自己紹介

ご覧頂きありがとうございます。

どういった経緯でここにたどり着いたのか大変興味深いですが、少なくとも、これを今読んでいる物好きな方には最低限の敬意を評したいと思います。



……などと偉そうな態度ですみません。
典型的な端書きで済ますのもつまらないと思って慣れない表現を使ってみましたが、とんでもなく生意気な感じになってしまいました。。
気に障る方は今すぐブラウザバックをお願いします。

……と、冗談はさておき、
ここまで茶番に付き合ってくださった方、
初めまして、「金星の大工」といいます。

何故金星?何故大工?と思う方がほとんどかと思いますが、これはまたの機会にお話するとして、自己紹介も兼ねて、私のざっくりとした経歴について触れようかなと思います。
※以下、箇条書きにて説明

・2000年11月19日、新潟県某所にて誕生。
(この時産んでくれた母親は、鼻が大きかったことからコアラを産んだと錯覚したようです)

・2000年~06年にかけて幼稚園から保育園へと転園。
(なんでも幼稚園の老朽化が進み、新しい保育園に移ることになったとか。この頃は自我が薄いのかあまり鮮明な記憶というのがありません。ですが、とても臆病で、高所やオカルトが苦手だったため、よく父の背中で泣いていたことは覚えています)

・2006年小学校入学。
(入学当初、人見知りだったせいか入学式からその日の終わりまで階段でずっと泣いていました。式が終わり、皆が教室に向かって行く中、階段で泣いている自分をあやす先生の姿は今でも鮮明に記憶しています)

・2013年、中学校入学。
(地元には小学校と中学校があったのでほとんど人間関係に変化はありませんでした。小学生の時の人見知りも完全に消え、今のまま地元という狭い世界で生きていていいのかどうか自問することになります。ちなみに、部活はソフトテニス部に入部し、三年間続けました。しかし、運動音痴も相まって球技は本当に苦手でした。アニメや漫画が好きだったこともあり、正直引きこもるために、少しでも体調に気を遣ってスポーツをしていたと言っても過言ではなかったぐらいです。にしても社体とか死ぬほどきつかったですね……)

・2016年、新潟市内の高校へ入学。
(先述した通り、地元の人間関係という狭い柵(しがらみ)に嫌気が差していたため、少しでも地元から離れた高校へと入学しました。たらればですが、もう少しちゃんと勉強をして偏差値の高い高校に行けばよかったなと思っています。偏差値が全てとは全く思わないんですが、やっぱり頭のいい学校ってそこそこ学習ができる環境が整ってると思うんですよね。自分の通っていた小学校中学校が田舎ってこともあり、「お里が知れる」って言葉がぴったりなくらい民度が最悪だったんですが、周囲に真面目に勉学を取り組んでる人間って本当に少数だったんです。自分は一応勉強はしていましたが、それでも都内とかと比べると雲泥の教育格差はあったんじゃないかなって思っています。それはまぁまた今度触れるとして、高校自体はもう少しちゃんと選べばよかったなって感じます。でも友人には恵まれたなとは感じてますよ)

・2019年、専門学校入学。
(結論から言うと大学受験に失敗しました。高望みしすぎた結果が招いた自業自得だと思っています。私はずっと県外(関東方面の公立)を志望していました。評定は人より高かったので、推薦という形で静岡の大学を受験したのですが、面接官に嫌われ落第となりました。次に京都の大学も推薦で受験しました。論文と筆記の試験でしたが、蓋を開けてみたらしっかり不合格となっていました。その時、自分は悔しいと感じたはずなのですが、周囲の家族や友人のリアクションが自分よりも過度なものだったこともあり、何故か冷静になってしまいました。恐らくこれが私の性分なのだと齢十八にてようやく気が付きました。結局紆余曲折ありましたが、資格で有名な某専門学校で二年間過ごすこととなります。この時もありがたいことに人間関係には不思議と困ることはありませんでした)

・2020年、IT企業へと就職。
(専門時代は基本情報技術者というエンジニアの登竜門といった国家資格を取得したため、足早に就職活動を終え、都内の上場企業に入社しました)

・現在、無職。
(本音を言うと情報関係って興味がなかったんです。真っ当に学校に通い、真剣に勉強をして手に入れた資格を基に入社しただけだったんです。それから先はただの虚無でした。何も目標も課題もありません。ただ生活していくだけのお金を稼ぐ毎日が続きます。仕事も面白くありません。当然やる気が出ないので、仕事はデータ入力やシステム管理といった誰でもできるようなことぐらいしかできません。勿論上司は指摘しました。「もう少し向上心を持って取り組め」と。とても恐縮ですが無理な話でした。取り組めば取り組むほど苦痛に感じてきます。もうお気づきでしょうが、悪循環です。私が諦めるか上司が妥協する以外、この負の連鎖は断ち切れなかったのです。この上司は頭の固い節がしばしばありました。最初から私と馬が合わなかったのでしょう。そしてしばらくしてすぐ私は心を病みました。貧弱もいいところでしょう。今頃上司は「あいつは軟弱者だ」と蔑んでいるに違いありません。ですが、もう既に休職を経て退職しています。清々しいほどの無職です。ここで誤解を生みたくないので言っておきますが、働きたくないとか甘えたことを言いたいわけではないです。休職で働いていない期間が長かったのでフリーターになってから自分のやりたいことを見つけていきたいと思っているのですが、現在会社から届く書類を首を長くして待っている状態なのです。畢竟暇なのです。そのためしばらくはこのnoteというフォームを使って暇でも潰していけたらなと感じています)

以上になります。
長々とご精読いただきありがとうございます。

とりあえず、思ったことや過去の深堀りを書いてみたり、基本妄想好きなので簡単な短編小説なんかをあげてみたいなって思っています。
まだまだ不慣れな事も有りますが、どうぞ、よろしくお願いします。

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