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じくせん〜時空探偵は今日も銭湯へ〜(β版)

こちらは、シギノ時空探偵事務所。

僕はその所長の、鴫野 巽しぎの たつみ。一見どこにでもいる、短髪の地味な20代のメガネ男だが、ひとつだけ特別なところがある。

他人の過去の出来事が、1時間前まで見えるのだ。たとえ全く面識のない人が相手であっても、その人が1時間前から今までどういう状況だったのかが、はっきりと脳裏に浮かぶ。

このシギノ時空探偵事務所は、そんな僕の特殊能力を活かして、過去を探りたい人からの依頼を受け付けている。

……のだが、たった1時間前のことなんて大抵の人は覚えているし、わざわざ他人に尋ねようとも思わない。

せめて1日前まで遡れるなら、探偵らしく浮気調査なんかにも役立つのかもしれない。1年前までなら、もっと探偵らしく迷宮入りした殺人事件の真相なんかも割り出せるのかもしれない。

せっかくの特殊能力も、1時間前までという制限つきだとあまりパッとしない。

とはいえ、全く需要がないというわけでもない。その需要とは、落とし物や忘れ物である。僕は人だけではなく、物の過去も見えるのだ。

つい1時間前まで確かにズボンのポケットに財布を入れていたのになくしてしまった。つい30分前にどこかに傘を忘れてきてしまった。

つい20分前まで乗っていた電車から慌てて下りたときに、文庫本を落としたかもしれない。つい5分前にコンビニで無料券つきのレシートが出たが、いつもの癖で捨ててしまった。などなど……。

今回の依頼人も、その手の案件でやってきた。

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「お水をどうぞ」  

黒いおかっぱ髪の若い女性が、2Lのペットボトルから紙コップに水を注いだ。この女性は何を隠そう、僕の二卵性双生児の妹、鴫野 南しぎの みなみ。シギノ時空探偵事務所の所員のひとりである。といっても、うちの事務所の所員は、このミナミと僕の2人しかいないのだけど。

ミナミがテーブルに紙コップを置くと、青い作業着に身を包んだ来客は、少し怪訝な顔をした。ミナミは慌てて早口でまくしたてる。

「わ、我が探偵事務所は、恥ずかしながら経営が苦しくてですね……、経費削減のために、お客様にはお茶ではなくお水を差し上げていまして……。しかも業務用スーパーでやたら安かった産地不明のゲロマズ……あんま美味しくなさそうなやつ……あ、ラベルに硬水って書いてる……飲みにくいやつ……、いえ、あの、大変申し訳……」 

「こらミナミ、余計なこと言わなくていいから」

ペコペコと頭を下げるミナミを僕は手で制した後、軽く咳払いをして、来客のほうを向いて話す。

「ネット予約された方ですね。今回の案件は、事前にメッセージで伺っています。今から1時間以内に車の鍵をなくされた、とのことで」
 
シギノ時空探偵事務所は、電話およびインターネットでの予約を受け付けている。というか、そうしないと誰からも依頼が来ない。

目立たない古いアパートの一室が探偵事務所だと気づく人はなかなかおらず、飛び込みで来る者はほとんどいないのだ。

来客は、こくこくと頷く。

「ええ、法人のお客様のところに、ウォーターサーバーを設置するために社用車で訪れたんですが、帰る頃になって、ポケットに入れたはずの鍵がなくなっていて……。慌ててお客様のもとに戻ったんですが、どこにも落ちてなかったそうで」
 
「ウォーター……さー……。あ、いえ、オホン。なるほど、じゃあさっそく、調べさせていただきますね」

よりにもよってウォーターサーバー業者かよ。水のプロにこんなものをお出ししてしまうとは、なんとも居心地が悪い。

やっぱりこんなところで経費をケチらずに、ふつうにティーパックを用意しておいたほうが良いのかな……などと片隅で考えつつ、汗をハンカチで拭う来客の目を見て、1時間前から今までの彼の行動を、頭の中で追った。

それから3分も経たないうちに、問題はすべて解決してしまった。

「お客さん。カバンの中のお財布を確認してみてください」

来客はいそいそとカバンから長財布を取り出し、そこで「あっ」という表情になった。

「そうだそうだ。車から出るとき、無意識に財布のなかに鍵を入れたんだった。普段、家の鍵やハンコなどの重要なものは、財布に入れる癖があるものだから……」

来客は、恥ずかしそうに頭を掻いた。

「いやいやこれはこれは、どうも……。灯台下暗しというやつですなあ。……えーと、お代はいくらになりますかな?」  

「いえ、お代は結構です。こちらはほとんど労力を使ってませんし……」

「いやしかし、さすがに何も差し上げないのは……。あ、そうだ。我が社の試供品のペットボトルを差し上げましょう」

そう言って来客は、いそいそと大きなカバンから500mlのペットボトル2本を取り出した。

「これが我が社で販売している、北アルプスが水源の美味しいお水です。ウォーターサーバーは今なら初期費用0円、レンタル料は期間限定ご奉仕の800円で……」 

「あ、はい、ありがとうございます。……検討させていただきます」

唐突に始まった営業トークを無難にかわして、僕はありがたくペットボトルを受け取った。

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「で、タツミ、契約するの?」

メッセージが誰からも来ないことをスマホで確認しながらミナミが僕に訊く。ミナミは妹だが、双子で同じ日に生まれているので、僕をお兄ちゃんとは呼ばず、名前で呼び捨てにする。

「しねえよ。……今月もろくな依頼がなくてカツカツだもん。ウォーターサーバーなんか入れてられるか」

溜め息をついて、僕は家計簿を床に投げ出した。両手を上げる僕の脇をつんつんと突いて、ミナミが耳元で囁く。

「ところで、もう営業終了時間だよ?」

「あ、そうか。もう6時か」

「仕事終わり。美味しそうな水がある。といえば……」

そう言いかけたミナミの手にはすでに、ボディソープとシャンプーが突っ込まれた黄色いケロリンの風呂桶が収まっている。さらに、肩にはタオルを掛けている。

「ああ、……時間だな」

僕は投げ捨てた家計簿を拾って机に仕舞い、別の引き出しから巾着袋を取り出した。100円ショップで買ったこの巾着袋には、ボディソープ、シャンプー、カミソリ、歯磨きセットがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。 

ミナミと同じようにタオルを肩に掛け、夕焼けの空が眩しい外の世界へと飛び出した。

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さんば湯は、シギノ時空探偵事務所から歩いて5分もかからない場所にある。

事務所が借りているアパートは家賃が月に5000円という破格だが、その代わりにトイレは共同で、風呂はない。そのため、至近距離にあるこの銭湯に通うようになった。

この地域での銭湯代は基本的に450円。それを毎日となるとかなりの金額になる。しかし、5000円などという驚異的な賃料の物件は他にどこにもなく、家賃を大幅に削っているぶん風呂に金をかけているような形になっている。

下足箱に靴を入れてミナミと別れ、男と書かれた札の掛かった扉を開ける。番台のおばさんに「こんばんは」と言って、100円玉4枚と50円玉1枚を置く。

ゆったりとした口調で「どうも」と答えるおばさんに背を向けて、新聞を読んだり天井近くに設置されたテレビを視たり体重計に乗ってお腹をさすったりと思い思いのことをしているおじさんたちの中に交じる。

脱衣場のロッカーはかなりの数があり、近所でランニングをしている人のためにハンガー付きのものもあり、壁にはランナー応援銭湯の貼り紙がある。

服を脱いで浴室の扉を開けると、モワモワとした銭湯特有の蒸気が立ち籠めてくる。

緑の腰掛けを拾い、空いているカランへと向かう。この腰掛けは永久腰掛けと呼ばれるもので、多くの銭湯でお馴染みのものだ。

300円ショップで買った白い洗面器を足元に置く。取り間違われないように、側面にマジックで「シギノ」と書いてある。

この洗面器に、赤いレバーの付いている蛇口から熱湯を注ぐ。手を突っ込んでみると、かなり熱い。このままだと熱すぎるので、横の青いレバーの蛇口から冷水を出して薄めて、自分の好みの温度に調整する。それを頭から被ったとき、ああ銭湯に来たなあ、という気分になる。

身体を洗った後は、まず浅風呂にゆっくりと入る。銭湯は浅い浴槽と深い浴槽が連なっていることが多く、浅いほうはぬるめ、深いほうは熱めの温度設定になっている。

寒い時期などは深風呂から入ることもあるが、今は暖かいので、ぬるめの風呂から入って徐々に身体を湯に慣らしていく。

頭に乗せたタオルを見上げながら、今日の依頼のことをそれぞれ思い出した。 

最初の依頼人がなくしたと思った財布は、拾った人が隣町の交番に届けたために違う管轄に送られただけだった。

2人目の依頼人の傘は、立ち寄ったコンビニのトイレに置き忘れていただけだった。

3人目の文庫本は鉄道会社の忘れ物センターに無事に届けられていたし、4人目の無料劵つきのレシートの件は5分で終わったし、最後の案件は2分で終わった。

明日も、誰かが何かをなくして、今日みたいにしょうもない感じで解決するのだろう。

はっきりいって、時空探偵業なんて儲からない。明日は木曜日。午前中は、週3で入れている地元の薬局チェーン店のバイトがある。

隣の深風呂へと移動して、火照りを確かに感じながら、だんだんすべてがどうでも良くなってきた。

夜は長い。せめて今を楽しもう。

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「おいしーっ」

まだ少し濡れているおかっぱ髪を揺らして、ミナミがペットボトルの水をがぶ飲みする。

「一気飲みかよ。もったいねえな。もっとしっかり味わって飲めよ」

僕はちびちびと水を飲んで憎まれ口を叩いた。ミナミはジトジトした目で僕を見る。

「ふんっ。そんなこと言って、今日はビール買うくせに」

「…………。もう業務終了時間だぞ。能力を使うな」

「へへっ。ついうっかり、未来のことが見えちゃうもんで」

ミナミは、他人の1時間後までの出来事が見えるという、僕と真逆の特殊能力を持っている。

なんとなく便利そうに思えるが、未来が見えるだけで変えられるわけではないので、僕の能力と同様に、なんだか中途半端だ。

「あそこでたこ焼き買うぞ」

「うんっ。20個入りね」

「ダメ。12個入りで我慢しなさい」

「未来は変えられないしー」

結局、僕たちは風呂上がりに20個入りのたこ焼きを半分ずつ分けて食べて、ロング缶のビールを飲んだ。

いつのまにか寝てしまっていたらしく、目が覚めたら夜中だった。隣ではミナミが僕の服の裾を掴んで、子供みたいな寝息を立てている。

今がいちばん幸せだな。

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下書き救済テキスト(最古の下書きは2017年)……、なのですが、自分が過去にnoteに書いていた「中途半端な特殊能力を持っている人たちの話」「ちょっとだけ未来予知ができる人の話」(両方エタった)をくっつけたような内容で、さらにそれをこねくりまわしてこういう内容になりました。

今後も不定期に書くと思いますが、1話完結形式にする予定です。そうしないとモチベーションが続かないし確実にエタれるので。不定期というのが月2回とかなのか年1なのかどこかの某ハンター並みなのかはよくわかりません。ハードルは低くしておくものよ覚えててネー(by JUDY AND MARY『motto』)。

ふたりの住んでいる市(みやの市)とか、市内に3軒ある銭湯とか、ふたりの親についての設定はあったりしますが、それを発表できるのがいつになるやら。

いちおう時空探偵という仰々しい感じの職業に就いている主人公ですが、みやの市は月の犯罪件数が10件未満のこともあるほど治安が良く、警察が有能すぎて探偵の需要がないという逆米花町みたいなところですので、このシリーズで殺人事件や暴力沙汰は起きません。窃盗はもしかしたらあるかも。

↓日常編(第2話)


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