見出し画像

雨降る灰色の街に佇み救われる日

センチメンタルな雨模様。
霧のような雨が風に舞って傘をさす私にフィットする。
今日のおしごとはお昼から。ゆっくりとした朝を迎えてラジオを流す。部屋じゅう珈琲の香りにつつまれて、忘れかけていたぬるめの珈琲を飲む。

暗い部屋のなかで仕事までの時間ゆったりとしていると、数年前の自分と部屋にふたりでいる感覚に陥った。

5年前、当時大学生だった世間知らずの私はなにひとつ思い通りにならず理想の生活もできない地元で実家暮らしの生活に鬱々とし、気づけば大学にいくまでの電車を見るだけで吐き気を催すようになっていた。4年間の間で通った時間はおよそ2年ほどだとおもう。親への罪悪感から駅まで車でいくと偽って車で家を出て、どこかの公園の駐車場でひたすら時間が経つのをまったりもした。当時は時間の潰しかたさえ分からず、というよりひたすらに鬱だったのでそんな考えに至らなかった。罪悪感で自分がつぶれそうになりさらに鬱に。

適応障害と鬱を繰り返した大学時代だった。

結果大学4年生にあがる春に退学することになるのだけれど、それからも職を転々としさまざまな経験をした。

百貨店の子ども服店、学童保育の先生、写真館、カレー屋さん、花屋さん、スポーツジムのインストラクター、データ入力、、
どれも長くは続かなかった。どこにいても自分が浮いているように思えた。なんでみんなこんなにふつうに生きているのだろう。と羨ましくて仕方がなかった。

なかでも気になったのが人とのコミュニケーションだった。

4年間で培いおとなになるはずだったコミュニケーション能力。
これが同世代のひとと比べると私には欠如しているのではないかと思い、すぐにコミュニケーションから逃れられない仕事を探した。
絶対に逃れられなくてたくさんのひとと会話できる場所・・飲みの場だ!と思い求人を探す。運良く立ち飲みの新店舗オープニングスタッフという今の自分にぴったりの条件を見つけ即応募。通勤時間は結構かかってしまうけれどそこは仕方ないと目を瞑る。

すぐに面接に行き思いのほかオーナー夫婦との会話が弾みその場で採用してもらえることに。新しいことをはじめるときは不安も大きいけれど同時にワクワクもあったりする。

立ち飲みというのはすこし特殊でお客さんとの距離も近く年齢層、性別も幅広く、たくさんのひととコミュニケーションをとることができたおかげで、人と会話することの恐怖はいつの間にか薄れていった。むしろ人と会話することがだいすきになった。

会話をすることは大好きでいまだに怖いとも思う。

鬱で人間活動を休止していたときのことを思い出すとすこしコンプレックスに思う時期もあったけれど、私の人生には必要な時間だったのだと、今では誇らしい気持ちさえある。
今が一番楽しいを更新し続けている。自分が大好きだと思えるようになった。今の職場も人もだいすき。歳を重ねるごとに楽しいを更新していきたい。

- - 

数年前のわたしへ

先ほど茨城のり子さんの詩集を読んでいて思い出した数年前の私のこと。茨城さんの言葉が当時の私を包んでくれたので言葉にして残そうと思った。

- - 

汲む ─Y・Yに─

大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇は 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・
わたくしもかつてのあのひとと同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです

『鎮魂歌』1965年

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?