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note酒場はぽわぽわを連れて

当日の朝、姉から「浮かれて薄着で行かないようにね!上着とか忘れてこないでね!」とLINEがあった。
妹からも「がんばれ~!」と叫んでいるスタンプが届いた。
夫は早朝に出勤して、私が出発する7時半に帰宅してくれた。
子どもたちが夫と駅まで送ってくれた。
私の大冒険はみんなを巻き込んだ、なんだか少し大げさなスタートだった。

少し前にも書いたけれど、私が一人で泊りがけの遠出(地方在住です)をするのは長女を産んでから初めてのことだ。
行くことには何の迷いもなかった。
テレビをほとんど観ない私にとって今一番のメディアはnoteだ。
noteを読んでnoteを書いて、noteで学び、noteで苦楽を分かち合っている。
noteの中に私のスターはみんないる。
あの人もこの人も。
あこがれも共感もすべてnoteが抱いている。
これほどなにかを心待ちにしたのはいつぶりだったろう。

note酒場でいろんな人に、「そんな遠くから???!!」と驚かれた。
そのたび私は「note酒場だよ???」と驚かれることに対して心の中で驚いていた。
だっていつも読んでいるnoteの皆さんに会えるのだ。
私にとっては、アイドルの握手会より、主役が登壇する試写会より、フジロックより、ロッキンオンジャパンより、なによりもアツい。

長女を産んでからいろんなことをごく自然に諦めてきた。
それが子育てだと信じることで自分を誤魔化して、いろんなことを丸く収めてきた。
けれど、末っ子を産んで一年が過ぎたころから、突如として「諦める」ことができなくなったのだ。
これはおそらくこの数年間の蓄積したいろんなエネルギーの噴火みたいなものだったんじゃないだろうか。
行きたいところには行きたいし、会いたい人にはどうしても会いたい。
今まで見たこともないくらい貪欲な自分に引きずられるようにして、私は東京に赴いた。

普段、ひとりで出かけることがほとんどないものだから、ひとりでいると頭の余白を持て余す。

子どもたちがいると誰かが迷子になっていないか、よそ様にご迷惑になっていないか、手荷物は足りているか、寒くないか、暑くないか、おむつの具合は、トイレは、次の食事は、など考えることが多すぎていつだって頭の中は小人が走り回っている。
それが突然一人になったものだから、頭の中の空洞ががらんと音を立てているようだった。
がらんと空いた頭の中で「新幹線はどこまでも長くてうどんのようね」
と思ってみたり、「東京駅はどこを歩いても食べ物があるのね」と思ったり、駅を出れば「田舎よりも鳩が多いなぁ。スズメもうんと多いなぁ」と思ったりした。
そして、思うことのすべてがほぼ無益で、自分の残念さに笑いたくなった。
ひとりで電車に乗ることも、ひとりでチェックインすることも、もう長いことしてこなかったから、なんというか、もういちど大人になろうとしているような不思議な感じがした。

note酒場での一日は夢のような時間だった。
会いたかった人たちがあの小さな四角い箱の中にぎゅうぎゅうに詰まっていて、まるで宝箱のようだった。
みんな生きていて、動いていて、立体だった。
ブルーライトに照らされた画面の中のあの小さなアイコンの皆さんが、舐めるように読んだnoteの中の皆さんが、食べて、飲んで、笑っていた。
「ああ、私はnoteの中にやってきたのだ」と、どれだけ時間が経っても感動は止まらなかった。

東海地方の片隅から遠路はるばるやってきたけれど、ちっとも遠いと思わなかったし(なんせ普段はどこに行くにも子連れだから近場だってすごく時間がかかるのだ。それが身一つともなれば、その近さに驚くほどだった)、来たことを後悔した瞬間はもちろん皆無だった。

初めましての方もたくさんいたけれど、みなさん漏れなく優しくて、やっぱりここはnoteの中なんだな、と思った。

noteは優しい。
これはみんなが思っていることだと思う。
noteは優しいのだ。
note酒場は善意と優しさで溢れていて、みんながにこにこ笑っていた。
気さくに誰かに声をかけることもかけられることも苦にならない、心地よい空間だった。
「note書いてますか?」
「どんなnote書いてるんですか?」
noteを合言葉にすれば誰とでも話せる、そんな善良であたたかい場所だった。

その日の夜はあまりの多幸感に眠れなかった。
頭の中はnote酒場で会った人たちとの会話がぱんぱんに詰め込まれていて、どれひとつとして忘れたくないから眠れない、と思った。
朝起きたらなにかひとつ忘れているんじゃないだろうか、そう思うと、うとうとするたび不安になって目が覚めた。
頭の中がアップデートされてしまうのが嫌だったのだ。
それでも寝不足で迎えた朝は心地よく、頭の中はすっきりと冴えわたっていた。

急いで支度をして、ぽこねんさんと東京駅で少しお茶をして、前日の余韻に浸った。

別れ際に、「終わっちゃうね、終わっちゃうね」と言い合って、後ろ髪をどこまでも引かれながらお別れした。

ああ、夢の一夜が幕を引く。

新幹線に乗って帰路に就く。
新幹線はやっぱり長くて、自由席はやっぱりうんと端っこだった。
ひとりでゆったり食べる駅弁はきちんとおいしくて、食後は読みかけの本を片手にうとうとした。

帰宅すると、夫と子供たちはまだ出かけていて、家の中は愛しくなるほど散らかっていた。
荷物を置いて、お風呂を洗ってお湯をためる。
お米を洗って炊飯器のスイッチを入れる。
床に散らばるカードゲームを集めていたら子どもたちが帰ってきた。

まばゆい笑顔で「ママお帰り!!」

むくむくとママの私を取り戻して、みんなとハグ。
お土産のお菓子をみんなでお行儀悪く食べて、夫が「今日は無礼講だよ」と言って笑った。

お帰り私、お帰り日常。

帰宅して数日たった今もなんだか身体の周りに柔らかい膜が張っているみたいにぽわぽわした気持ちが消えない。
体中を善良さが覆っているようなそんな感じ。
どこかでこれを経験したんだけど、と考えてみて思い当たったのは、誰も共感しないのを覚悟で言うと、出産だった。

次回がもしあるのなら、あの優しさが満ち満ちた空間をより多くの人に経験してほしい。
みんなから祝福されるようなあの一日を。
まるでこの世に初めて産み落とされたそのときみたいに優しさだけで包まれるよ。

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