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制服とスーツの意味

少し前に、歴史の授業に関するテキストを書きました。

その際に、未来の学校ではもはや教科書というものがなくなり、授業もインターネットによるものが当たり前になるのではないか、という考察をしました。考察というか、ノリで妄想してみただけですが。

ここ数年は、例のアレの影響で、在宅ワークや在宅の授業が身近なものになりました。自分の職場ではその試みは一切していない(というか物理的にできない)ので、未体験なのですが。

開始ギリギリまで寝ていても問題なく、上にシャツさえ着ていれば、下はブリーフでも見えなきゃOK、そんな在宅ワークにも長所はあるでしょう。

あえてギリギリの角度で映して穿いていないように演出する「とにかく明るい安村さんごっこ」を一度はしてみた……、いや、リスキー過ぎるな。自分にはそこまでの芸人根性はありません。

それに、そもそも自分はどちらかというと、わざわざ現地に赴いて通勤するほうが向いているように思います。

在宅だとどうにも、やる気のスイッチが入らないのではないかという危惧があるのです。瞬時に仕事モードに切り替えないといけないのが辛そう。

ただでさえ、いきなり布団からガバっと起きるのが嫌でたまらなくて、あえて起床予定時刻の数時間前からアラームを設定し、二度寝、三度寝ができる猶予を確保しておかないと落ち着かないし、ワンテンポ、ツーテンポ置いての演奏開始でないと物事をはじめられない人が私なのです。

ならば家であらかじめオンラインの数時間前から心の準備をしておけば良かろう、というのはごもっともなのですが、家はオールウェイズくつろぎ空間なので無理です。

家の中ではベッドとトイレと流し台でしか行動できないものでして……。なかなかどうして、精神も肉体も動かない。きっとこれは、家の中だけ重力が通常の10倍かかっているに違いない。精神と時の部屋と同じである。

悟空やベジータなら、そんな過酷な環境でもトレーニングに没頭できるのでしょうが、サイヤ人ではない凡人の自分にとっては、動くことすら大変。

なので、重力が地球と同レベルで、なんとなく動いていたらなんとなく事が済んでいる、なんか知らぬうちに自分の中のもうひとりの自分がなんか色々やっている職場のほうが気楽なのです。

そのために、徒歩で数分と電車で数駅の移動は、効率は悪いかもしれないけれども欠かせない。

ただ、通勤あるいは通学というものについて、どうにもひとつ、疑問に思うことがひとつあります。

「制服」の概念です。

学生であれば指定の学ランやセーラー服、社会人であればスーツですね。

工事現場で働かれている方の作業着や、医師の方々の白衣は、その職種に合わせて使い勝手の良いようにアレンジされたものなのでわかるのですが、学ランやセーラー服、ひいてはスーツに関しては、むしろ適していないのではなかろうかと。

ただでさえ眠くて忙しくて眠くてだるくて眠い朝、いちいちホックを留めたりリボンを結んだりしなければならない面倒な服装を強いられる。

そのせいで朝食の時間が削られ、食パンを咥えながら走る羽目になる。

それで偶然イケメンの転校生とぶつかれば愉快なスクールライフの始まりなのですが、残念ながら現実にそんなことはなかなかありません。

わざわざセーラー服を着ても、イケメンにぶつからなければ恋は始まらないのでフォーチュンクッキーも錬成できないし、週刊誌みたいなエッチもできません。

まあエッチに関しては、できなくて良いのですが。セーラー服は脱がしてはならぬ。たまに、すぐに脱がしてしまう大人のビデオがありますが、あれはセーラー服を理解できていない。

何をいっているのかよくわからない良い子のみんなはわからなくていいので、セーラー服のことは置いておいて、そもそもの学校の制服の起源について調べてみましょう。

すると、どうやら元々は、住んでいる家の貧富の差は関係なく、みんな同じ立場で勉強していることを示す象徴としての服装だったそう。

また、子供でも冠婚葬祭に着ていけるものとしての役割も果たしているそうです。確かに自分も高校生の頃、制服で葬儀に行きました。大人でいえばスーツと同じことですね。

後者はまあ、日本の慣習としてわからなくもないのですが、前者はちょっと、現代では意味合いが薄れてきているように感じます。

多様性が叫ばれて久しいし、現代は国民の8割くらいは貧乏人の側のような気がするし、昔ほど家柄を気にする人も多くないような……。地方だとあるのかもしれませんが。

それに、今どきユニクロやしまむらで安価に良い服がいくらでも手に入るのだから、今日の食事すらままならないという家庭でない限りは、子供がボロを着ているという事例は基本的にないはず。もしあったら、その子を学校に生かせる前に市民センターに連絡するべき。

ただ、現役の中高生を対象にしたアンケートでは、80%以上が「制服はあったほうが良い」という回答のようです。

その理由として多かったのが「毎日の服装に悩まなくていいから」というもの。これは自分の中にはない発想でした。

職場は私服で出勤できるのですが、その状況下でも毎日の服装について気にしたことがなかったので……。もう少しオシャレに気を遣うべきですね。

そういえば昔、就職活動をしていた頃、よく就活ハウツー本で「就活ファッション」という呼び方を目にしましたが、あれは個人的にかなり違和感がありました。

だって、みんなスーツに革靴という縛りがそもそもあるし、みんな似たような出で立ちなのだから、それはファッションとは呼ばないだろうと。

この考えは今でも半分くらいは変わっていないし、仮に日本の企業に勤める人々がみんな私服でも別にいいんじゃね?と思う派なのですが、スーツが義務づけられている会社員を対象にアンケートを取ったら、やはり「スーツはあったほうがいい」「毎日の服装に悩まなくていいから」となるのでしょうか。


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