見出し画像

幸せにしたいのではなく、なってほしい

僕は基本的に他人に興味がない。しかし人間には興味がある。

これは言語学的には矛盾している。

他人の「人間」ではある。「人間」には興味があるが、「他人」に興味がないというのは大きな矛盾である。

それを知って考えた時に、僕は他人の人生に興味がない。生活に興味がない。

その人がどんな仕事をしていて、誰といて、休みの日に何をしているか、誰と付き合っているかなんて全く興味がない。

これは赤の他人に限った話ではなく、友達や恋人でも同じことである。

彼らが何をしている、彼らが誰と結婚する、休みの日に何をしている、などさらさら興味がない。

僕は、何をしていても、その人がその生活に満足し、幸せなんであればそれで良いと思っている。

もし、現状に不満を言いながらも、何も変えようとしないんであれば、その人はその現状に居たい人である。

なので、僕は基本的に能動的に人の人生に口出しはしない。

そんな僕の考え方が災いとなりお別れする事になった女性も何人かいる。

僕は、自分の恋人が自分といない時に何をしてようがさほど興味がない。

「こうした方がいいよ」とか「こうしてほしい」と言う事もほぼほぼない。

なぜなら、僕との関係の前に彼女たちの人生があるからである。

逆も然りで、僕自身も彼女たちの前に僕の人生がある。

自分勝手だと思う人もいるかもしれないが、他人の人生より自分の人生を大事にするのは当然だと思っている。

なので、僕は彼女を幸せにしたいなどと思った事はない。

ただ、幸せになってほしいとは願っている。

この二つは全く別物である。

極端な話、将来、彼女の幸せの中に僕が居なくても構わない。

ただ、好きな人である以上、その人の幸せは心の底から願っている。

彼女が僕の居ない将来に幸せを感じるのなら、そこを目指すべきである。

僕も全く一緒である。僕は僕で幸せになる。一緒に幸せになるとか、幸せにしてもらうという事に対して興味がない。

なので、僕は高校生の頃から「冷たい」とか「冷めてる」と言われ続けてきた。恋人に対しても友達に対しても。

しかし、僕は依存するよりもそっちの方が何倍もマシだと思っている。

ただ、過去のにお付き合いをしてきた女性たちや友達を否定するわけではない。

彼らはそのままでいいのだ。なぜなら彼らの「正しい」はそれなのだから。

ただ、僕の「正しい」とは違ったというだけである。

現時点では僕は結婚も出来ないんだろうなぁとか思いながら過ごしているが、僕の「正しい」と同じ「正しい」を持った人に出会えたら考えたいと思う。

幸せにしたいのではなく、なってほしい。


最後まで読んで頂きありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?