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北朝鮮にはハゲが少ない?

 大海原を飛ぶ対潜ヘリがソナーを落としていく。落としたソナーから響く音から敵潜水艦の位置を探る。

 会話について考える時、そんなイメージが浮かぶ。そういえば、NGな話題のことを地雷とも言うか。実はことばを交わすことと、戦火を交わすことはかなり近いことなのかも知れない。甘いささやきから始まった関係でも、時間が経てば大砲を撃ち合っている。そんな夫婦はいくらでもいるじゃないか。

 在日コリアンの友人が面白いことを話していた。1年に数回、長くて数か月北朝鮮に滞在する友人は「北朝鮮って日本に比べてハゲが少ない気がする」というのだ。そうかぁ?とその時は首を傾げた。ぼくは男だからそもそもおっさんのことなんてあまり興味がないし。北朝鮮滞在中はおっさんについての関心の順序はかなり後ろの方。

 でもニュース映像に映る党幹部や軍人の姿を見てみると…、確かにハゲは少ない気がする。少なくとも韓国よりは。もしかすると髪にあまりよくないとされるカプサイシン(唐辛子の辛味の主成分。韓国に比べると北朝鮮のキムチは唐辛子が少なく辛くない)の摂取が少ないからかも知れない。

 あといわゆる菅総理スタイル、中曽根元総理スタイル。つまりバーコード型のハゲは確かに少ないかも。バーコード状に固める整髪料が足りないせいか。ハゲるに任せる潔さがあるのかも知れない。この辺りじっくり当事者に聞いてみたいが怒髪天(とはいえ、毛量が少ないのでそこまで天を衝かないか)されても困るな。

 髪の話は会話のソナーの中でも強力なものと感じる。共鳴が大きい、なかなか撃てないソナーといえよう。

 ぼくは一度だけ、平壌でこのソナーを撃ってみたことがある。平壌のホテルのバーで。くだらない冗談で店内の空気はそれなりに温まっていた。若い女性接待員はぼくが口を開けばころころと笑い、ママさんも「おかしな人ね、先生様は」と笑ってくれていた。エジプト人の友だちも「しかしおまえは面白いな。本当にJapaneseなのか?」と笑っていた。ぼくがそれまでに放ったソナーはしっかりとこの場の空気を把握してくれていた。

 今だ。

「ちょっと聞きたいことがあるのだけど」と話を切り出した。「なにかしら」。笑顔でママがいう。「あのさ、元帥様のあの髪型ってやっぱり人気なの」。

 金正恩委員長の髪型。覇気ヘアとも呼ばれていると聞いたことがある。人民が強制されているとも噂されたことがある。これは嘘だと現地を歩いて把握した。

 ソナーは失敗。一気に空気が凍った。ここまで滑ったのは人生で初めてかも知れない。

 女性接待員の表情は固まり、助けを乞うようにママの顔を見ている。ママの顔は一気に冷たく、また無表情になった。そして早口でこういった。

「若者らしくて、いいと思いますけど」

 外した。ぼくは動揺を悟られないように冷めたコーヒーを飲んだ。そこには愛想の欠片すらなかった。ぴしゃっと閉じられた襖のような会話。この冷たさがまた、独特なのだ。愛想笑いやひき笑いの成分は全くない。無慈悲なる拒絶。およそ客商売をする人間の態度ではない。

 だがそれは資本主義的な感覚でのこと。ここは平壌。革命の首都。これが社会主義的な拒絶なのだ。間違っていたのはぼくだった。武骨で丸みのない、機能だけを追求した、今日一日目にした道具や調度品の数々が頭に浮かんできた。

 まずは撤退。大きく機体を旋回させて、会話の立て直しを図らねばならない。接待員は目を合わさない。ママはカウンターの奥に消えた。エジプト人の友人たちは変わらず、ぼくの大きな声で、ぼくのわからないことばで何ごとか話し続けていた。

■ 北のHow to その100 
 この小ネタも100まで来ました。今にして思えば「そういや共和国ってハゲた人少ないね」という一般論から攻めれば会話は楽しく成立した気がします。
 ともかく金日成主席、金正日総書記、金正恩委員長の話題は細心の注意をもってすること。何度か書いてきましたが、この原則を守らないとこういうことになります。

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サポートいただけたら、また現地に行って面白い小ネタを拾ってこようと思います。よろしくお願いいたします。