝王孫である事を昭示する。「八王子市みなみ野」とで、南二串。

榎.南丹市
京都府南丹市園部町大河内 榎(地図マピオン)

(15)鹿島(かしま、山梨県南巨摩郡富士川町)
鹿島は鹿島大明神で軍神を表わす。(9)清武と共に、日清日露の戦役で勝利した明治天皇の天与の徳を表わす。

(16)大船町(おおふね町、東京都八王子市)
三浦芳聖は同上著8頁で「四緑木星の大物」と解釈している。明治時代後半の治世が安定していた事を表わすか。

【参照】大船に乗る (おおぶねにのる)「信頼できる基盤を得て、何の心配もいらない状態であること。」

東北に隣接して八王子市「みなみ野」を発見。(14)榎とで南二串。

大船.八王子市
東京都八王子市大船町(地図マピオン)

(17)明治神宮(めいじじんぐう、東京都渋谷区代々木神園町)

明治神宮
明治神宮

明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする神社。大正4年(1915)10月7日、地鎮祭。大正9年(1920)11月1日、鎮座祭。

明治神宮
東京都渋谷区代々木神園町(地図マピオン)

(18)皇居(こうきょ、東京都千代田区)
日本の天皇家の御所(住居)です。明治天皇は、明治元年10月13日~明治45年7月30日崩御まで、ここで生活した。

皇居
東京都千代田区 皇居

三浦芳聖は、「三宅島」(宮家)ー「皇居」ー「大戦防」ー「逆面町」の串呂を始め、神風串呂地文の上より見て、国の象徴たる天皇の皇居の位置が極めて不適格として、昭和31年1月より皇居遷都提唱運動を実施しました。

【参照】大戦防・逆面・皇居の神風串呂(№154)
【参照】三浦芳聖伝 54、皇居遷都提唱運動(№176)
【参照】皇居遷都提唱運動については、下記を参照ください。

(19)志高(しだか、千葉県香取市)
志が高い。「五か条の御誓文」など日本の近代化を推進した明治維新の気高い精神を表わす。

志高.香取市
千葉県香取市 志高

【参照】京都府舞鶴市志高、 千葉県香取市志高 、大分県別府市志高湖

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

竜宮島-青景小松ヶ谷-長者ヶ原-鈴の大谷山-宇佐-幸の神吉永-清武-青梅-明治-鯰尾-榎-鹿島-大船町-⛩明治神宮皇居-志高

千代田区の皇居で生死し明治神宮の祭神として祀られた明治天皇は南朝小松天皇の皇胤で吉永(南朝正統家)の影武者として幸運な生涯を送った。

明けの明星としてこの世に派遣された明治天皇は、明治維新が南朝王孫を擁立した南朝革命であった事を公表しなかった為、霊界で約束した南朝正統家を世に出す事は出来なかったが、吉永(南朝正統家)の影武者として幸運な人生を送った。


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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。


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🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。
ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

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神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(明治天皇の神風串呂5) 
🟢次号(明治天皇の神風串呂7)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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