見出し画像

神経と電気信号:デジタルなる生態系とのつながり、感覚器官としての「地球」


近年、生物学や神経科学の進展により、私たちの脳は電気信号によって情報を処理していることが明らかになってきたのは、すでに知られているところになってきています。この事実から生じる新たな興味深い視点や科学的なトレンドとして、生物とデジタルなるものが直接的に交信する未来が考えられます。目や耳など生物的インターフェースを介さず、神経が電気信号で生態系やデジタルな存在やネットワークと繋がれば、どのような世界が広がるのでしょうか?

まず、我々が感じる視覚や聴覚などの受け口としての感覚器官は、生物が外部から情報を取り込むためのインターフェースです。しかし、もし直接的に神経が電気信号でデジタルな存在や生態系と交信できるようになれば、新しい形態の知覚が生まれるかもしれません。例えば、人間が直接デジタルな情報を感じることができるようになれば、新たな次元の情報体験が拡がるようになるのは間違いないと思います。

このアイディアを哲学的(かもしれない)視点から見ると、生態系の先の、地球自体が感覚器官としての役割を果たす可能性が浮かび上がります。生物の神経が生態系を通して直接電気信号で地球と繋がることで、地球が生物と共に情報を共有し、相互に連携して生態系を維持するという新しい形態の共生が生まれるのではないか、そんな発想もあり得ます。これにより、地球そのものが「感覚器官」として機能し、生態系全体が一つの巨大な神経系のようになる可能性があります。

また、デジタルなものという観点では、インターネットに直接つながる脳というものはアイデアとしてはSFの中などに昔からありました。最近ではイーロンマスクが立ち上げたBMIを開発するNeuralink社のような企業も注目されています。

もしそのような技術が一般化すると、感覚器官としての「地球」と、インターネットを「ブラウズする」ような情報処理が同一のものとして私たちの中に存在する可能性が高まります。いまでこそ、地球的なものとしてのフィジカル空間と、インターネットなどのデジタル空間を並列的に共存させて「デジタルツイン」などと呼んだりしますが、将来的な可能性として私たちの感覚や情報処理は、「ツイン」の境がなくなり、新たな感覚としての「フィジタル・ワン」を獲得するかもしれません。(フィジタル・ワンはこの文章内でつくった勝手な造語です)フィジタル・ワンではデジタルや地球的感覚と、生活的な実体験の区別が私たち自身の中でもつかなくなると想像できます。

こうした未来の展望には多くの課題と問いがつきものです。倫理的な側面や技術的な制約、文化的な違いなどを考慮しながら、私たちはどのようにして生物とデジタルなるものとの融合を進めていくべきなのか、といった問いに対する考察も不可欠です。

この未知の領域に踏み込む前に、私たちは神経科学と哲学を融合させ、進化する技術と共に新たな生態系の可能性を模索していくべきでしょう。感覚器官としての地球が実現する未来は、私たちが新しい知識と洞察を得るきっかけとなり、持続可能で共生可能な未来への一歩となりえるということです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?