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平壌で朝食を#1 切り札の補身湯

「今度どこか、美味しい店に連れて行ってくださいよ」

 そう問われていくつかお店の名前をそらんじることが出来るようになりたい。それが大人の嗜みのひとつとぼくは思っていた。

 40代になった今、幸いそこでそらんじることの出来る店はいくつかある。

 仕事がら韓国料理か朝鮮料理ということになる。手品師は、仕事がら人から即興で手品を頼まれることが多く、そのためいくつか常に、手品の種を持ち歩いていると聞く。

 ぼくにもいくつか、手品の種のような店がある。東の新大久保と西の上野日暮里。東京におけるコリアタウンは東西に別れるが、その趣きは全く違う。ニューカマーの韓国人が多い新大久保と、在日コリアンの多い上野日暮里。韓国に近い味を求めるなら新大久保。日本人に合う店なら上野日暮里の店を用意する。プラス、自分ひとりか妻とふらりと訪れるような店を用意している。

 コロナ以降、韓国料理を食べている。1カ月に1回のペースで。ニューカマーの店と、在日コリアンの店で。このペースなら大丈夫。毎週のように韓国料理を食べていたころは、おなかの調子が少し悪かった。

 最近親しくなった面白い在日コリアンの女性がいる。今年還暦を迎える彼女からぼくは生前贈与を受けている。おっと、税務署の諸君。君たちに出番はないよ。ぼくが相続しているのは食通の彼女の知っている美味しい店のリストだ。おかげで手品の種は最近質も量も豊富になった。例えば練馬のそば。水道橋のイタリアン。新宿三丁目の水炊き。 

 健全なるアンジャッシュの渡部みたいだろ?と話したら笑われたが、美味しい料理を食べて語らい、喜んでもらうことはぼくにとっても嬉しいこと。何だか大人の階段を3段くらいは上った気がする帰り道。

 20代のころはそうでもなかった。韓国から帰って来たばかりのころ、ぼくのカードの枚数は少なく、余裕はなかった。そしてお金も。時間もなかった。

「飲み会の幹事をやってよ」。

 ある日、同僚の女性からそう言われた。正確に言うと命じられた。関係に上下はない。フラットな立場。当時ぼくは公私ともに忙しく「ごめん。しばらく無理」と断ると彼女はいったのだ。「女子に幹事やらせるの?」。サイテー!とまではいわれなかったが、そう言いたげな顔をしていた。

 だからぼくはその時、サイテーになろうと決意したのだ。期待になんか絶対応えてやらないと。

 ぼくは店を一軒用意した。新大久保のGというお店。今もあるが、業態がすっかり変わってしまった。この店は珍しく補身湯を出す店だった。補身湯と書いて、ポシンタンと読む。つまり犬鍋のことである。

「じゃ、ここでよろしく。日程はおって調整する」。彼女の顔は歪んだ。「他に、ないの?」。ヨン様が大人気だったころだ。彼女はそこを期待したのだろうが「あいにく、ないね」と、ぼくはそっけなく言った。犬を食うか。そっちが幹事やるか。開催を諦めるか。選ばせてやる。

 パーシバル中将にイエスかノーか。無条件降伏を迫った山下奉文の気分だった。結局、飲み会は流れた。今、少しだけ反省している。あの時は大人げなかったな、と。

 新大久保。切り札の犬肉料理店。先に書いた通り、この店は業態が変わってしまいぼくの知る限り今、新大久保で犬肉を食べさせる店はない。ぼくは1枚切り札を失ってしまった。ケンカ覚悟で、人間関係を破たんさせることを承知で、男には、女にも飯を食う覚悟を決めねばならぬことがあるのだ。そのカードが1枚欲しい。

■ 北のHow to その60
 犬はこの時期旬。暑い夏をうなぎやすっぽんのように犬肉を食べ迎え撃つのです。韓国でも北朝鮮でも。肉は柔らかく、独特の臭みがあります。それをエゴマの葉などで消してスープにしたのが補身湯。スープを最後まで飲み干し、栄養を徹底的に吸収するのが補身湯の流儀。2年くらい食べていません。久しぶりに食べたいな。
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