見出し画像

北朝鮮の統一教会(2)パノプティコン

 

 フーコーが紹介した「パノプティコン」。仕切られた独房にいる罪人。全ての独房を見ることのできる監視塔。看守の姿を見ずとも監視されていることを罪人は常に意識せざるを得ない。

 罪人と看守に例えるのはよくないかもしれないが、信仰も「パノプティコン」のようなではないかと思う。特に異国において。北朝鮮ならなおさら。

 平壌の普通江ホテルのバー「銀河水」に行くとエジプト人がいる。オラスコムテレコムの技術者たちだ。彼らは実にフリーダムだ。学生のころマレーシア人の友人がいた。彼と談笑しているとやにわに時計を見て険しい顔になった。「どうしたの?」と聞くと「申し訳ないお祈りの時間だ」といい、しばしぼくはひとり置いてきぼりを食った。

 マレーシア人の友人のように平壌のエジプト人たちも厳格と思っていたのだが、彼らは実にフリーダムでビールなど飲んでいる。それを追求すると「いやいや、これはアルコールではない」と弁明する。とんだ詭弁に「誰だよそんなこと言ってるのは?」というと「朝鮮人が言っていた」というのだ。

 ひどい責任転嫁だなと思っていたのだが、実は本当だったらしい。複数の在日朝鮮人の友人から「北朝鮮の運転手はビールを酒と思っていない。清涼飲料水と思っているようだ。ビールを飲んで平気で運転する」と聞いた。この詭弁がエジプト人に信じられているとしたら罪なこと。あるいはそれを知りつつも、厳しい信仰、パノプティコンの縛りから放たれ、異国で自由に過ごしているのかも知れない。

 韓国とは違い北朝鮮では宗教の話はしないに限る。寺や教会もあるというのだが果たして人民が信仰しているのか。信仰は奨励されるのかというと大きな疑問符がつく。少なくとも北朝鮮の人にぼくは韓国にいた時のように信仰を問われ、また教会に行きましょうと誘われたことはない。

 街を車で行ってもあれだけソウルの街に溢れていた赤い十字架はなく卍のもない。かわりにスローガンが街を覆う。商業看板はない。厳密には少しあるが目立たない。たった数百キロ北に行っただけで首都の風景は果たしてがらりと変わる。

 なるほど神がいない街の風景はかくもというのは早とちり。神とは違うパノプティコンのようなこの街を見渡す何者かの雰囲気は常に感じる。

 そして例外もある。平壌の南でロシア正教会の姿を見た。普通江ホテルのバーでビールを飲むエジプト人。アメリカ人の友人Bはキリスト教の慈善団体の一員として対結核のラボの建設に来ていた。日本でも仏教交流などという交流もある。池口恵観氏とぼくは2010年に平壌で会った。

 そして繰り返しになるが普通江ホテルも統一教会の経営。宗教は北朝鮮を解くひとつの鍵だと思うのだが、その姿ははっきり視認することが難しい。整然と歩く人民たちの心はわからず、どういった宗教がどういったかたちで食い込んでいるのかもわからない。そして北朝鮮に駐在する外国人たちの信仰の事情は。意外とパノプティコンのような厳格な信仰の日々を忘れ、日本から見るととても不自由な国と思われる北の国で実は、信仰から解き放たれた自由を案外彼らは感じているのかも知れない。

■ 北のHow to その147
 北朝鮮の人に信仰を問うことはしない方がよいかと。一方で平壌にいる外国人には信仰を聞いてみると面白い。どんな宗教が北朝鮮にどう食い込もうとしているのか。これは未だ全く全体像が掴めていないのです。

サポートいただけたら、また現地に行って面白い小ネタを拾ってこようと思います。よろしくお願いいたします。