見出し画像

私と生きるとは?のはなし

 昔から『死』とは、”付いてまわっているもの”という感覚はあった。
それこそ車にぶつかったりしたら危ないです。そういうぐらいのものと、記憶としてはあんまり覚えていないけれど父母どちらの祖父も私が生きている時に亡くなって母方の祖父が亡くなった頃かお盆の頃だったかと今調べてみたら盆提灯というものがこの世のものとは思えないくらい、天界って?天国って?というような美しいものだったのは覚えています。

そのくらい、死はいつ来てもおかしくないしついて回るし、それこそ年齢を重ねていくうちに順番のようなものはあるけれども、それとは関係なしにやって来るもの、という考えはあります。

 きちんと薬を飲む前、立体駐車場のある複合店の一角の書店に勤めていたのですが段々疲れてくるとゲーム脳のようなものが働いて、

「あ、あの立体駐車場から飛び降りても死んだり出来ないんだろうな」

と、
ゲーム脳なものなのである程度の高さでもジャンプしても飛び降りてもライフは削られる、ただ別に死んだりしないんだろうな。
などを考えていたりした。痛いから何にもしなかったけれども。そういう事を普通に、建物とかでもゲームでブーストかかって飛べたり、Bボタンでジャンプ、Aを押しながらダッシュで激突出来たりして壁を壊すことだって出来るだろう、と一時期考え過ぎていました。
まぁそれが酷くなったので自分を抑制出来ない、普通の人、と皆さんが呼ぶ者から外れたんですけれども。

 そして、私が育っていく中で『死』を一番感じたのは、フジファブリックの志村正彦さんが亡くなった時が「死」というものに直面したのはあります。

CDJ09/10
私が毎年CDJに行っている時期でこの年のタイムテーブルを見てこの年はフジファブリックを観に行けるな!
と思って自分の中で考えていてのクリスマスイブの突然の報告。
あまりにも突然の出来事だったし、ただ、なんとなく志村さんの感じ?雰囲気的に不安視する感覚もあったので「そうか」と受け入れられた自分と起きた出来事を対処出来ない自分と2つの感覚を持ちながらもそれでも、30日のCDJ9/10に他のメンバーも出演もなくただその日に演奏する予定だったセットリストで映像と曲を流す、ということは決まったので観に行きました。
初めてのフジファブリックさんで、最後の?今もあるけれども志村正彦さんが紡いでいた言葉を本人の言葉から聞くことが出来ないまま終わってしまって。
ステージによくTVで見ている機材とライティングで。
でも、本人達が居ない。そのようなステージで、だからそこで私の中では「あ、本当に居なくなったんだ」というのを気付かされた、「死」というものを証明されました。

その亡くなった志村正彦さんが亡くなった年齢も超えることになるなんて思ってなかったな。

そこから自分の死というよりかは身近にあるもの?『死』という感覚が微妙にズレを感じるようになって。
2017年に大好きだったバンド「つばき」のボーカル一色徳保さんが亡くなりました。

つばきは私の中で学生の頃からずっと大好きで、歌詞に共感する部分が多くて。
中々配信サービスに曲がないので(iTunesさんで少し曲がありますが)是非ベスト盤を買っていただきたいくらい、初期曲の歌詞が突き刺さっていて。
それも永遠に私をずっと支えてくれる存在、つばきって。
そう思っていたんですけれど、何回か闘病生活もあり、それでもお亡くなりになって。うん、私の生きている中での永遠にはならなかった。「死」を痛感しました。

今、
このミスiD2021さんを受けている間に頭の中で一番流れていたのがつばきの曲で。

「猫」だと

毎日同じ繰り返し 嫌になってしまう
そう塞ぎ込む気持ち 痛い程わかる
僕のことはいいから 忘れたっていいから
ごまかさないで自分に 嘘はつかないで

や、「来る朝 燃える未来」の

狂っているよ こんな世界はテレビを見て思った
誰かが晩く そんなこと分かり切っている事さ
言菓もまるで 無意味なんだよ壊れていく世界よ
ここにいるのも怖いしね奪うだけ奪うから

とか。
学生の頃に聞いていた私と今の私とでは歌詞の受け取り方が違う、ただ同じように世の中への不条理感、これが全てではないんだけれども私が『普通の人』でいられなくなったことで出来ること、というのが減ってしまって。しんどい、という言葉だけじゃ足りないのを補ってくれるというかこういう気持ちなのにな、というのをより今だと思って。

生前のインタビュー「ロッキングオンジャパン」 2003年5月号 No.274の記事からだと、

「向き合える気もしない音楽もいっぱいあって。そういう音楽を好きな人もいっぱいいいて、それはそれでいいと思うの、楽だし。でも、俺は音楽に向き合って欲しいから。そういうふうに音楽聴いていたからさ、俺とか」

というのとか、この2003年のこの号たまに見返してしまうくらい、何となく私の叶わなかった?なりたかった、希望じゃないけれども現実と向き合いながらも音楽を続けている、いた人たちの対談形式だけれども大切な1冊だからこそ、たまに読み返してしまう。
それくらい音楽からの「死」って言えば良いのかな?
超えることがないと思っていた人たちを超してしまう現実が1つあって、2つ目も間もなく来る、まだまだだけれども。
年齢を超えるなんて昔の作家さんだけだと思っていたので、音楽だと偉大なロックスターだけだと思っていたから変な感じなんですよね。死って。

なんとか生きているけれども、今はきちんと自分を確立している?
なりたいもの、チャレンジしているものがあるから、伝えるべきことがあるから大きな声で伝わる人にはなれていないけれどもなろうと思っているから。

だからやっぱりもう少し生き永らえたい。

【本日の読書】
「小箱」 小川洋子(朝日新聞出版)大体半分くらい

 主人公が生きている場所、人たち、小箱が意味するものは昨日で分かって、それから産院を壊す時の

『すべて承知した思慮深い巨人が、絶望するでもなく、屈服するまでもなく、ただありのままに倒れてゆく、そういう倒壊だった。』

というダイナマイトで倒壊させる様をこんなにも美しく喩えているのが凄く好きで、惚れました。
 そして、小箱へ入れるものへの秘密の一つも知り、さぁどうなる?これから、ここは。あとは弟どうしている?
など気になる点もあります!!段々分かっていくと楽しいです!!!

本日はこの辺で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?