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【母の変化と親離れ】2023/02/19#006

母の老人施設入居が決まった。
ありがたいことです。
今日は、施設に入居のため、妹と母の持ち物全てに名前をつけました。
こどもの保育園入園準備みたいです。
母の施設入居が決まってからなぜか泣いてばかり、、、
実は私が親離れできてないんだって気づきました。

去年夏頃から、母のあれ?っていうことが多くなってきました。
それまで出かける時は、電話してから迎えに行っていましたが、
電話をすれば準備して外で待ってくれている。
だから母の家に上がることはありませんでしたし、
会話が噛み合わないのは、耳が悪いからいつものことと思っていました。
だけど少しずつ認知が進んでいたんです。
気づかなかっただけで、、、
まだまだひとり暮らし大丈夫と思っていたからショックでした。

昨年7月、母と旅行に行くのに、今回は3泊だし荷物も多いだろうからと、家まで迎えに行くと荷造りができていませんでした、、、
なぜか荷物が少なく、なんで?って、確認すると1泊分の着替えしかなく、糖尿病があるからインスリン注射が必要なのにインスリンの準備もできていませんでした、、、
それでも、前月6月の旅行の時は、自分で準備できていたから、あまり気にしていませんでしたが、
旅行の後、私が思っている以上に母の認知が進んでいることに気づきました。


旅行では、トイレで流すボタンと間違えて非常ボタン押してしまい、(母は間違いに気づいていない)
大音量でブザーが鳴って外でみんなが大騒ぎしてるのに、
母は耳が悪いから聞こえてないのか?
何食わぬ顔で出てきて、こちらの心配も全然わかってない感じでした、、、

また駅ビルで食事中トイレに行って戻ってこれなかった、、、
この時まだ、母の認知がここまで進んでいると思ってなかったから母1人でトイレに行かせてしまいました。
飲食店の人にトイレの場所を聞いてトイレに行ったはずなのに、、、
食事していた店に戻ってこれなかった、、、
トイレに行くだけと思ってたから、カバンやスマホは置いたまま、杖とハンカチだけで行かせてしまっていました。
連絡のとりようがない、、、
初めはトイレが間に合わなくて漏らしてしまいトイレから出れないのかと思い、全部の個室から人が出てくるのを待ちましたが行ったはずのトイレにはいませんでした。
母にトイレの場所を教えた飲食店の方も、心配してあちこち電話して対応を考えてくださいました。
そして、ビルの警備会社の方に母の特徴を伝えてビルの防犯カメラで母の行方を追いかけました。
何台ものカメラを繋げて母を追いかけ、11階の食事してた店を出たあと母はトイレには行かず(トイレの入り口がわからなかったと思う、、、)歩き回り
エレベーターで降りてはグルグル歩き回り、6階でやっとトイレに行っていました。
ホッとしました!
トイレが間に合わず漏らしてトイレから出れないんじゃなくて良かった。
でも、まだそこから先が行方知れず!
最後は警備員さんが3人がかりで他の通路で母と入れ違いにならないように探してくださいました。
もう本当に感謝しかありません。
結局母が見つかったのは1階でした。
11階から1階。
ビルの外に出てなくて良かった!
外に出てたらもうカメラでは追いかけられなかった、、、
母は2時間歩き回り、杖で歩く足取りは疲れ果ててガクガク、、、
ただ、私のところに戻ろうとひたすら歩き続けていたようです。
私にとって、この出来事は本当にショックでした。

旅行から帰って母を送り、今回のことを考えながら改めてゆっくり母の部屋を見回してみると、、、
トイレのパイプから水漏れしてるのに、タオルを敷いてほっからかし
聞けばタオルがべちゃべちゃになったら絞ってると、、、
トイレ掃除は何ヶ月もしてないようで便器が汚れ、手拭きタオルは捨てなきゃいけないくらい汚れていました。
台所の流しや部屋も汚れていて、掃除機なんてかけてないようで掃除機の上に埃が溜まっていました。
そして冷蔵庫開けると異臭が漂ってきて、、、ししゃもが腐っていました、、、
出かけるよって電話したらちゃんと着替えて表まで出てきてたから、まさか家の中がこんな状態だったなんて気づきませんでした。

それから半年、認知症をなんとかしようと
毎朝電話して母にあれやこれや、
塗り絵を買っていったり、
カレンダーや手帳に予定を書いたり、
冷蔵庫や玄関扉に注意書きをしたり、
買い物したものを記録してもらおうとしたり、
音読をすすめたり、
部屋の電気をつけるよう言ったり、
今日は掃除をしようとか、
夕方電話してくれとか、、、
でも、どれも中途半端でちゃんとできることありませんでした、、、
もう母は、日付や時間が混在してしまっているようでした。
母を心配すればするほど、
私の口調は厳しくなり母を追い詰めてばかりいた。
母のできないことが増えていることを受け入れないといけないのに、
受け入れられず母をなんとかしようとしていました。
私がするべきことは、母ができないことを受け入れて
どうすれば母がひとりで安心して生活していけるか考えてあげることだったのに、、、
私ときたら怒ってばかりでした。

話は変わりますが、私は同居の義母の介護をしました。
自宅で介護するっていうのは夫の考えでした。
それはもう大変なことでした。
介護するなかで夫は義母の認知を受け入れることができず、
何度やめてと言っても、手をあげたり怒鳴ったりしていました。
そんな義母がかわいそうでなりませんでした。
介護中ずっと私は、義母にとっての本当の幸せはなんだろう?って考えていました。
夫は最後まで自宅で過ごすことが幸せと思い自宅介護にこだわっていましたが、
私は、ここに義母の幸せはないって思っていたから
だから、私は自分の母の認知とは、ちゃんと向き合えると思っていたのに、、、
結局、私も口うるさく怒って夫と同じことをしていることに動揺しました、、、

今年に入り、近い記憶が全然ないような行動が多くなる母に、もうひとり人暮らしは無理そうかなって妹と施設を探し始めました。
それでも2件目で施設が決まったのは本当にありがたいことです。
血糖値の検査や、インスリン注射、食事の心配をしないですむことが、母の不安をなくし幸せに暮らしていくことになってほしいし、
これで私は、安心できるし母に怒った怖い顔を見せないでいられる。

今日、お雛様を飾りました。
25年前、母が私の娘の初節句に贈ってくれたお雛様。
母の生活も余裕ないのに工面して、私や娘に肩身の狭い思いをさせたくないと贈ってくれたお雛様。(初節句にお雛様は嫁方の両親が贈るってなっていた、、)
何度も人形屋さんを訪れて、「この品のいいキレイなお顔が気に入った!」って決めたお雛様。
だから、飾った写真を母に送ったら、娘にも写真を送ってあげてって母から電話がかかってきました。
あの時の嬉しい気持ち、母の記憶に残っているみたい。
お願い!
寂しくなるから忘れてしまわないでね。



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