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スペシャルな人間である苦しみについての独白


あえて最初に断っておかないと面倒臭い人がいるかも知れないから。

僕は障害者手帳があります。そして多分ある種のギフテッド系の才能を持っています。多分前のエントリとか読むと普通じゃないと理解するかも知れません。なんつーか、このレベルの思考を常時まわしてます。
だから正直な話、仕事をしても半日しか持たないんです。リリーフ投手みたいに1回ならぴっちり抑えますが、絶対に先発完投はできない。
昔の彼女にはよく寝てる…って笑われてましたし、仕事は午前中しか集中力が持ちません。
どんなにやっても思考する体力が一日分ないんです。

ですがその半日で他人の3倍仕事回せちゃったりするんで学生時代はあんまり問題になりませんでした。社会人になってギャップで会社員やめました。
それとか極度に運動ができないとかの面はあります。多分、想像以上の運動ができないレベル。100メートルの陸上選手が100メートル走り終わっても50メートル終わらないレベルで。その他の種目も同様。大人になってから筋トレはしますがでもそれでも運動神経は致命的な感じです。

例外は読書なんですが、まぁでも空海とか難しめの本を読むときはノイズキャンセリングヘッドホンで外音消してノイズ消した上で読みます。今これ書きながらも似たような感じ。
ノイズが一ミリでも入ると思考が濁るから。だからBOSEの生み出したノイズキャンセリングは神様のような存在です。

共感覚もありました。今はめちゃくちゃは感じないけどやっぱり感じ続けてる。文字に物理的な色と重さを感じているのです。
この感覚説明しても、誰も理解できないし想像してるだけって思われてましたが、本当に文字が目の中で重いし、カラフルなんです。
わかるひとっているのかなぁ…
江國香織と辻仁成の「冷静と情熱のあいだ」は僕にとってはその色の違いを楽しむ最高の素材でした。僕としては辻版が好きです。ちゃんと書評したいなぁ。あんな素敵な人の話ないよ。

この時は僕は僕をゼネラリストと定義しましたがまぁぶっちゃけある種の文字や情報の神様に愛された人間だと思います。で、ちゃんとその呪いも身にうけていますというお話。

で、女児の障害者をスペシャルとして扱うことに対しての疑問

CS TBS NEWSの本日の午前中のテーマのえげつなさ

いや、24時間テレビとかも嫌いなんですよ。キラキラ頑張ってる障害者だけをサポートして僕たち偉いでしょ…って感じ。一障害者として偽善の押し売りだと思っています。何様だよって…

今日のCS TBS NEWSの朝のテーマは産まれた時から片手のない3、4歳ぐらいの子が女の子がテコンドーを頑張る姿に密着するものでした。
全く悪意がなく放映しているのもわかるし、多分全く受け手としても悪意がないのも理解しています。
それに彼女が頑張って、それに対して僕はすごく共感を持つのです。なんつーかそうそう、打ちこむってそんなもんだよねって。
頭なでていーこいーこしたいぐらいですよ。
でも、僕もある種のスペシャルな人間の立場なのでわかるのですが、この扱いされると多分あの子将来苦しむ日がくるんじゃと恐れてます。
むしろあのぐらいの年齢の子を迂闊に扱ってほしくないというのが本音です。
なんでかっていうと、自己認識が固まってるのか?という疑問があったんです。

障害ってね。もちろん嫌なものです。多分ギフテッド系の能力を持つ人間でも同じ認識のはず。
障害には二つの側面があります。

・一つは文字通り機能の制限に関するもの。

まぁこれは多分みんな想像つくと思います。まぁ、歩けないとか、鬱で働けないとかそんなの。
で、えげつないことに社会に生きている以上もう一個えげつない側面と戦わないといけないです。
それってなんだと思います?障害がないとわからないし、多分ギフテッド与えられてハッピーじゃんって思うでしょ。意外とそうじゃないんですよ。

・好奇の目です。

これ結構エグいんです。社会で生きると人は人と違うことに対してみんな好奇の目で見てきます。それは差別であらわれたり、妙な優しさで現れたりします。みんなとおんなじことやってるはずなのにできないとか、逆にみんなと同じはずなのにみんなは全くできないなんてことはよくある。え?なんで?そんなこともわかんないん?って。差別意識じゃないです。全く理解できないんです。
基本は子供の時の僕たちは友達はおんなじだと思っていますよね。
でもなんだか違う。結構混乱するんですよ。
で、変な目で見る友達や、大人が出てきます。で、何度も何度も利用されたり、差別しされたり、他人との違いを認識して経験的に学習して確信するのです。「自分は普通じゃない」って。エグい話ですよ。向こう側にある「普通」の世界とさよならして「普通じゃない」世界で生きていく覚悟が必要になるタイミングが来るんです。
誰もがレインマンのダスティンホフマンやフォレスト・ガンプのトムハンクスみたいに理解者がいるわけじゃないんです。
前にチラッと書きましたが、唯一一人だけ電話帳とラインに登録してある友人がいますが、彼は基本的に他者に興味がない。だから僕がどんな存在であろうと「どうでもいいんです」だから唯一信頼できる。

あの女の子はまだ多分「自分が普通じゃない」って理解しきれてないはず。

2歳ぐらいで「自分」というものが育成過程でなんとなくわかってきて、これから何度も何度も何度も、自分が「自分が普通じゃない」って思い知らされるわけです。
それを年頃の若い子が経験していくヤバさををちょっと忖度してあげてもいいんじゃないかなと、同じ立場の先輩の立場からは思うわけですよ。
この孤独感は正直普通の人には1ミリも想像できないと思います。

漫画とかドラマとか小説にもそんな感じのキャラも出てきますよね。


クリミナルマインドのDr スペンサーリードとかエレメンタリーのホームズとか、Dr House のハウス医師とか。
漫画だと3月のライオンの桐山零とか4月は君の嘘の有馬公正とか。
小説いちご同盟なんて好きすぎて、三田先生見たくて早稲田の文学部入りましたw
僕は彼らの気持ちが死ぬほどわかります。
他者は自分とは違う世界にいるのを認識する物語たちだからです。

一度だけ言います。
普通じゃないって、かなりときついんです、これから本当に人生の一番の大切な時期にメディアに出してどうするんですか?
責任取れるんですか?
彼女の今後の人生想像したことあるんですか?

などと思ってもやもやした朝でした。で、特番見切れずスタバに逃げる朝です。

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