自分の価値観に気づく
自分の価値観をきちんと把握しているだろうか。
どんな風にものを見ていて、何に価値を置いているのか、深く問う機会はあまりない。
一般的とは思っていないにしても、自分の思う「普通」「理想」というのはとても自然に身についているもので意識に上がることは少ない。
価値観の形成過程
価値観は成長過程で形作られる。
大人になってからも新しい価値観に触れて影響を受けることはあるが、やはり基盤となるのは幼少期からの経験だろう。
金銭感覚などは親からの影響が大きいし、夫婦観、男女観、家族観ももっとも身近な人間を見て形成されるものだ。
母と再確認した男性像
帰省して久しぶりに母と兄に会い、自分の男女観にあらためて気づく機会があった。
今回の帰省で車の運転は自然と兄がしていたし、焼肉をしても奉行してくれるのは兄。
昔の思い出を辿れば、家電の調子が悪いときに様子を見てくれるのは兄や父だったし、日曜大工のようなちょっとした力仕事も男性陣がしていた。
料理やちょっとした日常のことは女性陣がするけれど、力仕事だったり運転、機械系は男性陣がしてくれるものだと思っている。
私も母も同じ認識を持っていたし、兄自身もそれが当たり前と思っているようで、うちの家族はそのような価値観を持った家庭だったということだ。
価値観の違いはあって当たり前
もちろん、家族内でも点でバラバラの価値観だという人も多い。
そして赤の他人ならさらに価値観に違いがあって当たり前である。
「信じられない!」と思うような価値観の人に出会うこともあるが、だからといって否定していいということにはならない。
合わないと思うなら、離れればよいだけである。
似た価値観の人を見つけて、その人のそばにいればよい。
経験を経て気づく価値観
小中高、社会人と成長するにつれて、自然と自分と似たような人とばかり関係が作られていく。
そうした中では似たような経験しかできないので、自分の持っている価値観が普通のような感覚になっていく(少なくともその集団では普通であり一般常識であり共通認識だ)。
しかし、一歩ちがった集団をのぞいてみると、全然違ったことが当たり前のように行われていたりする。
もちろん、それを取り入れろとは言わない。取り入れる必要もない。
ただ、受け入れる必要はあって、「世界は広いのだなあ」くらいの寛大な心で違った価値観の存在を認識しておくべきだ。
違った価値観を認めることで、自分の価値観も認められうるものとなる。
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