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「双極性障害」からの回復13 私を変えた本

そもそもを形作ってくれたもの

子どもの頃から漫画が大好きです。
主に少女漫画や青年漫画が好きで、最近集めているのはヤマシタトモコ『違国日記』、水凪トリ『しあわせは食べて寝て待て』(←こういう漫画って少女漫画っていうのだろうか?女性漫画?)。

父が漫画や本好きだった影響で家に書斎があり、子どもの頃から『ガラスの仮面』『がんばれ元気』『ブラックジャック』『家裁の人』などを読みまくっていました。姉達からの影響もあり『動物のお医者さん』『笑う大天使』『ぼくの地球を守って』『banana fish』などなど名作をそれと知らずに読んでいて。

辛い時は映画や音楽に救われたという話をよく聞きますが、私の場合は漫画もそこに加えたい。
子どもの頃、夫婦喧嘩や母の自殺未遂や両親の別居など色々なことで家の中が重く息苦しい時に、漫画の世界に逃避させてもらっていたのかなと思います。
(いま思い出したけれど、仕事を初めて辞めてうつ状態が酷かった時は、それまで全然読んでなかった小説に支えられました。よしもとばなな、西加奈子、村上春樹とか)

そんなたくさんの漫画の中でも私の世界観や価値観の根底にあるのではと思うのが、小学生の時に読んだ、手塚治虫『ブッダ』。後に書く3冊が私に響いたのは、この本が下敷きとしてあったからかもということで、先に書いておきます。

仏教の開祖ゴータマ・シッダールタが、生まれ悟りをひらき死ぬまでのお話です。作者によるとフィクションが多く入った宗教SFとのことなので仏教や釈迦の伝記そのままというものではないようですが、大きな影響を受けました。

「生・老・病・死」の四苦。そもそも「生」も「苦」なのだという考え。人間は一つの生物で、動植物やその他の生物と対等でお互いがつながり影響し合っている。人間だけが偉いわけではないし支配してよいわけではない。人間の心の中には元々「神様」のような光が誰にでも宿っている。
「人はなんのために生まれたのか」など哲学的にとらえたり、深く考えすぎてよく悩む子どもだったので、この漫画に惹かれたのかなと思います。


「生きる意味」なんて必要ない

・ひろさちや『「狂い」のすすめ』

仏教を中心にキリスト教、イスラム教、ユダヤ教など宗教の話を織り交ぜながら、「狂い」と「遊び」というキーワードで自分を楽しく生きる術を伝えてくれる本です。
初めて就職した職場で、今思えば「適応障害」のような「燃え尽き症候群」のような形でうつ状態になり退職した直後に出会いました。

それまでの私は仕事が「生きがい」で、どうにかして夢を叶えたい、どうすれば社会の役に立って意味のある人生にできるかという考えでいましたが、退職したことにより一気に自信を失いこの先をどうしていくか絶望の中にいました。
そういう私の考えを始めにガラッと変えてくれた本で、一番印象に残っているのは「人生は無意味」論。作者はこう説きます。

「だって、人生に意味があると思っているから、その意味に絶望して自殺するのではないか。人生に意味がないとわかっていれば、自殺する必要さえないよ」
「人間は、ーついでに生きているー」「わたしたちはたまたま人間に生れてきて、生れてきたついでに生きているだけだ。別段、それ以上の意味なんてない。」
「もしも「人生の意味」を論じるのであれば、あらゆる人間に通じるものでなければなりません。百八歳まで生きた老婆と、たった三日間しか生きなかった赤ん坊と、その両者がともに同価値でなければならない。(中略)だとすると、「無意味」だというのが、真の「人生の意味」なんです。」
「意味のない人生だからこそ、わたしたちは生れてきたついでにのんびりと自由に生きられる。」
(以上、引用)

初めての挫折の絶望感の中で思考がどんどん悪化していった当時、何度も何度も繰り返し読んで気持ちを楽にしてくれた本です。「仕事=人生」だった私が仕事でつまづいて真っ暗闇にいたとき、その考えってそもそもどうなん?と思ってもみない方向から声をかけられて一旦フリーズするような、でもよくよく考えると確かにそうだなと腑に落ちるような感覚でした。
いまも辛い時は読み直すし思い出す、大事な本です。


それは「誰の」課題なのか?

・岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』

心理学者アドラーの思想を対話形式で読みやすく記した本で、対人関係の問題を具体的にどう考えたらいいのかを教えてくれる本です。
私が手に取ったのは、治療を始めて10年程経った頃でしょうか、うろ覚えですが、中々症状の改善が進まない苦しい中だったと思います。何かヒントになるんじゃないか、少し前にベストセラーになっていたなと手に取りました。

たくさんの考え方が提示されていて多くが私にとって勉強になるものでしたが、特に読んでハッとしたのが「課題の分離」という考えで、私に大きく足りないものだとすぐに感じました。過干渉な母とベッタリした距離感で育ってきた私は、それまで自分の課題に土足で踏み込まれ続け、いつしか自分も他人の課題に土足で踏み込むようになりました。

「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」(引用)

私がしてほしくないことを相手がする。私はしてほしくないので苦しくなりその行動に口を出したり相手をコントロールしたくなるが、するかしないかは相手が決めること。したこと、あるいはしなかったことで最後に責任とるのは相手であり私ではない。その行動をする相手との関係をこれからどうするか、どうしたいかは私が決められる。私の理解でまとめるとこんな感じでしょうか。

特に家族やパートナーなど近しい関係になるほど難しいですが、いつもこの視点を忘れず、忘れたら思い出せるように。。人との適切な距離感がよくわからなくて傷ついたり傷つけたり、今も難しい部分がありますし「課題の分離」の訓練はずっと続くのだろうと思います。


不思議に包まれて「呪い」がとける

・エックハルト・トール『ニュー・アース』

この本は説明がとても難しいのですが、ざっくり書くと人間の「エゴ」と「思考」についての本です。
この本やエックハルト・トールとの出会いは、後の記事でも書きますが2018年にあった大きな転機の頃でした。色々情報を探していたときにあるサイトで知り、まずは図書館で借りて読み始めました。

分厚くて哲学的な話も出てきますが、とても不思議な本で、読んでいる間に治療が進んでいく感じがするというか。
いままでネガティブな考えや自分を責める考えが始まったらずっと頭の中でぐるぐるして、頭では止めなきゃと思うのにどうしても止められない、そしてどんどん深く自分を追い詰めてしまっていたのですが、私はこの本を読むと止めることができるようになりました。おそらく、なぜそういう「思考」が始まるのか、「エゴ」というものは何でそれにどう関わっているか、そのメカニズムを丁寧に伝えてくれるからだと思うのですが、私のこの拙い説明の文章ではなくて、作者の言葉やリズムで綴られていることが大事なんだと感じます。これは私にとって治療が終わりに近づく大きなきっかけの本になりました。

いまも私の暮らしの土台になっていて、「治療終了」の記事にも書いていますが、過去や未来についての「思考」をストップして、「いま、この瞬間」に集中することに気をつけています。
例えば、夜、お風呂場で頭を洗いながら、日中の仕事でミスしたことや明日の準備について考える、頭の中でずーっと自分の会話が流れていることが私はよくあるのですが、その時にその会話をストップして「頭を洗う」という動作に集中する。すると頭の中は一旦クリアになるので、気持ちがフラットな状態に戻ります。その状態は長く持たないのですが、そうやって「思考」が動き出したなと気づいたらストップする、そしていまやっていることに集中する、その繰り返しをすることでぐるぐるして落ちていく考えを止めるということをやっています。
大事なのは自分で「ハッ、いま思考がぐるぐるしていた!」と気づけるかどうかなのですが、この本を読むとそれに気づきやすくなり、自分の内側の感覚に鋭くなったり、無意識にやっている日常の流れとは別の視点から物事を見られるようになってきています。

今は読み返すことが減りましたが、ネガティブな沼から抜けられなさそうなピンチの時にはきっと力になってもらえる、大切な御守りのような存在です。


いままでたくさんの本に学び、助けられて、症状の改善や生き方の模索をしてきました。今回はその中でも特に心に残っている、そしていまも私を支えてくれる本について書きました。
本を生み出す方々に本当に感謝ですし、これからも本との出会いを楽しみに暮らしていきたいと思います。

(著者、敬称略)

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