【日記】ジョン・ケージの音

 もしかしたら、前にも書いたことかもしれない。そしたら申し訳ないけれども、昨日何も書いていないし、とりあえず思いついたことなので書きつけておく。

 ジョン・ケージの、没後十年の特集をNHKFMでやったことがあったらしい、今から十何年前のこと、その同録がユーチューブに上がっていたので、聞いていた。
 最初、静かに、クレッシェンドとデクレッシェンドを繰り返す足踏みオルガン、のように聞こえた楽器で、その音は普通の使われ方をしているオルガンの音というより、笙の音にだいぶ近づいていた。そして、そのオルガンと、法螺貝という組み合わせの曲である。しかも、法螺貝を吹くわけではない。中に水を入れて、左右に揺らすことによって、かすかに水の音が立つので、それを聞くという曲なのだ。

 ジョン・ケージの巧妙な所、そして聞き所になる要素の一つは、この、音の次元の違いであると思う。オーケストラって、オーケストラヒットの音に代表されるように、けっこうな量の楽器で構成されていてもまるですべて同一平面上にあり、全てひっくるめて一つの音として扱っても違和感を覚えないレベルで、統一されている。
 それがつまらないのだろう。ジョン・ケージは、そこに別の軸を持ってくることによって、音をさらに際立たせる。異次元のものが急にやって来たような感覚に陥る。

 最初にその曲があり、続いて二曲、ジョン・ケージにささげられた曲が流れた。

 最後に、ジョン・ケージの一番代表的な音といってもいいと思うが、プリペアド・ピアノを用いた、ピアノ協奏曲が流れる。この曲というか、音の塊を、ピアノ協奏曲と呼ぶのは、諧謔的に過ぎる。おそらく、何人もの西洋音楽ファンが憤死したことだろう。
 僕はジョン・ケージ主義であると言っていいくらいハマっている。前にも別の曲で思ったことだが、プリペアド・ピアノによる曲は、音楽の美を捨てて、奇を衒った、形而上的な意味合いしかないものという認識を、多くの人が持っているのではないかと思う。それは、前情報から入った人もそうだし、実際に聞いてみて、その違和感を自分の中で解消しきれない人も、そのような解法に向かうのではないかと思う。僕の考えは違い、もう純粋に良い音を生み出すために、ピアノに消しゴムを入れているのだ。音が良い。ジョン・ケージは耳が良い。ハーモニーやら理論やらなくたって、良い音は生み出せる。いや、この中にはわれわれには聞きなじみはないが、ちゃんとハーモニー(音の倫理)があり、理論がある。
 新しい音に耳を馴染ませ、我々の身の回りで鳴っている音に対して、耳を開くためにジョン・ケージの音楽はあるし、それがある程度理解を拒むまさにそのことによって、その役割をもって有り続けるのである。

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