見出し画像

釣った魚を食べるということ

子供と魚釣りをしました。

子供にとっては生まれて初めての魚釣り。

ニジマスの沢山いる釣り堀での体験でした。

練り餌を針先につけて糸を垂らすとあっという間にニジマスが集まって来ては、餌だけを取られて逃げられました。

何度か餌をつけては糸を垂らす行為を繰り返すと1匹を釣り上げることが出来ました。

釣り上げられてバタバタと暴れる魚に、そしてバケツに入れて飛び出すくらいに跳ねる魚に、生の躍動を感じたと思います。

予め釣ったニジマスは塩焼きにして食べることになっていました。

受付へと魚の入ったバケツを差し出すと、若い女性の方が手際良く魚から腸を出し、竹串に波状になるよう刺して返してくれました。

我々は誂えてあった炭火の脇に竹串を挿して、数十分焼けるのを待ちました。

その間、子供は退屈して周りで遊んだり散歩したり。

うまく焼き上がったようなので食べようとテーブルに座りました。

そこで子供に「さっきまで泳いでいた魚だよ、魚の命を頂いて食べるんだよ」という話をすると大粒の涙を流しました。

これまでも魚は好きで姿焼きも食べていたのですが、釣る前の光景と今がリンクしたらしく悲しくなったようです。

「だから大切に食べようね」

というと、頷いて口にしました。

切り身が海を泳いでいると疑いもなく思っている子供がいると耳にしたことがあります。

以前似たような趣旨の記事を書いたこともありました。


さもありなんです。

パックのお肉がその姿で野を駆けているとはさすがに思わないまでも、お肉が好きで食べる子もそれが牛や豚・鶏とわかっていてもなかなか生体とはリンクしないのかもしれません。

そう考えると、今日の涙はとても良い経験になったことだと思います。


おしまい

最後までお読みいただきありがとうございます。 いただいたサポートは麦チョコ研究助成金として大切に使用させて戴きたいと思います。