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ソウルは舞台の街

「あんたは日本の戦争責任についてどう考えているんだ!」

 声は塩辛く濁っていたがそれは流ちょうな日本語だった。もう23年前の冬、ソウル中心部のタプコル公園(パコダ公園とも呼ぶ)での出来事だ。ぼくは唐突にそこにいた韓国人の老人に怒鳴られ面喰い、ハラホロヒレハレと決して大柄ではない恩師の背中に隠れたのだった。

 この公園が1919年の3.1独立運動の舞台となったことを知ったのはあとでのこと。小田実を気取ったわけではないが、無垢なる眼で韓国を見てやろうという19歳のぼくの鼻っ柱は見事に折られたわけだ。

 今は日本の統治下で教育を受けた老人は少なくなった。「今はあの時のような老人たちはもうほとんどいないよ」と恩師は言う。

 タプコル公園で怒鳴られた数年後。ソウルでタクシーに乗り込むと運転手に言われた。「最近の日本の歴史教育はなんだ!」と。ソウルではタクシーに乗る際まず助手席に乗るから、畢竟、運転手氏は横を向きぼくの顔に向かって怒鳴る。わき見運転のままソウルの大通り鍾路をタクシーは疾走する。上がる速度と運転手氏のテンション。車の列にタクシーは突っ込んでいく。あ、これは死亡フラグだと思った。脳は醒めていたが自然とことばが出た。
역사도 운전도 앞을 봐야하죠.(歴史も運転も前を見なきゃいけませんよね)
 運転手氏は虚を突かれた様子だった。慌てて前を見て急ブレーキを踏んだ。
하지만...(しかし)
 運転手氏はまだ何か言いたげにしていたが、機先を制した。
그만하죠.(これくらいにしましょう)

 とりあえず謝っておけばいい。争わない。大事にしない。というのが韓国と北朝鮮・朝鮮民主主主義人民共和国に関わり始めた時の印象だったが、最近は日本もかなり主張をするようになり(小林よしのり氏の『戦争論』あたりが契機だろうか)、両国の歴史問題のねじれは近年より増している感がある。

 もちろん韓国滞在中は歴史問題で怒鳴られてばかりの毎日ではなかった。むしろこれは希有な経験と言える。毎日はいい意味で平和で単調だったし、地下鉄で酔っぱらいの男性に、歴史問題でからまれたぼくを身を挺して守ってくれた若い女性もいた。今も変わらず友情を育む友人もいる。

 ソウルに大学路(대학로)という街がある。小劇場が数多くあり、ぼくはソウルに行くと必ず1日はそこで過ごす。アングラ劇からコメディに群像劇。見飽きることはない。

 時に前衛的な劇団では観客を舞台に引っ張り出すことが時々ある。戸惑いながらも舞台に上げられた観客は、必死に求められる何者かを演じようとする。

 関わりたくもないと思うこともあるが、約四半世紀、朝鮮半島の周囲から離れられないのは歴史のみずみずしさにある。歴史とはかび臭く、博物館に飾られている古文書のようなものと韓国と北朝鮮と関わるまでは思っていたが、ソウルでは(日本にとっては不本意なものではあるが)みずみずしいのだ。前衛劇団の舞台に突然引っ張り上げられたかのように、歴史についての見解を求められる。何か言う前に、速射砲のような韓国語であちらの主張を展開されることが常だが、ぼくはぼくなりにこの国と日本の間の歴史とは何か考え、拙いことばでなにかを語ろうとする。 

 ぼくにとってソウルという街は舞台そのものだ。大学路で舞台を見て、舞台に引っ張り上げられ、いくつか絞り出すようにセリフを呟き、衝突やすれ違い、時に笑顔ののち舞台は唐突に終わり、またぼくは歩き始め、次の舞台にぐいっと引っ張り上げられる。

 青春の一時期を過ごしたソウルをもう10年も訪れていない。何度も訪朝しているので国家保安法が怖いこともその理由だが、突然舞台に引っ張り上げられて、何か気の利いたセリフを言えるだけの活力のようなものをぼくは今も持っているのかという、自分の身体にまとわりついた錆のようなものを見る怖さがあるのだ。

■ 北のHow to その11
 北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国に行く前には一度、ソウルを訪れて欲しい。南と北の首都を比較するという意味でも。ことばの練習の成果を発揮する場所という意味でも。南の風景を見てから北の風景を見る。これだけでも立派な物差しをひとつ手に入れたことになるから。

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サポートいただけたら、また現地に行って面白い小ネタを拾ってこようと思います。よろしくお願いいたします。